傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

「夢の扉+」:根路銘 国昭氏の反骨魂が日本を世界を正す(雑感)

2013-02-17 21:19:38 | 独り言

2月17日のTBSの番組「夢の扉プラス」で、獣医ウイルス学者の根路銘 国昭氏が「高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)」のウイルス開発の取り組みを紹介していました。
番組では、沖縄で幼少時代の屈辱的な体験によるアメリカに追いつけ、追い越せの負けず魂を紹介していたが、大義には1対500でも戦わなければならないという反骨魂が日本を世界を正したことなり、感動しましたね。

今回のテーマは、「新型インフルウイルスに挑む!遺伝子技術が生む最新ワクチン 世界を救う!?“反骨”の科学者による「カイコのワクチン」開発」で沖縄県名護市 生物資源研究所 所長 根路銘 国昭 さんを紹介していました。

番組紹介を転載すると

”「『最新で最強のワクチンで、日本の、そして、世界の人たちを救いたい!』
毎年、報じられるインフルエンザの流行。超極小のウイルスは、驚異的な早さで変異を繰り返し、免疫が効かない新たなウイルスに姿を変え、人間を苦しめる・・。
そして今、人類が直面する脅威が、新型の「高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)」。
そのウイルスは、強い毒性を持ち、もしパンデミック(大流行)が起きれば、日本だけで、最大約60万人が死亡するとの被害想定もある。
このウイルスに立ち向かおうと、新たなワクチン生産の技術を確立しようとしているのが、根路銘国昭、73歳。 第一線を走り続けてきた、日本のウイルス研究の権威だ。

根路銘が目をつけたのは、「カイコ」。従来の鶏卵を使う方法では、有精卵1個につき、作ることができるワクチンは数人分で、新型ウイルスのように毒性が強いと、取り扱いが難しいため、開発に膨大な時間を要する。
だが、カイコは、1匹で最大数百人分ものワクチンを作ることができ、これまでの3分の1の時間で生産が可能になるという。
さらに根路銘は、毒性の強いウイルスそのものを使うのではなく、遺伝子組み換え技術により、安全なウイルスを使ってワクチンを作ることに挑戦。
低コストで量産できる方法を編み出そうと心血を注ぐ。

『途上国の人々にも、安全で有効性の高いワクチンを、科学者として提供したい』
「カイコワクチン」実用化に向けて、根路銘が訪れたのは、鳥インフルエンザに苦しむインドネシア。
ウイルスを封じ込めるため、まず、鳥用のカイコワクチンを開発、鳥での効果が認められれば世界のワクチン開発を前進させる大きな一歩になる。
欧米に負けない技術力を結集して、ウイルスと闘い続ける“反骨の科学者”のワクチン開発最前線に迫る
。」”

です。

当方は、風邪は罹らないという慢心があり、インフルエンザのワクチンを接種した記憶がなく、自分は予防に無神経・無頓着で家族からは不潔と批判される類の人間で、医学・医療には無関心でした。
この度の取り上げられた根路銘国昭氏については、無知の人物でしたが、番組で、卵を利用する現行のワクチン製造を効率性の良いカイコを利用したワクチン開発の取り組みが主たる内容でしたが、当方が印象に残ったのは、根路銘国昭氏の学術的功績より、国際会議でアメリカが新開発した生ワクチンを日本での使用の強要、WHO本部での12人の専門家によるワクチン決定の投票結果を覆す場面ですね。
要は、実証データを大義として多勢に独りでも戦ってきた姿勢に感動します。

番組視聴後に、根路銘国昭氏についてネットで調べたら、上述については、ブログ「医学処 -医学の総合案内所-」のエントリー『医学ちょっといい話12「根路銘国昭氏の話」』(2009年01月29日)に掲載されていました。

当方は、開発営業に従事していたこともあり、新しい物に挑戦する物語・人物に関心があり、TBS番組「夢の扉」を本ブログで何回か取り上げましたが、根路銘国昭氏の反骨魂に接して、何か、TPP喧騒を連想しました。
根路銘国昭氏は、幼少時のアメリカへの屈辱的な体験による「アメリカに追いつけ追い越せ」の反骨魂が醸成したが、根路銘国昭氏の「日本は先進国であり、ワクチン政策に君たちの指導を必要とする国ではない」ではないが、「日本は独立国であり、貿易自由化政策についてはアメリカから強要される国ではない」と言ってみたいと思いましたね。
問題は、大義は何かですが???



1 コメント

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no philosophy (noga)
2013-02-18 20:20:59
ひと・人により意見は違う。
だから、社会のことは政治的に決めなくてはならない。
議場では、誰かが相手に意見を譲ることが前提になる。
この場合、小異を捨てて大同につく。
無哲学・能天気では、大同はない。
大同がなければ、小異にこだわらざるを得ない。
小異は山ほどある。‘議論は、まだまだ尽くされていない’ ということになる。
政治家は、結党と解党を繰り返して、離合集散を本分のようにしている。
政治哲学の無いところに、政治音痴は存在する。温故知新が必要である。
国民に‘我々は何処から来たか。我々は何者であるか。我々は何処に行くか。’ を考える習慣がないと、政治は迷走する。

所詮、この世は仮の世。真っ当な世の中はこの世の外にある。
住み慣れたこの世に別れを告げて、まったく新しい来世に暮らすことになったら、あなたはどのような世の中の到来を望むか。
ひたすら、現世の普遍を願うのか。予定通り年中行事を繰り返し、何の変化もなければ天下泰平の世の中と言うことになる。
それでは、我が国は世界に取り残されてしまう。あなた自身に世界観はあるのか。
いつまでも、泰平の世の中に住む能天気の日本人ではいられない。
アングロ・サクソンの哲学から次々と繰り出されてくる現実対応策に翻弄されることになる。



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