田園城郭都市構想 28

2017年02月28日 | 湖と城郭都市

1.ハワードの田園都市構想
2.田園都市論の現代的意義
.日本型田園都市構想
4.和歌山市都市計画と学園城郭都市
5.近代ニュータウンの系譜
       -理想都市像の変遷-
6.世界遺産登録に向けた取り組み
7.街道と湖上交通と都市形成

 

7-2 湖上交通史
7-2-3 軍事利用

② 信長による湖上管理と支配

ところで、貞観九年(867)和邇(わに)(志賀町)の船
瀬(泊)を国司が管理するよう提案し、受理された文書が
残されていることから(『類聚三代格』)、七世紀の段階
では公的な機関が拠点的な港を管理していたと考えられ、
ちなみに、大津市浮御堂遺跡も平安時代前期を中心とした
湖上の公的施設であることが、墨書土器(墨字の残る土器))
石銙釉(せきかたい:腰帯の飾り)、縁釉陶器、白磁など
の遺物によって確認できる。

その後、有力荘園領主らの管理下にあった重要な港への干
渉をは
じめるのが守護大名や戦国大名である。永正十年(
1513)、永
禄二年(1559)の近江守護の六角氏による堅田
に対するもの、
永禄年間(1558~1570)にかけての堅田の
沙汰などである。
後者は、当時の湖北三郡の実質的支配者
であった浅井長政が、堅
田についての沙汰を行い、領国拡
大と湖上の掌握につとめていたも
のである。

また、六角氏についていた志那の市川氏は、泥亀元年(15
70)
には志郎の政所を継いでいたが、天正八年(1580)には、
志那の
港の権利は芦浦観音寺に移っている。実際には、天
正二年(1574)、
観音寺第七世慶順が船奉行に任命され、
貞孝二年(1658
)に天領の代官を罷免されるまでの.百年以
上にわたって、湖南地域における芦
浦観音寺の権力は保証
されていた。

そして元亀三年(1572)にはじまる信長の湖上の自由航行、
大船建造とその解体、元亀四年(1572)の船大工支配、大
正十
五年(1587)の秀吉による大津百艘船整備へと続くの
である。
元亀元年(1570)から天正七年(1579)の間に、
信長は
佐和山(彦根市)あるいは常楽寺(安土町)から坂
本(大津市)に
四回、坂本から常楽寺に二回渡っている。
ただ、信長による比淑山焼き肘ち後、坂本は衰退し、坂本・
志那あるいは坂本・山田の渡しから、大津・矢橋(草津市)

へと代わっていった。実際、信任は大正(1578)の安土の
水害視察の時、往復ともこの大津・矢橋間を船で渡ってい
る(「信長
公記』)。 



また、信長は船大工の支配、元亀四年(1573)に大津の船
大工三郎左衛門は、明智光秀から諸役、公事を免除されて
いる(「渡寅夫家文書』)。天正四年(1576)の信長の命
令により大船を解体し、早船十艘の造船の指揮を執ったの
は、船大工猪飼(野)甚介であったという。



大正四年(1576)
、信長は安土滅を完成させ、長浜城、坂
本城、それに天正六年(1578)の大溝築城とともに湖畔に
築いた城により湖上の完全支配のためのいわゆる城郭ネッ
トワークを完成させている。のちに秀吉は、軍事上の造船
を目的に天正十二年(1587)、大津・今堅田の船大工を支
配下に入れ(『今堅田船大工仲間文書』)、天正十五年(
15787)
には、「大津百艘船」を準備。これは秀吉が伏見城
にいる時の軍用および東国や北国大名の往復のために備え
たもので、その代償として、下り荷には独占権、諸港には
には出入り自由、諸役御免の特権を与えている。

また、秀吉は、芦浦観音寺住職かっとめた舵奉行を通じ、
琵琶湖のすべ
ての港の船の点定(登録)を行い、焼き印を
これに押した(天正十
九年((1591)。また運上銀も徴収す
るなど湖上支配を行った。

さらに、江戸時代になると、三代将軍家光のころ、彦根藩
は太太郎丸、小太郎
丸という二艘の御小早船を所有してい
た。大きい方は二十四艇櫓、小
さい方は十ニ艇櫓の船で、
船は朱色、快速を誇ったようである。これは、
非常事態に
は天皇を京都から一日で脱出させるためのもので、舟の中

央には御輿を模した飾り台がついていた。またこうした非
常時におけ
る舵は、彦根三湊で百二十艘の船を誤用船とし
て準備できていた。このように、二世紀における畿内王権
による湖に支配、古墳時代首長による重要港管理。七世紀
になると、律令国家による重要拠点港管理へとかわり、九
世紀には港・湖上の国家管理へと移り、十二世紀には荘園
による港・湖上管理へと代わっていき、信長にはじまる十
六世紀後半の「湖上権力集中」、そして、十九世紀後半(
1871)の湖上権利の県への移管へと変わっていくことが理
解できる。

                    この項つづく


【エピソード】

 

カヤックに乗に乗り込むとに自然と一体となる。そして、
湖岸の周回や河口を遡上しながら湖上から風
景写真を撮る
のをライフワークにしたいと
彼女に伝えると、それなら空
撮ドロンがあるじゃないのと言う。なんだ、話が早いじゃ
ないか。そういってハンドルを切る。

 

【脚注及びリンク】
-------------------------------------------

  1. 二条城の建築現場監督・信長 織田信長の夢★ 鳴
    かぬなら 鳴ける世つくろう ほととぎす
  2. 智本光隆著「関ヶ原群雄伝 1 大谷吉勝の決意P.167
  3. 古代の都支えた湖畔の製鉄炉 古きを歩けば(49)
    源内峠遺跡 2013.03.12 NIKKE STYLE
  4. 鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係についての試論―
    滋賀県の事例を中心に―」(
    大道和人 滋賀県文化財
    保護協会紀要 No.9 2012.06.08
  5. 淡海文庫 「信長 船づくりの誤算―湖上交通史の再
    検討」用田 政晴【著】1997.07.20
  6. 世界遺産の保全と住民生活-「白川郷」を事例とし
    て-」才津祐美子、福岡工業大学、環境社会学研究
    (12)、 23-40、2006-10-31)
  7. NPO法人 彦根景観フォーラム 第4回世界遺産を目
    指す彦根の課題
     2008.02.29
  8. 世界遺産所在自治体の保全と観光活用に関する取組
    事例集 国交省観光庁 2014.10.24
  9. 世界遺産登録による経済波及効果の分析 えひめ地
    域政策研究センタ 2007.01.11
  10. 世界遺産登録と持続可能な観光地づくりに関する一
    考察『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)
    新井直樹 第11巻,第2号,2008年9月
  11. 世界遺産を活用した観光振興のあり方に関する研究
    運輸政策研究所 第35回 研究報告会 小室充弘
    2015.08.05
  12. 世界遺産登録に向けた取り組み(2014年度)彦根市
  13. 世界遺産に登録されるまで|世界遺産検定 NPO法
    人 世界遺産アカデミー
  14. 高句麗平壌城の都市形態と設計 閔徳植、 国際日本
    文化研究センター学術リポジトリ
  15. 松本市の都市計画 松本市
  16. ひこにゃんがいてもダメ? 彦根城はなぜ世界遺産
    になれないのか 週刊朝日 2013年6月28日号
  17. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー前編 2007.03.02
  18. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー後編 2007.03.09
  19. 第1回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.05
  20. 2回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.07
  21. 第3回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.19
  22. 第4回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.26
  23. 第8次彦根市交通安全計画 2012,03.22
  24. Core Strategy (2013) - Milton Keynes Council
  25. "The New Towns: There Problems and the Future
    Department for Communities and Local Government,
    2002.11.21
  26. 日本エシカル推進協議会Japan Ethical Initiative-
    エシカル日本
  27. 明治期廃絶城郭の公園化について ―史跡の保存活
    用の前史として― 佐々木孝文
     2015.06.26
  28. 都市とは何か 都市計画なぜ必要か - 東北大学
    奥村誠  2015.10.15
  29. 和歌山市都市計画マスタープラン 和歌山市
    2017.01.12
  30. 和歌山市立地適正化計画 2016.12.22
  31. 日本型田園都市構想―イギリス田園都市と比較し
    京田辺市を見直す―2001.12.11 西村利也
  32. 田園都市とエソテリシズム 吉村正和 2004.03.05
  33. 田園都市論の現代的意義 中井検裕 家とまちなみ
    45、2003.7.8
  34. 住宅地計画論 1.ハワードの田園都市構想園都市
  35. 都市思想の二人の巨人、ジェイコブズとハワード:
    宮﨑洋司市
  36. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.06 28
  37. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  38. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  39. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 03
  40. 平成 28年度 主要事業 彦根市
  41. 都市づくりの基本方針(全体構想) 彦根市 橋梁長寿命
    化修繕計画による対策橋梁について滋賀県
  42. 彦根市都市計画道路網見直し検討調査
  43. 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導の
    まち創る-近世城下町彦根市本町地区の2
    例の場合
    -(これからの都市づくりと都市計画
    制度全国市長
    会) 中島一 2005.05.09
  44. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  45. 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
  46. ドイツ流 街づくり読本  水島信
  47. 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  48. 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  49. 都市計画1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一
  50. 都市計画2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
  51. 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
  52. 道路をどうするのか 五十嵐敬喜・小川明雄 岩
    新書
  53. 日本の道路史 武部健一 中公新書
  54. 道のユニバーサルデザイン 鈴木敏 技報堂
  55. 道路が一番わかる 窪田陽一 技術評論社
  56. 「道路」についての国際比較 藤井聡 2010.3.14
  57. 彦根市都市計画道路網見直し指針 
  58. 地域別のまちづくり方針(地域別構想)-彦根市
  59. 彦根市新市民体育センタ整備基本計画 2016.10.31 
  60. 彦根市立図書館|簡易検索
  61. 中心市街地の活性化に関する法律 Wikipedia
  62. 富山市におけるコンパクトなまちづくりの進捗と展望
    2014.11.26
  63. アウガ Wikipedia
  64. 富山市 人と環境に優しいまち 公式HP
  65. 青森市 都市計画マスタープラン 公式HP
  66. コンパクトシティはなぜ失敗 するのか 富山、青森から
    見る居住の自由 2016.11.08, Yahoo!ニュー
  67. <アウガ>2副市長辞任 青森市政混迷増す 河北
    新聞 2016.01.28
     
           

 -------------------------;--------------------------               

 

 


田園城郭都市構想 27

2017年02月27日 | 湖と城郭都市

1.ハワードの田園都市構想
2.田園都市論の現代的意義
.日本型田園都市構想
4.和歌山市都市計画と学園城郭都市
5.近代ニュータウンの系譜
       -理想都市像の変遷-
6.世界遺産登録に向けた取り組み
7.街道と湖上交通と都市形成

 

7-2 湖上交通史
7-2-3 軍事利用

ここから、本書(第3章)では、軍事利用、祭祀、観光、
管理・支配別に項立て考察されるが、足早に注目する事柄
を記載する。

天智天皇が667年3月に造営した近江大津宮周辺の地形復元
によると、都の東にあったかつての琵琶湖の汀線は、現在

れ、穴太廃寺・南滋賀廃寺・崇福寺跡、園城寺前身寺院と
古代の寺院は防衛のための拠点にはなりえないとする反論
都(白村江の戦いの反動)だった。

大津営廃絶のきっかけとなった壬申の乱や藤原仲麻呂の乱
は、近江を主な舞台としてくり広げられているが、ほとん
ど湖上は利用されず、壬申の乱の際に大海皇子軍の進撃路
は琵琶湖まわりの陸上部を一周周している。唯一、藤原仲
麻呂が湖西を北上、愛発の関(敦賀市)か封鎖されたため、
海津から塩津にやむなく迂回して越前を目指しが三尾崎の
戦いに敗れ湖上に逃れた事例ぐらい。

実際に湖上を軍勢が移動したのは、平安時代おわりごろの
木曽義仲が小島で山田・矢僑から東坂本へ渡ったのと、そ
れを追討する平維盛が利用した事例(『源平盛衰記』)が
本格利用の最初である。建武三年(1336)、北畠顕家ら奥
州軍五千騎が志郎・山田・矢橋から坂本へ渡ったときも舟
七百全般を動員している(『太平記』)。これは、三日が
かりで移した(『梅桧論』)とか、一日で志那浜から坂本
へ渡った(『大平記』)ともいわれている。


① 湖上交通の最大利用と信長の野望

こうした中、琵琶湖において巨大船を建造したのが織田信
長である。
元亀四年(1573.05.21)、彦根の佐和山におい
て大船建造命令を出
し、わずか1カ月半後の7月5日、長
さ三十間、漕ぎ
手2百人を必要とする舟を作らせた。いわ
ゆるルイ
ス・フロイスのいう「ガレー船」(つい最近まで
の堅田の船大工が、漁師船を作るのに50日かかるといわ
れている)。

5月22日、佐和山へ御座を移され、多賀・山田山中の材
木をとらせ、佐和山麓松原へ勢利川通り引下し、国中鍛冶・
番匠・杣(そま)を召寄せ、御大工岡部叉右衛門棟梁にて、
舟の長さ三十聞・横七間、櫓を百挺立てさせ、艫舳(ろち
く)に矢蔵を上げ、丈夫に致すべきの旨仰聞かせられ、在
佐和山なされ、油断なく夜を日に継仕候間、程なく、7月
5日出来訖(できおわる)。事も生使敷大船上下耳目を驚
かす。案のごとく(『信長公記』巻六)。

ただし、これもたった一度だけ利用しただけで、大正四年
(1576)には、十二艘(ルイス・フロイス『日本史』)あ
るいは『信長公記』によると十艘の早舟に解体している。

先年佐和山にて作置かせられ候大船、一年公方様御謀叛の
砌(みぎり)、一度御用に立てられ、此上は大船人らず、
の由候て、猪飼野甚介に仰付けられ取りほどき、早舟十艘
に作りをかせられ、十一月四日御上洛(『信長公記』巻九)。

 

ここに信長の革新性と合理性を見ることができる。大船入
らず」を「不要」と読むか、港なり入り江に「入らない」
との解釈次第だが、
琵琶湖では大船は必要ないと判断は利
用できないとみるとすぐさま方針転換してしまったのであ
ると述べ、続いて、

  しかしながら信長は、再び海での大船を建造し、大正六年
  (1578)に石山本願寺(大阪市)責めを成功させてい
 る。そしてその結果が、信長に犬坂城築城を決意させ
 たことは余り知られていない。いず
れにしても、信長
 は琵琶湖では入船が不必要だと判断したことこそが重
 要である。
 

 秀吉は、朝鮮出兵の特、近江の水夫百二十九人を徴用
 している。文禄四年(1595)のこ
とてある(『芦浦観
 音寺文書』)。琵琶湖という内水面の水夫が、外洋で
 どれほど役に立つたかはわからないが、その程度の数
 の水夫の徴用がすぐにでも可能であった地域であった
 とはいえるであろう。

          「第3章 海上交通史の再整理」
 



と述べいるがごとく、信長の頭の中には、すでに、ポスト
天下統一(国内統治は織田信忠に禅譲)後の世界制覇(第
1段階、ポルトガルの様な海洋帝國の先方隊の大都督(総
大宰帥)として、大坂を拠点として、世界初の鉄船団の創
建を設定し、第2段階として陸路を取らず(一部内部に拠
点植民地を経営)、海路でローマはバチカンを目指し、信
長らしく貪欲に文化を吸収しまた、科学技術開発を行いな
がら、近代の蒸気汽船や現代のディーゼルエンジン汽船を
いち早く建造していく絵を描いても不思議でないと妄想さ
せる件である(より早く、より遠くまで支配する野望)。
 

さておき、その後、江戸時代後期、文化十一年(1814)の
彦根藩軍勢表
を見ると、御舟奉行は配置されているものの
その配下は非常に少な
く、いざというときに天皇を京から
脱出させる早小舟だけ用意し、
それ以外は民間の舟を徴用
する体制を整えているだけであったという
(『掌中秘録』)。

以上、琵琶湖の軍事利用の歴史をみると、最初に12世紀
後半(1183)の湖上の本格的軍事利用を画期としてあげる
こと
ができ、16世紀後半(1576)の、後にふれる信長に
よる城郭ネットワークにみる湖上の完全支配あるいは大船
解体にみ
る小形船の定着を第二の画期として評価できると
してこの項を結んでいる


                   この項つづく


【エピソード】

 

【脚注及びリンク】
--------------------------------------------  

  1. 古代の都支えた湖畔の製鉄炉 古きを歩けば(49)源
    内峠遺跡 2013.03.12 NIKKE STYLE
  2. 鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係についての試論―
    滋賀県の事例を中心に―」(
    大道和人 滋賀県文化財
    保護協会紀要 No.9 2012.06.08
  3. 淡海文庫 「信長 船づくりの誤算―湖上交通史の再
    検討」用田 政晴【著】1997.07.20
  4. 世界遺産の保全と住民生活-「白川郷」を事例とし
    て-」才津祐美子、福岡工業大学、環境社会学研究
    (12)、 23-40、2006-10-31)
  5. NPO法人 彦根景観フォーラム 第4回世界遺産を目
    指す彦根の課題
     2008.02.29
  6. 世界遺産所在自治体の保全と観光活用に関する取組
    事例集 国交省観光庁 2014.10.24
  7. 世界遺産登録による経済波及効果の分析 えひめ地
    域政策研究センタ 2007.01.11
  8. 世界遺産登録と持続可能な観光地づくりに関する一
    考察『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)
    新井直樹 第11巻,第2号,2008年9月
  9. 世界遺産を活用した観光振興のあり方に関する研究
    運輸政策研究所 第35回 研究報告会 小室充弘
    2015.08.05
  10. 世界遺産登録に向けた取り組み(2014年度)彦根市
  11. 世界遺産に登録されるまで|世界遺産検定 NPO法
    人 世界遺産アカデミー
  12. 高句麗平壌城の都市形態と設計 閔徳植、 国際日本
    文化研究センター学術リポジトリ
  13. 松本市の都市計画 松本市
  14. ひこにゃんがいてもダメ? 彦根城はなぜ世界遺産
    になれないのか 週刊朝日 2013年6月28日号
  15. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー前編 2007.03.02
  16. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー後編 2007.03.09
  17. 第1回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.05
  18. 2回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.07
  19. 第3回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.19
  20. 第4回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.26
  21. 第8次彦根市交通安全計画 2012,03.22
  22. Core Strategy (2013) - Milton Keynes Council
  23. "The New Towns: There Problems and the Future
    Department for Communities and Local Government,
    2002.11.21
  24. 日本エシカル推進協議会Japan Ethical Initiative-
    エシカル日本
  25. 明治期廃絶城郭の公園化について ―史跡の保存活
    用の前史として― 佐々木孝文
     2015.06.26
  26. 都市とは何か 都市計画なぜ必要か - 東北大学
    奥村誠  2015.10.15
  27. 和歌山市都市計画マスタープラン 和歌山市
    2017.01.12
  28. 和歌山市立地適正化計画 2016.12.22
  29. 日本型田園都市構想―イギリス田園都市と比較し
    京田辺市を見直す―2001.12.11 西村利也
  30. 田園都市とエソテリシズム 吉村正和 2004.03.05
  31. 田園都市論の現代的意義 中井検裕 家とまちなみ
    45、2003.7.8
  32. 住宅地計画論 1.ハワードの田園都市構想園都市
  33. 都市思想の二人の巨人、ジェイコブズとハワード:
    宮﨑洋司市
  34. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.06 28
  35. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  36. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  37. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 03
  38. 平成 28年度 主要事業 彦根市
  39. 都市づくりの基本方針(全体構想) 彦根市 橋梁長寿命
    化修繕計画による対策橋梁について滋賀県
  40. 彦根市都市計画道路網見直し検討調査
  41. 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導の
    まち創る-近世城下町彦根市本町地区の2
    例の場合
    -(これからの都市づくりと都市計画
    制度全国市長
    会) 中島一 2005.05.09
  42. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  43. 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
  44. ドイツ流 街づくり読本  水島信
  45. 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  46. 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  47. 都市計画1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一
  48. 都市計画2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
  49. 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
  50. 道路をどうするのか 五十嵐敬喜・小川明雄 岩
    新書
  51. 日本の道路史 武部健一 中公新書
  52. 道のユニバーサルデザイン 鈴木敏 技報堂
  53. 道路が一番わかる 窪田陽一 技術評論社
  54. 「道路」についての国際比較 藤井聡 2010.3.14
  55. 彦根市都市計画道路網見直し指針 
  56. 地域別のまちづくり方針(地域別構想)-彦根市
  57. 彦根市新市民体育センタ整備基本計画 2016.10.31 
  58. 彦根市立図書館|簡易検索
  59. 中心市街地の活性化に関する法律 Wikipedia
  60. 富山市におけるコンパクトなまちづくりの進捗と展望
    2014.11.26
  61. アウガ Wikipedia
  62. 富山市 人と環境に優しいまち 公式HP
  63. 青森市 都市計画マスタープラン 公式HP
  64. コンパクトシティはなぜ失敗 するのか 富山、青森から
    見る居住の自由 2016.11.08, Yahoo!ニュー
  65. <アウガ>2副市長辞任 青森市政混迷増す 河北
    新聞 2016.01.28
     
          

 

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田園城郭都市構想 26

2017年02月26日 | 湖と城郭都市

 

1.ハワードの田園都市構想
2.田園都市論の現代的意義
.日本型田園都市構想
4.和歌山市都市計画と学園城郭都市
5.近代ニュータウンの系譜
       -理想都市像の変遷-
6.世界遺産登録に向けた取り組み
7.街道と湖上交通と都市形成



7-2 湖上交通史
7-2-1 人の移動

このように、琵琶湖という内水面の交通史では、三世紀の
畿内
を中心とした王権あるいは前方後円墳体制形成期、な
いしは遅くとも七世紀の律令制成立以降、昭和四十年ごろ
で連綿と続いた中・小地域間での人の移動と物の輸送に
あり、
中世以来と思われる伝統的技術から抜け出さなかっ
た、または、閉鎖的な技術に
終始した丸子船に代表される
琵琶湖の船前史は、海に比べ浮力の少ない淡水水域、南湖
を中心とした浅水域での利用という琵琶湖の風土を知りつ
くした上での、自然環境と各時代・時期における社会の要
請との間の調和のとれた産物の歴史であり、丸子船の「
には、「浅い淡水での工夫」という意味があったという。

その上で、琵琶湖の船舶史をには、それ自身の要因、造船
技術の革新や新素材の登場により区分され、歴史的変遷を
とげたというより、①地城の政治体制と②経済論理に規定
された歴史であることに気がつくが、湖の生活者にとって
は長く一貫して、成熟し変わりようのない歴史であると、
このようにまとめている(「第4章 湖上交通史の画期と
特質」)。ここから、①地城の政治体制と②経済論理の規
定にて紐解いてみる。



7-2-2 ものの輸送

古代以前の湖上の「物」の輸送を語る資料はほとんどない
という。
野洲町円山古墳の家形石棺の石材は、沖島を望む
近江ハ幡市
の湖岸に露頭する湖東流紋岩だといわれたこと
もあったが、阿
蘇の溶結凝灰岩だということが後に明らか
になっている。また、高島町鴨稲荷山古墳の石棺も犬阪

奈良の境にある二上山の白石をくり拉いて作られていると
か。

ともに、六世紀はじめの琵琶湖の東岸と西岸を代表する首
長墓で
あるが、この巨大な石の塊を修羅(陸上用のそり)
を使ったにせよ、
移動は可能な限り湖上・海上を利用した
方が楽だと考える常識的な見方だとし、こうした船で運ん
だと想定するもののひとつに製塩土器に入ったがある。
目本の一部の地域では、すでに縄文時代から海水を濃縮し、
煮沸することにより塩を得てきたが、近年、内陸部でも多
くの製塩土器が発見されるようになる。この近江でも、古
墳時代中ごろ、五世紀ごろ以降の約40遺跡で製塩土器
出土している。これらは若狭湾と大阪湾沿岸から塩が持ち
運ばれた容器であると考えられるが、特に旧野洲川下流に
面した横江遺跡(守山市)など拠点的な集落に大量に運ば
れた後、周辺の村に、再配分されていると推定している。

 製塩土器

また、昭和60年(1985)、中主町の西河原存ノ内追跡で興
味深い水筒が発見される、七世紀の後半、675~685年の間
に記されたと考えられるその二号木簡によると、当時の湖
辺には「舟人」かおり、今の彦根市にある稲里、上岡部に
行って稲を舟で運べという水田経営の役所の指示が記され
ている。

さらに、八世紀後半の野洲川、琵琶湖、瀬田川を利用した
石山寺、東大寺、藤原宿の造営や増・改築のための本村運
搬は、よく知られている。大平実字五年(761)、石山寺
増改築のため材木・桧皮・炭を近江の各地から運ばれてい
るが、甲賀の木材は三雲津(水口町)から筏に組んで野洲
川河口の「夜須潮」を
経て石山津(大津市)に至っている。
翌年
には、造石山寺所は、藁の輸送にあたって馬は能率が
悪いので、勢多庄(大津市)の船津から舟で運べという命
令を出している。



天平神護二年(766)称徳天皇による稲穀五万石の松原倉
(大津市石山周辺
の湖岸か)への貯納記事も湖上輸送を前
提としたものと考える
『日本霊異記』中巻には、平城京
に往んでいた楢磐嶋という人が、角度(敦賀)へ商売に出
かけ、商品を舟に積んで琵琶湖を南下したと伝えられてい
る。また、天歴四年(950)、『東大寺封戸庄園井寺用帳』
によると美濃の物資は、朝妻(米原町)から大津に運ばれ
ている(『東南院文書』)。


さて時代は下り、古代末以降、荘園制の体制化とともに、
いわゆる権門勢家と称する有力社寺などが琵琶湖の各浦
領有するようになる。例えば、大津の東浦を延暦寺が、西
浦を園城寺が支配するが、湖上関の確立や公認は、十四世
紀ごろになる。堅田に山門横川領有の湖上関が設けられた
のが鎌倉時代の末(『金沢文庫文書』)、越前からの米五
十石が運ばれるに際し、坂本で五斗の関米を払っているの
が乾元二年(1303)(『古田文書』)、日吉社の飾り付け
費を捻出するための戸津関を幕府が公認するのは、室町時
代のこと(永徳三年、1383)である。 

その後、江戸時代の寛永十五年(1638)、加賀藩による西
廻り航路による大坂への米の輸送をはじめ、寛文十二年(
1672)の河村瑞賢による西廻り航路整備が完了して以来、
途中の積み替えの千間賃がかさむため、湖上輸送は衰退
たというのが一般的な理解であるとのこと。西廻廻船ある
いは西廻海運ともいい、江戸幕府の年貢米を運ぶために開
かれたもので、日本海沿岸の北国から西に向かい、下関を
まわって瀬戸内海から大坂に入る航路であり、のちに航路
は、秋田より北にも延びて北海道にまで至った。
この航路
に使われた船を北前船と呼んだが、これは瀬戸内や大坂の
人の呼び名で、実際には北国船、羽賀瀬船と呼ばれる船で
あり、これらも十八世紀中ごろには弁才船にとって代わら
れる。この弁才船も日本海地方の風土的条件にあった形の
ものである。

 



この様に、航路の開設により、敦賀あるいは小浜でいった
ん陸揚げして琵琶湖上を運ぶルート
は、衰退していった。
ちなみに、寛文年間には越後から西廻り航路で大坂まで米
百石を運ぶ費用として十九石を要し
たが、琵琶湖を経て大
津まで運ぶだけで二十二石
三斗八升必要だったという。

                   この項つづく

【エピソード】

 

 

● 稲部保存・道路見直し「反対」―稲枝住民
           「開発を」議会報告会で


彦根淑が稲部遺跡を保存し、道路計画を見直すことを決め
たことに対して21目に稲枝地区公民館で聞かれた議会報
告会では福部遺跡のある稲枝駅西口の早期開発を求める住
民たちが道路計画の見直しに反対姿勢を見せた(しが彦根
新聞、2017.02.25)。反対意見は①観光資源化による費用
便益(Cost Benefit)、②道路開発優先、③遺跡保存の説明
不足、④彦根城周辺市街地開発偏重に集約され、市の方針
転換は困難であるが、市民産業建設常任委員会の市議が住
民意見を市に伝えることで、次のステージに移る。


【脚注及びリンク】
--------------------------------------------  

  1. 古代の都支えた湖畔の製鉄炉 古きを歩けば(49)源
    内峠遺跡 2013.03.12 NIKKE STYLE
  2. 鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係についての試論―
    滋賀県の事例を中心に―」(
    大道和人 滋賀県文化財
    保護協会紀要 No.9 2012.06.08
  3. 淡海文庫 「信長 船づくりの誤算―湖上交通史の再
    検討」用田 政晴【著】1997.07.20
  4. 世界遺産の保全と住民生活-「白川郷」を事例とし
    て-」才津祐美子、福岡工業大学、環境社会学研究
    (12)、 23-40、2006-10-31)
  5. NPO法人 彦根景観フォーラム 第4回世界遺産を目
    指す彦根の課題
     2008.02.29
  6. 世界遺産所在自治体の保全と観光活用に関する取組
    事例集 国交省観光庁 2014.10.24
  7. 世界遺産登録による経済波及効果の分析 えひめ地
    域政策研究センタ 2007.01.11
  8. 世界遺産登録と持続可能な観光地づくりに関する一
    考察『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)
    新井直樹 第11巻,第2号,2008年9月
  9. 世界遺産を活用した観光振興のあり方に関する研究
    運輸政策研究所 第35回 研究報告会 小室充弘
    2015.08.05
  10. 世界遺産登録に向けた取り組み(2014年度)彦根市
  11. 世界遺産に登録されるまで|世界遺産検定 NPO法
    人 世界遺産アカデミー
  12. 高句麗平壌城の都市形態と設計 閔徳植、 国際日本
    文化研究センター学術リポジトリ
  13. 松本市の都市計画 松本市
  14. ひこにゃんがいてもダメ? 彦根城はなぜ世界遺産
    になれないのか 週刊朝日 2013年6月28日号
  15. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー前編 2007.03.02
  16. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー後編 2007.03.09
  17. 第1回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.05
  18. 2回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.07
  19. 第3回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.19
  20. 第4回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
    啓明 2011.10.26
  21. 第8次彦根市交通安全計画 2012,03.22
  22. Core Strategy (2013) - Milton Keynes Council
  23. "The New Towns: There Problems and the Future
    Department for Communities and Local Government,
    2002.11.21
  24. 日本エシカル推進協議会Japan Ethical Initiative-
    エシカル日本
  25. 明治期廃絶城郭の公園化について ―史跡の保存活
    用の前史として― 佐々木孝文
     2015.06.26
  26. 都市とは何か 都市計画なぜ必要か - 東北大学
    奥村誠  2015.10.15
  27. 和歌山市都市計画マスタープラン 和歌山市
    2017.01.12
  28. 和歌山市立地適正化計画 2016.12.22
  29. 日本型田園都市構想―イギリス田園都市と比較し
    京田辺市を見直す―2001.12.11 西村利也
  30. 田園都市とエソテリシズム 吉村正和 2004.03.05
  31. 田園都市論の現代的意義 中井検裕 家とまちなみ
    45、2003.7.8
  32. 住宅地計画論 1.ハワードの田園都市構想園都市
  33. 都市思想の二人の巨人、ジェイコブズとハワード:
    宮﨑洋司市
  34. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.06 28
  35. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  36. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  37. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 03
  38. 平成 28年度 主要事業 彦根市
  39. 都市づくりの基本方針(全体構想) 彦根市 橋梁長寿命
    化修繕計画による対策橋梁について滋賀県
  40. 彦根市都市計画道路網見直し検討調査
  41. 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導の
    まち創る-近世城下町彦根市本町地区の2
    例の場合
    -(これからの都市づくりと都市計画
    制度全国市長
    会) 中島一 2005.05.09
  42. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  43. 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
  44. ドイツ流 街づくり読本  水島信
  45. 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  46. 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  47. 都市計画1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一
  48. 都市計画2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
  49. 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
  50. 道路をどうするのか 五十嵐敬喜・小川明雄 岩
    新書
  51. 日本の道路史 武部健一 中公新書
  52. 道のユニバーサルデザイン 鈴木敏 技報堂
  53. 道路が一番わかる 窪田陽一 技術評論社
  54. 「道路」についての国際比較 藤井聡 2010.3.14
  55. 彦根市都市計画道路網見直し指針 
  56. 地域別のまちづくり方針(地域別構想)-彦根市
  57. 彦根市新市民体育センタ整備基本計画 2016.10.31 
  58. 彦根市立図書館|簡易検索
  59. 中心市街地の活性化に関する法律 Wikipedia
  60. 富山市におけるコンパクトなまちづくりの進捗と展望
    2014.11.26
  61. アウガ Wikipedia
  62. 富山市 人と環境に優しいまち 公式HP
  63. 青森市 都市計画マスタープラン 公式HP
  64. コンパクトシティはなぜ失敗 するのか 富山、青森から
    見る居住の自由 2016.11.08, Yahoo!ニュー
  65. <アウガ>2副市長辞任 青森市政混迷増す 河北
    新聞 2016.01.28
     
          

 -------------------------;--------------------------               

 


田園城郭都市構想 25

2017年02月24日 | 湖と城郭都市

1.ハワードの田園都市構想
2.田園都市論の現代的意義
.日本型田園都市構想
4.和歌山市都市計画と学園城郭都市
5.近代ニュータウンの系譜
       -理想都市像の変遷-
6.世界遺産登録に向けた取り組み
7.街道と湖上交通と都市形成

7-2 湖上交通史

7-2-1 人の移動

 

 ① 丸木舟の技術革新

ここで、著者は、興味深いことを記述している。それは「丸
木船
の技術革新」が起こったと(「第3章 湖に交通史の再
整理」注3)。

丸木舟に技術革新が起きたのは、ちょうど弥生時
代後期から
古墳時代前期にかけての時期、実年代でいうと三
世紀ごろで、
丸木舟にいくつかの部材を組み合わせ、加工を
加えた準構造
船の登場で、
畿内中枢としての大和の首長勢力加入連合の最
上位として前方復
円頂け創出(近藤義郎 1998)されたころ。
このころは、地域間の交流、交通が盛んになる。準構造船も
一気
に普及する。部材は米原町入江内浦遺跡や先の松原内内
遺跡、守山市下長遺跡、能登川町斗西遺跡などで出土して
いるが、
これらの全貌は同時期から出現しはじめる舟形木製
品によってうか
がえ、先端部に波切板、横に舷側板を立て、
各部材はホゾと桜
の樹皮等で結合した舟で、積載量が飛躍的
に増大し、波にも強く、
航行距離が延びる(上図参照)。あ
る種の技術革新に近いもので
あった、と推察する。

このころの琵琶湖上を一手に管理していたと考えられるのが、
安土瓢箪山古墳に葬られた人、首長、に移る。安土瓢箪山古
墳は、がっては湖東の大きな内訓の最足部に突き出ていた、
近江でも最古の部類に入る全長134メートルの近江最大の
前方後円頂である。膳所茶臼山古墳(大津市)も内訓を一望
するような誤植台地の中で最も安定した場所に築かれた長さ
120メートルの前方後円墳頂で、いずれも古墳時代前期の
近江を代表する古墳、首長墓(用田政晴・細川修平 1992)。

 
Wikipedia

高橋選護によると、全長120メートルクラスの前方後円墳
になると、もはや数郡単位の母胎では築けず、旧国単位での
造営になる(
高橋護 1992)、安土瓢箪山や膳所茶臼山に葬
られ
た首長は、近江を代表する人物で琵琶湖を望み、その権
威を知らし
めるようにそこに突き出て墓が築かれている。最
初の湖上全域に力が及んだ首長であると評価できるのである
(用田政晴 1998)。それら以外にもほぼ同時期に築かれ、
と思われる前方後円墳が、琵琶湖の最北端、塩津湾を望むと
ころの塩津丸山古墳群(西浅井町)や琵琶湖が最もせばまっ
た琵琶湖大橋のある付近、その西岸台地上にも和邇犬塚山古
墳(志賀町・大津市)などが知られ、これら琵琶湖のまわり
に知られる四、五基の前方後円頂に葬られた首長たちが、四
世紀の湖上支配者であったとする。

② 中世以降の湖上交通技術史




        近江の海、湊は八十あリ 

時代が八世紀以降になると『万葉集』などの文献で多く知ら
れるように、人の往来が活発になる。「港」「泊」「浦」が
登場する。また天皇が乗った「大御舟(おおみふね)」など
もここに現れ、船の記述は枚挙にいとまがない。天平宝字六
年(762)の『石山院奉写大般若経所』によると、石山津(
大津市)にはたくさんの百姓舟があったという。今の瀬田川
と大戸川の合流点にあたる大津市田上の黒津遺跡では、こう
した川舟の桟橋跡も発掘調査で検出(松浦俊和 1985) その
後、例えば紫式部は長徳二年(996)に、大津から三尾埼(高
島町)、磯(米原町)を経て塩津(西浅井町)へ舟に乗って
いる。翌年も遂に塩津から舟に乗っている(『紫式部日記』)。
そのほか足利将軍、僧侶、連歌師など中世の歴史上の著名人
は湖上をかなり行き来している。



さらに、時代は近代に飛ぶ。明治四年(1871)に太政官布に
が出され、湖上通船取締万を大津県に統一し、大津百艘船や
各藩の特権はすべて解消され、琵琶湖上は晴れて天下の公道
になる。。その2年前、明治二年(1869)には初の蒸気船、
一番丸が海津(マキノ町)~大津間に就航し、明治五年から
七年にかけて14隻の蒸気船が相次いで琵琶湖にデビュー。
一番丸は、12馬力、5トン程度の船で、米原・大津間を走
った金亀丸は、長さ27メートル、幅3.6メートル、積高
18トンといわれ、丸子船でいうと120石積み程度の船で
それまでの本造船との規模的な差は見あたらない。

その後、明治十六年(1883)、日本初の鋼鉄船太湖丸(51
6トン)が琵琶湖に浮かんだ。これは、わが国最初の鉄道連
絡船。しかしこの鉄道連続船も明治22年(1889)、犬津・
長浜間の鉄道開通により廃止される。明治39年(1906)の
総計を見ると、当時の太湖汽船および湘南汽船の乗船客数は、
77万4千人と対鉄道乗客比五52パーセントであったが、
大正11年(1926)には、120万8千人と増えてはいるも
のの、対鉄道乗客比は26パーセントにしかすぎず(小林博
1984)、船客と取り扱い貨物量のピークは大正十五年(1931
)で、湖上での大量輸送の時代は、大正年間にそのピークを
迎えて、以後は、下降線をたどる。

そして、穴村航路の廃止が昭和四十年(1965)、坂本・浜大
津・石山寺・南郷航路の廃止が昭和42
年(1967)、大津・
山田間の航路が廃止されたのが昭和43
年(1968)であると
し、人の湖上での移動を丸木舟の起源から6つに区分してい
る。

  1. 前方後円墳が築かれはじめた古墳時代初頭、三世紀の
    ころ、丸木舟の発展形態を備える準構造船が出現:船
    の積載能力や波切り能力等が飛躍的にのびる、船の技
    術史上において革新的な出来事であり、畿内王権に組
    み込まれた首長による琵琶湖域の支配がはじまり、巨
    大モニュメントが残される第一の画期。
  2. 次は七世紀の古代律令国家の成立期に、国を支配する
    ための大事な道としての湖上整備。
  3. その後は、権力者による自由航行と利用とでもいうべ
    き織田仁長による十六世紀後葉の動向。
  4. 明治22年(1889)の鉄道連絡船の廃止、
  5. 大正14年(1925)の湖上交通衰退期の始まり
  6. 昭和40年(1965)ごろの消滅へと続く。

                                   
      この項つづく
      

【エピソード】

 

【脚注及びリンク】
-------------------------------------------- 

  1. 古代の都支えた湖畔の製鉄炉 古きを歩けば(49)源
    内峠遺跡 2013.03.12 NIKKE STYLE
  2. 鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係についての試論―
    滋賀県の事例を中心に―」(
    大道和人 滋賀県文化財
    保護協会紀要 No.9 2012.06.08
  3. 淡海文庫 「信長 船づくりの誤算―湖上交通史の再
    検討」用田 政晴【著】1997.07.20
  4. 世界遺産の保全と住民生活-「白川郷」を事例とし
    て-」才津祐美子、福岡工業大学、環境社会学研究
    (12)、 23-40、2006-10-31)
  5. NPO法人 彦根景観フォーラム 第4回世界遺産を目
    指す彦根の課題
     2008.02.29
  6. 世界遺産所在自治体の保全と観光活用に関する取組
    事例集 国交省観光庁 2014.10.24
  7. 世界遺産登録による経済波及効果の分析 えひめ地
    域政策研究センタ 2007.01.11
  8. 世界遺産登録と持続可能な観光地づくりに関する一
    考察『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)
    新井直樹 第11巻,第2号,2008年9月
  9. 世界遺産を活用した観光振興のあり方に関する研究
    運輸政策研究所 第35回 研究報告会 小室充弘
    2015.08.05
  10. 世界遺産登録に向けた取り組み(2014年度)彦根市
  11. 世界遺産に登録されるまで|世界遺産検定 NPO法
    人 世界遺産アカデミー
  12. 高句麗平壌城の都市形態と設計 閔徳植、 国際日本
    文化研究センター学術リポジトリ
  13. 松本市の都市計画 松本市
  14. ひこにゃんがいてもダメ? 彦根城はなぜ世界遺産
    になれないのか 週刊朝日 2013年6月28日号
  15. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー前編 2007.03.02
  16. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー後編 2007.03.09
  17. 第1回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
    木啓明 2011.10.05
  18. 2回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
    木啓明 2011.10.07
  19. 第3回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
    木啓明 2011.10.19
  20. 第4回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
    木啓明 2011.10.26
  21. 第8次彦根市交通安全計画 2012,03.22
  22. Core Strategy (2013) - Milton Keynes Council
  23. "The New Towns: There Problems and the Future
    Department for Communities and Local Government,
    2002.11.21
  24. 日本エシカル推進協議会Japan Ethical Initiative-
    エシカル日本
  25. 明治期廃絶城郭の公園化について ―史跡の保存
    活用の前史として― 佐々木孝文
     2015.06.26
  26. 都市とは何か 都市計画なぜ必要か - 東北大学
    奥村誠  2015.10.15
  27. 和歌山市都市計画マスタープラン 和歌山市
    2017.01.12
  28. 和歌山市立地適正化計画 2016.12.22
  29. 日本型田園都市構想―イギリス田園都市と比較し
    京田辺市を見直す―2001.12.11 西村利也
  30. 田園都市とエソテリシズム 吉村正和 2004.03.05
  31. 田園都市論の現代的意義 中井検裕 家とまちなみ
    45、2003.7.8
  32. 住宅地計画論 1.ハワードの田園都市構想園都市
  33. 都市思想の二人の巨人、ジェイコブズとハワード:
    宮﨑洋司市
  34. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.06 28
  35. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  36. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  37. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 03
  38. 平成 28年度 主要事業 彦根市
  39. 都市づくりの基本方針(全体構想) 彦根市 橋梁長寿
    命化修繕計画による対策橋梁について
    滋賀県
  40. 彦根市都市計画道路網見直し検討調査
  41. 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主
    のまち創る-近世城下町彦根市本町地区の2
    例の
    場合-(これからの都市づくりと都市計画
    制度全
    国市長会) 中島一 2005.05.09
  42. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  43. 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
  44. ドイツ流 街づくり読本  水島信
  45. 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  46. 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  47. 都市計画1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一
  48. 都市計画2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
  49. 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
  50. 道路をどうするのか 五十嵐敬喜・小川明雄 岩
    波新書
  51. 日本の道路史 武部健一 中公新書
  52. 道のユニバーサルデザイン 鈴木敏 技報堂
  53. 道路が一番わかる 窪田陽一 技術評論社
  54. 「道路」についての国際比較 藤井聡 2010.3.14
  55. 彦根市都市計画道路網見直し指針 
  56. 地域別のまちづくり方針(地域別構想)-彦根市
  57. 彦根市新市民体育センタ整備基本計画 2016.10.31 
  58. 彦根市立図書館|簡易検索
  59. 中心市街地の活性化に関する法律 Wikipedia
  60. 富山市におけるコンパクトなまちづくりの進捗と展望
    2014.11.26
  61. アウガ Wikipedia
  62. 富山市 人と環境に優しいまち 公式HP
  63. 青森市 都市計画マスタープラン 公式HP
  64. コンパクトシティはなぜ失敗 するのか 富山、
    青森から見る居住の自由 2016.11.08, Yahoo!ニュー
  65. <アウガ>2副市長辞任 青森市政混迷増す 河北
    新聞 2016.01.28
     
         

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田園城郭都市構想 24

2017年02月23日 | 湖と城郭都市

1.ハワードの田園都市構想
2.田園都市論の現代的意義
.日本型田園都市構想
4.和歌山市都市計画と学園城郭都市
5.近代ニュータウンの系譜
       -理想都市像の変遷-
6.世界遺産登録に向けた取り組み


7.街道と湖上交通と都市形成
7-1 稲部遺跡と歴史背景

 

16日、彦根市は、弥生時代後期から古墳時代中期(2~
5世紀)時代の大規模な遺構が見つかった彦根市稲部町か
ら彦富町にかけての稲部遺跡を保存するため、彦根市は当
初予定していた道路計画を見直す。今後は道路を含めた稲
枝駅西口開発の早期実現を目指す地元側との調整が必要と
する。
 

17日、同市は稲部遺跡の国の史跡指定を目指すと発表。
市教委文化財課では発掘中の稲部遺跡のうち、重要な遺構
部分の範囲確認を本年度に実施。範囲確認後に国の史跡指
定を受けて、保存整備を行う予定。

市はまた稲部遺跡の保存に伴い、稲枝駅西口の道路計画の
見直しを決定。当初は稲部本庄線と芹橋彦富線をT字路型
に合流させ、稲枝駅につなげる予定だったが、稲部遺跡を
避ける形で新たな路線を築くことになり、総延長も約2百
㍍延びる。

この遺跡は、弥生時代末期から古墳時代初期にかけて、鉄
製の武器や工具を作っていた当時の国内最大規模鉄器生
産センタ
だった可能性がある遺構が発見。また古墳時代前
期の巨大な倉庫が建っていたとされる建物跡も見つかり、
当時の物流拠点の中心地だったことが判明する。これらか
ら、稲部遺跡の集落は弥生時代後期から古墳時代中期まで
約400年間続き、3世紀前半の邪馬台国時代には最盛期
を迎え、当時の倭の国にあった約330のクニの1つに数

えられる重要な遺跡として全国的に注目されている。

そこで、疑問になるのは原料の鉄鉱石・砂鉄(平安時代に
砂鉄に一本化する)をどこから調達してきたかと言う点。
弥生時代後期には需給ギャップにより朝鮮半島に依存して
いたという見方が主流、そこで、近江の製鉄技術は渡来人
がもたらしたと考えられているが、朝鮮半島に先立つ事例
はなく、その由来については様々な見方があり、製鉄は当
時の朝鮮半島や中国大陸でも先端技術、機密扱いで、外に
漏れることはなかった故、国内・畿内で調達され、独自に
技術開発されてきたとする見方があるなかでの、稲部遺跡
の発見である(「鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係につい
ての試論―滋賀県の事例を中心に―」注2)。



7-2 湖上交通史

彦根市と街道史についてはすでに、「城郭都市の設計史」
などで触れており、必要に限り記載していくことし、ここ
では、用田政晴 著「信長 船づくりの誤算―湖上交通史
の再検討」注3)を参考に湖上交通と都市形成として記述す
る。

7-2-1 人の移動

全国的に見ると丸木舟の初現は、長崎県伊水力遺跡で縄文
時代早期末(六千年ほど前)、縄文時代前期には、若狭の
鳥浜貝塚でも丸木舟が出土。このころは、全国的に丸木舟
の出土例か増え、琵琶湖でも、4遺跡20例をはるかに越
える全国一の出土例を誇る琵琶湖の丸木舟で、縄文時代後
期以前(約四万年前)のものは知られていない。

彦根市松原内湖遺跡では、内湖のさらに奥まった入り江で
12隻の丸木舟が発見されている。一つの集落には、ある
程度の数の丸木舟があったとされる。こうした丸木舟は、
波が穏やかだと時速3.6キロメートルで航行が可能である
という実験結果もある。また、製作途中の丸木舟とすでに
完成していた丸木舟が、松原内訓遺跡では近接し見つかっ
ている。琵琶湖のほとんどの丸木舟は杉で作られているに
もかかわらず、この未製品は桜の木材が用いられているこ
とや、製作中に舟の中はとがら切断されていることなとが
ら、丸木舟であることを疑問視する向きもあるが、木を火
で焦がしながら削られている。

                    この項つづく




 

【エピソード】

● 松原内湖遺跡

 Sep. 18, 2016

彦根市の北にはかつて松原内湖が広がり、米原町の入江内
湖と今の矢倉川で一部がつながっていた。戦後の干拓事業
でその多くは水田になってしまったが、旧松原内湖の東側
湖岸付近は、山に囲まれた内湖で、さらに湾のような地形
であった。このかつての湾に面した湖岸付近が松原内湖遺
跡として知られ、下水道東北部浄化センター建設に先立ち、
1985年から87年にわたって発掘調査が実施。その結
果、旧内湖の湖岸およびその沖のヨシが堆積してできた厚
腐植土層から、縄文時代後期~古墳時代を中心としたた
くさん
の遺物が出土。この層は、一般にスクモと呼んでい
るが、こ
れは非常に軟弱な層で水分をたくさん含んでいる。

近くでバックボーなどの重機が作業していると地面がゆら

ゆらとゆっくり揺れるほどである。それだけに木製品の保
存状況は非常に良かった。余談になるが、今は下水処理場
であるが、天保年間以降の彦根藩の火薬庫跡も発掘されて
いる。中でも12隻見つかった縄文時代後期を中心とする
丸木舟は、琵琶湖周辺での遺跡の中では最も多い出土量。
縄文時代晩期の四弦琴、弥生時代の小銅鐸として使われた
銅織、古墳時代の木製短甲、蓋、奈良時代の巻胎漆器をは
じめ多くの木裂品は、注目を集める。

【脚注及びリンク】

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  1. 古代の都支えた湖畔の製鉄炉 古きを歩けば(49)源
    内峠遺跡 2013.03.12 NIKKE STYLE
  2. 鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係についての試論―
    滋賀県の事例を中心に―」(
    大道和人 滋賀県文化財
    保護協会紀要 No.9 2012.06.08
  3. 淡海文庫 「信長 船づくりの誤算―湖上交通史の再
    検討」用田 政晴【著】1997.07.20
  4. 世界遺産の保全と住民生活-「白川郷」を事例とし
    て-」才津祐美子、福岡工業大学、環境社会学研究
    (12)、 23-40、2006-10-31)
  5. NPO法人 彦根景観フォーラム 第4回世界遺産を目
    指す彦根の課題
     2008.02.29
  6. 世界遺産所在自治体の保全と観光活用に関する取組
    事例集 国交省観光庁 2014.10.24
  7. 世界遺産登録による経済波及効果の分析 えひめ地
    域政策研究センタ 2007.01.11
  8. 世界遺産登録と持続可能な観光地づくりに関する一
    考察『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)
    新井直樹 第11巻,第2号,2008年9月
  9. 世界遺産を活用した観光振興のあり方に関する研究
    運輸政策研究所 第35回 研究報告会 小室充弘
    2015.08.05
  10. 世界遺産登録に向けた取り組み(2014年度)彦根市
  11. 世界遺産に登録されるまで|世界遺産検定 NPO法
    人 世界遺産アカデミー
  12. 高句麗平壌城の都市形態と設計 閔徳植、 国際日本
    文化研究センター学術リポジトリ
  13. 松本市の都市計画 松本市
  14. ひこにゃんがいてもダメ? 彦根城はなぜ世界遺産
    になれないのか 週刊朝日 2013年6月28日号
  15. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー前編 2007.03.02
  16. 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
    JAPAN インタビュー後編 2007.03.09
  17. 第1回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
    木啓明 2011.10.05
  18. 2回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
    木啓明 2011.10.07
  19. 第3回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
    木啓明 2011.10.19
  20. 第4回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
    木啓明 2011.10.26
  21. 第8次彦根市交通安全計画 2012,03.22
  22. Core Strategy (2013) - Milton Keynes Council
  23. "The New Towns: There Problems and the Future
    Department for Communities and Local Government,
    2002.11.21
  24. 日本エシカル推進協議会Japan Ethical Initiative-
    エシカル日本
  25. 明治期廃絶城郭の公園化について ―史跡の保存
    活用の前史として― 佐々木孝文
     2015.06.26
  26. 都市とは何か 都市計画なぜ必要か - 東北大学
    奥村誠  2015.10.15
  27. 和歌山市都市計画マスタープラン 和歌山市
    2017.01.12
  28. 和歌山市立地適正化計画 2016.12.22
  29. 日本型田園都市構想―イギリス田園都市と比較し
    京田辺市を見直す―2001.12.11 西村利也
  30. 田園都市とエソテリシズム 吉村正和 2004.03.05
  31. 田園都市論の現代的意義 中井検裕 家とまちなみ
    45、2003.7.8
  32. 住宅地計画論 1.ハワードの田園都市構想園都市
  33. 都市思想の二人の巨人、ジェイコブズとハワード:
    宮﨑洋司市
  34. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.06 28
  35. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  36. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 26
  37. 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
    佐藤健正、2016.07 03
  38. 平成 28年度 主要事業 彦根市
  39. 都市づくりの基本方針(全体構想) 彦根市 橋梁長寿
    命化修繕計画による対策橋梁について
    滋賀県
  40. 彦根市都市計画道路網見直し検討調査
  41. 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主
    のまち創る-近世城下町彦根市本町地区の2
    例の
    場合-(これからの都市づくりと都市計画
    制度全
    国市長会) 中島一 2005.05.09
  42. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  43. 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
  44. ドイツ流 街づくり読本  水島信
  45. 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  46. 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  47. 都市計画1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一
  48. 都市計画2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
  49. 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
  50. 道路をどうするのか 五十嵐敬喜・小川明雄 岩
    波新書
  51. 日本の道路史 武部健一 中公新書
  52. 道のユニバーサルデザイン 鈴木敏 技報堂
  53. 道路が一番わかる 窪田陽一 技術評論社
  54. 「道路」についての国際比較 藤井聡 2010.3.14
  55. 彦根市都市計画道路網見直し指針 
  56. 地域別のまちづくり方針(地域別構想)-彦根市
  57. 彦根市新市民体育センタ整備基本計画 2016.10.31 
  58. 彦根市立図書館|簡易検索
  59. 中心市街地の活性化に関する法律 Wikipedia
  60. 富山市におけるコンパクトなまちづくりの進捗と展望
    2014.11.26
  61. アウガ Wikipedia
  62. 富山市 人と環境に優しいまち 公式HP
  63. 青森市 都市計画マスタープラン 公式HP
  64. コンパクトシティはなぜ失敗 するのか 富山、
    青森から見る居住の自由 2016.11.08, Yahoo!ニュー
  65. <アウガ>2副市長辞任 青森市政混迷増す 河北
    新聞 2016.01.28
     
        

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