滋賀の山々 Ⅴ

2016年03月31日 | ナショナルトレッキング

     


作成日:2016.03.30|更新日:

【伊吹山】 

 「日本百名山」の一つとして有名で、山頂近<の草原で
はたくさんの高山植物が見られ、
多くの人で賑わう。4
月下句から可憐な花が咲き始め、お花畑は7月初句から
9月中旬が見頃となる。そ
れらの花の中には伊吹山で初
めて採取された
ものも多く、イブキトリカブトやイブキ
ジャ
コウソウ、イブキトラノオのように「イブキ」の名が
付けられている。
山頂までは岐阜県側からはドライブウ
ェイ
がある。

夏の時期は、樹林が少ないこともあり、夜
間登山が盛ん
で、夜にはユウスゲやヒメボタ
ルを見ることができる。
また、冬の時期は
積雪も多いことから霊山登山者も多く
なる
。山頂からは360度の展望が広がり、伊勢湾から
日本アルプス、自山などの山々を望む
ことができる。山
頂には、日本武尊(やま
とたけるのみこと)の像があり、
古くからの信
仰の山でもある。

伊吹登山口から山頂への往復

行程:12キロメートル(7時間)

伊吹登山ロパス停から三之宮神社の鳥居をくぐり、右の
登山口から登ります。梅林帯を
抜けると視界が開け一合
目に到着する。目
の前にはスキー場跡の草原が広がりる。
レンテ跡の斜面を登り、急坂を登ると三合目に到着。
ここから眺める伊吹山の全容
は素晴らしい。七月下旬か
ら八月上
旬にはユウスゲの見事な群落を見ることがで
る。四合目からは石のコロゴロした登山
道が続くが、五
合目らはこれから登る
登山道が一望でき、つづら折の急
な登山
道が続きますが、登山道沿いには様々な花を見な
がら登ることができる。



六合目には、避難小屋があり、急な登りを振り返ると琵
湖まで広がる素晴らしい眺めを堪能でき、七合目か
はさらに厳しい岩場の登りになり、登山道は石灰岩土

で滑りやすくなるので、特に下りは十分注意が必要。

合目の台地に上がると西登山道と合流し、ここまで来

と山頂はすぐ。山頂には、
売店、仮眠のできる宿舎など
があり、最高地
点には日本武尊(やまとたけるのみこと
)の像がある。ここからは、山頂のお花畑をいくつかの
ースで周遊することができる。帰路は登ってきたコー
スを下山する。



● 一泊でパラグライダーをマスター

パラグラーダーでのフライトをコースインのため、「伊
吹山パ
ラグライダースクール」でマスターしよう。伊吹
登山を楽しむ前
で、楽しんだ後で半日のスクールを受講。
その間に、キャンピ
ングやペンションで宿泊(「いぶき
ペンション」)を楽しもう(上下写真クリック)。



「ハイク&フライ」のフライのコースインの具体的例示
は未決定だが、イメージでいうと賤ヶ岳からテイクオフ
し、竹生島でランディングし、そこから、クルージンン
グあるいはカヤックで海津大崎まで移動し、次の目的地
までハイクをリスタートさせるというものを考えている。

【金糞岳

金糞岳 花房コース~中津尾根 

金糞岳(かなくそだけ、きんぷんだけ)は、日本の近畿
地方最北東部、中部地方西部に位置し、長浜市上草野地
区と岐阜県揖斐郡揖斐川町の境界に所在する、標高1,317
メートルの山。伊吹山地に属す。 県内では伊吹山に次ぐ
標高第2位の山であり、また、「関西百名山」および「
ぎふ百山」に選定されている。かつて滋賀県側の麓では
「ノタ」または「ミタニ」と呼ばれていた。草野川東俣
谷に古い鉱山跡があり、周辺には製鉄遺跡がある。鉱石
を溶精する際に生じる金屎(かなくそ)が、山名の由来
とする説がある。 

【エピソード】

 
 

   

【脚注及びリンク】
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  1. 山岳ファイル No.9 伊吹山|滋賀県
  2. 金糞岳 Wikipedia
  3. 賤ヶ岳 Wikipedia
  4. 霊仙山-柏原駅 ヤマレコ
  5. 伊吹山パラグライダースクール
  6. ペンションいぶき
  7. 御在所岳 Wikipedia
  8. 霊仙山  ヤマレコ
  9. 雨乞岳~御在所岳 ヤマレコ 
  10. 釈迦ケ岳~御在所岳 ヤマレコ
  11. 藤原岳~竜ヶ岳~釈迦ヶ岳 ヤマレコ
  12. 藤原岳~御池岳~鈴北岳~三国岳 ヤマレコ
  13. 三国岳~五僧峠~谷山~雲仙岳 ヤマレコ
  14. 田中澄江 「花の百名山」
  15. 田中澄江 「新・花の百名山」 
  16. 滋賀の山ガイド:トレッキングの魅力と安全「滋賀の山
    を歩こう
     2015.10.09  

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城郭都市の設計史33

2016年03月31日 | 湖と城郭都市

【事例研究:道づくり Ⅱ】

前回は、上代から近世に亘る道路について、彦根-多賀、
彦根-永源寺の二つの参道について俯瞰したが、今回
上代から現在までの道路整備の歴史を俯瞰し未来の都

と道路のありようを素描してみる。尚、この考察に当

っては脚注の4冊の本――五十嵐敬喜・小川明雄 共著

『道路をどうするのか』、武部健一著『日本の道路史』、
鈴木敏著『道のユニバーサルデザイン』、 窪田陽一著
『道路が一番わかる』――を参考にする。

例えば、古代エジプト人はギザの大ピラミッドの建設資
材運搬
に巨大石重量に耐える石畳の道を整備。中国では
一部石畳で整備した全長を4万キロメートルの大規模な
街道を、
インカ人が伝令たちが使う街道をアンデス山脈
に張り巡らせ
マヤ人もメキシコで石畳の道路網を整備。
道路整備は統治や徴税、軍事のため「すべての道は、

ーマに通ず」と言われ道路は領土の拡大と繁栄に貢献し
た。そのアッピア街道など
の維持補修費は道路を伸ばす
ほど膨れあがり、帝国滅亡の要因――総労働に占める割
合が逓増しといわれ(上図参照)、
絹貿易の陸路シルク
ロード沿いには隊商を迎える中継都市が
栄え、ハンザ同
盟などによる都市間交易が盛んとなる。

ところで、アッピア街道時代の情報伝達速度は、現在の
ように、一秒間で地球を数周できる時代と大きくことな
り一日10キロメートルで時代が下って鎌倉時代でも一
日百キロメートル強と情報伝達速度の側面からも重要で
あった。

このように、歴史的変遷事例を「東海道ルート」で俯瞰
すると下表のようにまとめられているので参考に掲載す
る。

 

● 3つの環境と道路整備

伝代の道路整備は、従来の統治と経済的側面に加え環境
配慮――自然環境・歴史環境・社会環境の――が必須と
なっている。
例えば、日本道路公団元常任参与で道路技
者の武部健一に影響を与え、名神高速道路の技術指導し
た西ドイツのアウトバーンの設計専門家クサヘル・ドル
シュは次のような言葉を残こしている。


 世界に道路の数は多いが、名神高速道路ほど周囲に
 すばらしい景観を持つ道路は他にない。したがって
 このように風致にすぐれた地帯を通る区間では、で
 きるだけ風景との調
和を図らねばならない。風景の
 美しさと高速道路の近代的で優雅な線形の融合、い
 いか
えれば、自然と人工的に築造された高速道路と
 の完全な調和が実現した場合、高速道路
 は非常に
 価値のあるものになる。

          
『クサヘル・ドルシュ報告書』




その具体的事例として湖東三山の一つ西明寺の参道の景
観を損なわれないように道路を地下に参道を高架交差さ
せるように施工しているが(上写真)、これは景観(歴
史)的環境配慮、騒音対策のアクリル製遮音壁は、景観
と社会的環境配慮の事例であり、災害・排気ガス・渋滞・
交通事故など社会的環境配慮――対策としては、リダン
ダシー(redundancy)つまり、余裕・重複・冗長の意味
をもたせるた、拡幅・バイパス(避難)道路や信号機を
除去したラウンドアバウトなど、また、排気ガス対策と
しての除去(電気自動車の普及)が該当――など挙げら
れるだろう。

● 道路とは何か

ところで道路の定義に関して、『日本の道路史』で武部
は「道路とは、交通のためにそれに耐えうる基盤を持ち、
その上に一定の空間えお連続的に備えた帯状の施設」と
規定(コード化)すが、インフラ(電気・上下水道・通
信・ガス・鉄道などの公共施設に密接に絡み付加価値が
年々高まっている。あるいは、電線の地下埋設化やバリ
ヤーフリー化、融雪・凍結防止、あるいは、太陽光輻射
防止、透水舗装化などの高付加・高機能化が進んでいく
ものと考えられる。左様に未来の道路は発電し給電し、
音声を発したりするいわゆるロボット化していくのでは
とも思える。そこで、『道路が一番わかる』では次のよ
うに新しい道路を素描する。

● 新しい道路イメージ

  1. 道路景観
  2. 自然環境との調和
  3. 人と車との共存
  4. 道路のユニバースデザイン 
  5. 公共交通機関との共存
  6. 情報化と道路交通
  7. 道路の災害対策
  8. 道路と公共施設の高機能的融合

さらに『道のユニバーサルデザイン』ではパブリック・
コード(準拠すべき公共規定・倫理規定)の原則を次の
ように提示している。

● ユニバーサルデザインの7原則

  1. 誰でも公平に利用されること
  2. 使う上で柔軟性に富むこと
  3. 簡単で直感的に理解できること
  4. 必要な情報が簡単に理解できること
  5. 単純なミスが危険なことにつながらないこと
  6. 身体的な負担が少ないこと
  7. 接近して使える寸法や空間になっていること  

● 財政的一考察

『道路をどうするか』に掲載された表4-2(下表)に
よると可住む面積当たりでの比較数値が示されているが
分析がなされず、次節の「借金の残高」に移る。地形が
複雑で道路などの工事もそれに伴い複雑化するだろうと
予測され、つまり、工事の質が高くなるはずだかこれだ
けでは不詳である。また、日本のおよそ半分の人口で国
土は同しぐらいのドイツが記載されていないが、道路総
延長距離数では、2010年度調査で日本が121万キ
ロ、ドイツが半分の64.5万キロと約半分で人口比と
ほぼ同じである。つまり、このような比較は意味がない
ように思えるし、例え可住面積当たりで飛び抜けていて
も、車の保有台数当たりの比較かの数値や、道路利用率
(定義が難しい)とかの多角的分析が必要だろうし、根
本的には、必要とされる道路(どの程度?これも定義が
難しい)であれば、有効需要と見なし財政処理を行えば
よいわけで、保全費用がか嵩むというのであれば、総労
働力(=生産力)の配分バランスを考え新規・改修延長
距離の増長を制御すればよいと考える。

  

                             この項つづく

【エピソード】 
 
   
       

観光客の視点から彦根のみた場合、物足りないものは、
日本一のパワースポットである琵琶湖を散策しながら見
ることができないところ。それじゃと思い立つのが「
通り街構想」。夢京橋から一直線で湖岸に出て、湖岸道
路の手前で地下道を通って人工渚に出て渚でちょっした
クルージングやオープンテラスで休息できるような施設
を設けるいうもの。

 

【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------
   
 

  1. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  2. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  3. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  4. 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導
    のまち創る-近世城下町 彦根市本町地区の2例の
    場合-(これからの都市づくりと都市計画制度 全
    国市長会) 中島一 2005.05.09
  5. 「城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷出版
  6. 「続・城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷
    出版部 
  7. 中島一・水野金一・田中治是『建築空間における
    都市計画額』コロナ社
  8. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  9. 内藤昌編著『城の日本史』角川書店
  10. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  11. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  12. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  13. ボーデン湖 Wikopedia
  14. コモ湖 Wikipedia
  15. ネッカー川 Wikipedia
  16. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  17. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  18. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  19. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  20. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論とし
    ての『絹と明察』(1)~(7)詩文楽-Shibun-
    raku
  21. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  22. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  23. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  24. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  25. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  26. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  27. リンダウ - Wikipedia
  28. ハイデルベルグ Wikipedia
  29. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  30. 城郭都市 Wikipedia
  31. List of cities with defensive walls Wikipedia
  32. ヨーロッパ100名城 Wikipedia 
  33. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  34. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  35. 万里の長城 世界史の窓  
  36. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  37. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  38. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  39. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」太
    田浩司 サンライズ出版
  40. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移
    築大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  41. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出
    版2007
  42. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタ
    ル・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.
    27 
  43. 彦根市指定文化財 「山崎山城跡
  44. 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
  45. ドイツ流 街づくり読本  水島信
  46. 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  47. 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  48. 都市計画-1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一   
  49. 都市計画-2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
  50. 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
  51. 「協働的プランニング」の都市計画理論 Patsy He-
    aley ,“Collaborative Planning”2010.02.13
        
  52. 第4回 リスク社会論 ベック・ギデンズ・ルーマ
    ンの「リスク」論(現代都市文化論演習 2009)筑
    和 正格 2010.05.25
     
  53. ビフォア・セオリ 現代思想の<争点> モダンと
    ポストモダン 慶應義塾大学出版会|人文書
     
  54. 道路をどうするのか 五十嵐敬喜・小川明雄 岩波
    新書
  55. 日本の道路史 武部健一 中公新書
  56. 道のユニバーサルデザイン 鈴木敏 技報堂
  57. 道路が一番わかる 窪田陽一 技術評論社
  58. 「道路」についての国際比較 藤井聡 2010.3.14
  59. 彦根市都市計画道路網見直し指針 
  60. 地域別のまちづくり方針(地域別構想)-彦根市 

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滋賀の山々 Ⅳ

2016年03月29日 | ナショナルトレッキング

     


作成日:2016.03.28|更新日:

【霊山山と御在岳】 

日本二百名山、関西百名山及び鈴鹿セブンマウンテンに
選定され、三重県三重郡菰野町と滋賀県東近江市の境に
ある標高1212メートルの鈴鹿国定公園の中に位置し
御在所岳から霊仙山に向かうコースは5、6ケースぐら
い考えられるがベストメインルートは、複数の体験者と
相談の上決めることしよう。勿論、三重との県境にある
ため"ナショナル"の意味合いには2、3県(三重・福井
あるいは、それ以上の岐阜県、京都府)もコースインす
ることも考慮する。

さて、霊仙山は、鈴鹿山脈の北端に位置し、石灰岩から
なる山
で頂上では360度のパノラマが広がり、琵琶湖
や伊吹
山はもちろん、白山や伊勢湾、時にはアルプスの
山々までも見渡すことができる。花も多く、田中澄江の
「花の百名山」にもあげられ、早春のフクジュソウから、
ミスミソウ、ニリンソウ、ヤマシャワヤフ、イブキトリ
カブトなどを求めて多くの登山者が訪れる。
 

また、石灰岩からなる霊仙山は、カレンフェルトやドリ
ネなどカルスト台地特有の地形を見ることができる。
近くには「河内の風穴」があり、鍾乳洞の中を散策する
こともできる。霊仙山の名からわかりますように、周囲
の山や峰には、経塚山や阿弥陀岳などがあり、周辺の山
麓には宗教的な雰囲気かただよっている。

● 霊仙山単一コース

霊他山に登るコースには、いくつかのコースがあります
が、ここでは代表的な2つのコースを紹介。季節や時間、
体力、登山道の状況も考慮しコースを選べば、いくつも
の楽しみ方ができる。

1.榑ヶ畑コース 行程:16キロ×6.5時間

醒井養蜂場でバスを降り、宗谷川沿いに林道を登ってい
きます。登山口には、東屋と案
内板があり、ここでコー
スを確認し、登山道
を進み栂ケ畑の集落跡を通ると、山
小屋「か
なや」があるので飲物等を補給することがで
る。ここから本格的な登山道に入り、急
なジグザグ道を
登り、汗拭き峠からは広
葉樹の森が続く。そのまま進む
と5合目
の見腫台に到着します。ここからも急なジグ
ク道を登り、7合目に到着すると、前方が開け霊仙山の
山頂が見え、お虎が池を通り、経塚山から南西方向に折
り返し、カレンフェルトの中を進んでいくと、霊仙山に
到着。最高点はそこから南東の方向にある。下山は、今
来た登山道を引き返す。7合目からは急な下り坂が続く
ので要注意。

2.霊仙山・西南尾根周遊コース 行程:18.5キロ
                     ×8時間

汗拭き峠から落合集落に下り、今畑から登り、西南尾根
を登り、霊仙山、経塚山を周遊し、汗拭き峠に帰るコー
ス。汗拭き峠から大洞谷沿いを下り、落合を経由し、今
畑登山ロから、植林地、ブナの混ざる登山道を登り、笹
峠を過ぎ、急坂を登る。急坂を登り、近江展望台、南霊
岳を経由し、雲仙山最高点を目指す。霊仙山から経塚山、
見積台を経由し、汗拭き峠に戻る。

 

【エピソード】

 
 

  

 

【脚注及びリンク】
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  1. 山岳ファイル No.8 霊仙山|滋賀県
  2. 御在所岳 Wikipedia
  3. 霊仙山  ヤマレコ
  4. 雨乞岳~御在所岳 ヤマレコ 
  5. 釈迦ケ岳~御在所岳 ヤマレコ
  6. 藤原岳~竜ヶ岳~釈迦ヶ岳 ヤマレコ
  7. 藤原岳~御池岳~鈴北岳~三国岳 ヤマレコ
  8. 三国岳~五僧峠~谷山~雲仙岳 ヤマレコ
  9. 田中澄江 「花の百名山」
  10. 田中澄江 「新・花の百名山」 
  11. 滋賀の山ガイド:トレッキングの魅力と安全「滋賀の山
    を歩こう
     2015.10.09  

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城郭都市の設計史32

2016年03月23日 | 湖と城郭都市

 

【事例研究:道づくり Ⅰ】

ここでは、過去から近未来にかけ「道」について考察する。まず
は上代から近世の変遷を俯瞰する。

● 多賀大社と彦根藩

徳川家はもと三河松平郷(現愛知県豊田市)の豪族。徳川
家康の時代に織
田伍長の盟友として徐々に力を蓄え、慶長
五年(1600)豊臣側の石田三成の西軍を関
ケ原で破り
豊臣秀吉の後を襲って天下人になる。
彦根の佐和山に麾下
の<名将井伊直政を移封しました。従って、関ケ原合戦後、

井伊家初代の直政が佐和山城へ入封することで、多賀大社
と彦根藩主井伊家との関
わり生まれる。

織田信長、豊臣秀吉と比べると、徳川家康は多賀大社との

直接的関係は薄く、その崇敬は、井伊家を通して十分に披
瀝される。多賀大社別当不動院代々の院主は、京都の公家
の日野家の出身者が勤めていたが、多賀大社の管理運営が
衆議制から不動院に移行してからの代々の院主は、その時
の中央権力との関係を強く保ち信仰圈の拡大や造営の事業
には必ず大きな助成を得ている。なかでも不動院院生娘五
世の大僧正慈性は、慶長五年八歳にして京都・青蓮院の院
家尊勝院へ入院、同十二年(1607)十五歳にして不動
院と兼帯を許され、そのお礼に同二月十五日駿河に参府す
る。

また、元和五年(1619)九月十五日には徳川秀忠が
神領多賀村のうち三百五十石を安堵する朱印状を発してい
る。この三百五十石は、実は当時の多賀大社の維持運営に
は五百石を要したようで、間に立った井伊家では幕府に加
増を斡旋するが捗どらず、ついに慶安四年(1651)、
井伊直孝は不足分の百五十石を多賀村の内で寄進する。寛
永十五年(1638)には、十年余の歳月を要した大社の
大造営を竣工する。これも慈性の活躍で大願を果す。多賀
大社と井伊家との関わりも、先の犬造営や神領加増の訴訟
を契機に、二代藩主直孝と慈性がより親交を深めても不思
議でない。

 

※将軍秀忠病気平癒祈願のため春日局の代参があり、彦根
 藩
主の井伊家は多賀大社表参道整備を行った際の中山道
 高宮宿
の鳥居をこのとき建立したと伝えられる。

井伊家では「直孝公御遺戒」を歴代藩主によって申し送っ
ている
。その一つに、
 
 社寺の建立、修復、法事祭礼に塀 怠あるべからず候

とあり、井伊家との関わりの中で特に顕著なものとしてあ

げなければならないのは、神領の加増で、直孝が江戸から
僧正慈性に発した、慶安四年(1651)三月一日付け
書状。これは先に幕府より三百五十石神領の寄進があっ
たこ
となど、社領地の内情を多賀大社に照会する。多賀大
社が年間
不都合なく運営していくには、幕府より安堵され
ている三

百五十石では賄うことはできず、直孝を通じて徳川幕府に
嘆願する。ところで、同年四月八日付の慈性に寄せた直孝
の書状は、先の三月一日の書状に応えたものだが、幕府か
らの寄進ではなく、井伊家自領より百四十七石を社領とし
て寄進すべき旨の書状であって、これにより多賀大社は合
わせて五百石の社領をもつこととなる

寛永八年(1632)には将軍徳川秀忠病気平癒祈願のた
め春日局の代参する。井伊家では中山道高宮宿から表参道
の整備を行い、現在の中山道高宮宿一の鳥居はこの時の建
立と伝えられてる。

寛永十一年(1634)五月に多賀大社は、境内の建物は
もちろんのこと、隔所八か所の末社に至るまで一大造営の
起工が行われ、同十五年九月に竣工、遷座祭が行われてい
る。この遷座祭斎行には慈性大僧正は井伊直孝の尽力によ
り江戸表まで屡々出府、要路に誓願を重ねてついに造営費
の拝領に成功する。この遷座祭から約五十年後の、元禄年
間にも修復の造営が行われ、元禄十二年(1699)に竣
工されている。

現在、境内に二基の大釜のうち一基は寛永造営竣工記念と
し、もう一基は元禄造営竣工の記念としてそれぞれ奉納す
る。井伊家では度重なる大社の不幸に際しては、米や木材、
その他相応の修復費を奉納し、幕府と大社との連絡斡旋に
も尽力し、大社の保護に篤い配慮を行っている。

      出典:中島一 著『続・城と湖のまち彦根

● 北国街道と永源寺詣の道-彦根道

彦根は、東に美しい山脈をもつ鈴鹿山系、北には近江第一
の高峰であり、歴史と伝統に恵まれた伊吹の山々、そして、
西には満々と水を湛えた大潮琵琶湖があり、その山に水源
をもつ大小の河川が、平野を形成しながら大潮に注ぐ。そ
の彦根は地形的に日本列島の東と西、北と南を連ぐ道ぐ、
ほぼ中心に位置する。

いずれも彦根が古代から東国・西国・北国の交通の要衝と
して深く位置付けられる。彦根には、東山道(のちの中山
道)、北国街道をはじめ朝鮮人街道、湖上の道などが縦横
に通じ「道の街」の様相を呈す。

これらの街道は、古代から物資の搬送、天下を目指しての
戦い、信仰を求めての社寺への参詣、住民の生活などに大
きな役割を果す。さらにこのことが豊かな文化を形成した
要因の1つでもある。これらの街道は、機能そのものは現
在も大きく変わっていない。

● 北国街道

『近江輿地志略』には、越前路六道の1つとして「虎枕越
」(いたどりごえ)が「所謂北陸近東近江路といふもの是
也、言路也。中河内村より越前国虎枕村に出づる路也」と
ある。この北国街道は、彦根市下矢倉町のところで中山道
と分かれ、米原町、近江町、長浜市、びわ町、虎姫町、湖
北町、高月町、木之本町の二市ハ町を経て栃の木峠を福井
県今庄町板取へと出る。

彦根市内でみると、中山道鳥居本宿から米原宿へと歩みを
進めることになる。



● 彦根道

彦根道は、街道の機能とは別に、特定の目的をもつものと
して存在する。『彦根藩井伊家永源寺詣での道』である。
「彦根道」は、その彦根藩主井伊家が、永源寺へ詣でる際
に用いられた道で、彦根を出て、中山道の高宮宿へ、多賀
大社のある多賀を通り、金屋村、さらに湖東三山の一つ西
明寺、さらにもう一つの金剛輪寺の麓を過ぎ、北蚊野村を
通り、小八木村、さらに湖東三山の今一つの百済寺のその
麓から園村を経て、永源寺の門前町の高野を経て、さらに
永源寺へと至るという行路を形成する。

永源寺は、康安元年(1361)に六角氏頼が臨済宗の高
僧である寂室元光を開山に請い、現在地に呈寸を創建した
ことに始まる。

その後は、六角氏との関わりも深く寺領も近隣に多く存在
する。ところが六角氏の家臣との内紛により、永源寺など
の諸庵が悉く焼き払われてしまう。寛永二十年(1643)
に丁糸文守は、永源寺に入り、方丈をはじめ山内の諸堂を
再建。ところが、享保元年(1724)の出火は、方丈・
仏殿・入寂塔などが焼失してしまいました。同十四年には
再建されたものの、明和元年(1764)に、再び焼失す
る。その後の再興は彦根藩主井伊家からの支援を受けて行
われ、現在の堂宇伽藍の多くは、この時の再建による。

この「彦根道」は東海道土山宿から、多賀大社に至る御代
参街道と並行して東の山裾を走る、現在の名神高速自動車
道に洽うもので、一般的、広域的に用いられたものでない。

明和七年(1770)の井伊家史料の『御小袖日記』に、
九月十九日夜五ツ時に彦根を出駕、永源寺詣に出かけた記
録があり、翌二十日七ツ時過ぎには高野村の本陣に着き、
「御膳召し上がられ」、その後方丈に面会、ただちに帰途
についている。この道程は、大凡九時間ということになる。
その他彦根藩井伊家の記録のなかに、永源寺に詣でたとの
記録は僅少で、なお明確な道筋も明記されず、詳細は分か
らない。途中金屋村は、大上川上流への大君ケ畑越えの道
筋の交差点、北蚊野村は、金屋村と同様彦根藩領、金剛輪
寺への参詣口ともなったところである。

                出典:中島一 著 『続・城と湖のまち彦根』

【エピソード】      

       

1981年に国鉄南彦根駅が新設され、87年に西日本旅
客鉄道になったが、新快速の通過駅だったため快速を止め
る運動をはじめめようとしたとき、会員の田中さんは意外
にも、複々線化を主張――湾曲に不同意を表明――し会と
してはそれ以上の議論を深めることができずにいた。また、
職域内でも議論を深めようとしていた矢先に「河瀬駅」で
停車させる計画があるので止めて欲しいとの動きがあり、
結局、この計画は頓挫することとなる。陸橋駅舎を拡張し
陸橋交差点しようとする地元(平和堂など)の動きも封じ
られた経験をしている。

このように、鉄道という道、あるいは陸橋交差点化という
道も地域エゴ(便益誘導)の政治力や財政力の関係で計画
が決まるというリアル・ローカルポリティーク事情がある。
前者で言えば、わたしが「勢い」を自主規制しまったこと
による。後者は、JR栗東、南草津駅前の都市開発の推進
力の有無でその後のその周辺地区の発展に大きく影響――
たとえば、陸橋交差点化による人口集による経済効果――
は大きいものがある。このようにしてわたしの「彦根城―
多賀大社――伊勢大社街道構想」は一頓挫する。いまでも
「勢い」を自主規制したのは間違いだったのではと考えて
いる。
 

【脚注及びリンク】
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  1. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  2. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  3. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  4. 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導
    のまち創る-近世城下町 彦根市本町地区の2例の
    場合-(これからの都市づくりと都市計画制度 全
    国市長会) 中島一 2005.05.09
  5. 「城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷出版
  6. 「続・城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷
    出版部 
  7. 中島一・水野金一・田中治是『建築空間における
    都市計画額』コロナ社
  8. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  9. 内藤昌編著『城の日本史』角川書店
  10. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  11. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  12. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  13. ボーデン湖 Wikopedia
  14. コモ湖 Wikipedia
  15. ネッカー川 Wikipedia
  16. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  17. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  18. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  19. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  20. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論とし
    ての『絹と明察』(1)~(7)詩文楽-Shibun-
    raku
  21. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  22. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  23. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  24. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  25. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  26. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  27. リンダウ - Wikipedia
  28. ハイデルベルグ Wikipedia
  29. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  30. 城郭都市 Wikipedia
  31. List of cities with defensive walls Wikipedia
  32. ヨーロッパ100名城 Wikipedia 
  33. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  34. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  35. 万里の長城 世界史の窓  
  36. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  37. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  38. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  39. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」太
    田浩司 サンライズ出版
  40. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移
    築大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  41. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出
    版2007
  42. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタ
    ル・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.
    27 
  43. 彦根市指定文化財 「山崎山城跡
  44. 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
  45. ドイツ流 街づくり読本  水島信
  46. 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  47. 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  48. 都市計画-1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一   
  49. 都市計画-2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
  50. 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
  51. 「協働的プランニング」の都市計画理論 Patsy He-
    aley ,“Collaborative Planning”2010.02.13
        
  52. 第4回 リスク社会論 ベック・ギデンズ・ルーマ
    ンの「リスク」論(現代都市文化論演習 2009)筑
    和 正格 2010.05.25
     
  53. ビフォア・セオリ 現代思想の<争点> モダンと
    ポストモダン 慶應義塾大学出版会|人文書

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滋賀の山々 Ⅲ

2016年03月10日 | 湖と城郭都市

 



作成日:2016.03.09|更新日:

 

【箕作山と太郎坊山】

田園風景の中にそそり立つ姿は、神が宿る山というのも
納得できる信仰の山。巨岩からなる山の中腰には、天狗
信仰が伝わる太郎坊宮(阿賀神社)があり、正哉吾勝々日
天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみ
のみこと)という御祭神から勝運の神として崇められて
いる。箕作山、太郎防山(赤神山)、岩戸山からは、眼下
に涌生野、遠く琵琶湖や近江盆地を囲む山々が望め、素
晴らしい滋賀屈指の眺望が広がる,

また、夜の太郎坊宮からは蒲生野に広がるきれいな夜罵
も見ることができる。登山道沿うに、オオイワカガミ、
タムシバ、コバノミツバツツジなどの花も見られ、早春
にはマンサクの花も目を楽しませてくれる。箕作山を代
表する木には、地元のまちづくり協一会が設置した樹名
も付けられている。

湖東流絞岩の巨岩からなる箕作山地には箕作山、太郎坊
山(赤神山)、小脇山、岩戸山といったピークがあり、神
宿る信仰の山々となる。太郎坊山(赤神山)の中腹には、
阿賀神社があり、太郎坊宮の名前で知られる。太郎坊と
は、京都の鞍馬山に佳む次郎坊という天狗の兄といわれ
この山が修験の山である。本殿の前には巨岩の男岩と女
岩からなる夫婦岩があり、「この岩を通って参拝する者
は即座に病苦を除き諸願が成就するが、悪心あるものは
はさまれる」と伝承されている。
 

● 箕作山・太郎坊山周辺地形図 

 

箕作山(みつくりやま)は東近江市と安土町にまたがり
国道8号線の隔て北西に観音寺山がある。観音寺山に観
音寺城跡、箕作山にはその支城である箕作城跡――六角・
織田の戦乱の時代の遺産の宝庫である。箕作山の頂上は
2カ所有り、北側のピークに箕作城址がある。北側のピ
ークは清水山(324.7メートル)とも、また千草獄と
も呼ばれる。一般に地図では箕作山の表示は南側になっ
ているが、この山域全体をさして箕作山と呼ばれてきた。
南側には箕作山(372メートル)をはじめ赤神山(3
55メートル)、小脇山(373.4メートル)岩戸山(
325メートル)、太郎坊宮、瓦屋寺、十三仏、延命公
園などがありルート整備されている。

● 
安土山~繖山(きぬがさやま)コース



安土山は繖山の北西に張り出し、その北端には大中の湖
の干拓地が広がる。特別史跡に指定された安土城の跡が
あり、織田信長が天下統一の端緒とした、天正7年(1
579)に築城。山内の各所には、武将の陣屋を置き、
安土山の最高所には、わが国の最初の本格的な天守閣が
あったが、現在は、見寺の二王門と三重塔が現存する。
現在は大手道の石垣や石段などが整備されている。天守
跡から、北に延びる尾根に沿って進むと三角点峰があり、
遊歩道は未整備のコース。
 
 

【エピソード】

 

● 安土山をトレッキング起点に

滋賀県の「トレッキングの山」の電子パンフレットによ
れば、赤坂山からスタートしているが、ここを起点(ス
タートアップし反時計回りで一筆で戻って来るのは、ま
た綿向山から北に縦走し次の霊仙山を目指すルート――
三重の鈴鹿・北鈴山系、御在所岳~藤原岳~御池岳(滋
賀)~三国岳――のように鈴鹿山系を入れには、公共交
通機関の利便性を考えると繋ぎが悪そうだ。そこで、J
R安土駅をポイントに安土山~箕作(みつくり山~竜王
山~綿向山~雨乞岳~御在所岳のコースがベターに思え
る。織田信長の「天下布武」にあやかり「天下高踏」と
ちょっと気取り過ぎもするが悪くもない。?どうだろう。

● 綿向山~御在所岳~藤原岳ルート

 

 ● 藤原岳~三国岳~霊仙山ルート

 

【脚注及びリンク】
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  1. 山岳ファイル No.7 箕作山・太郎坊山|滋賀県
  2. 趣邑 箕作山
  3. 綿向山~雨乞岳縦走 竜王山周回  ヤマレコ
  4. 雨乞岳~御在所岳 ヤマレコ 
  5. 釈迦ケ岳~御在所岳 ヤマレコ
  6. 藤原岳~竜ヶ岳~釈迦ヶ岳 ヤマレコ
  7. 藤原岳~御池岳~鈴北岳~三国岳 ヤマレコ
  8. 三国岳~五僧峠~谷山~霊仙岳 ヤマレコ
  9. 阿星山-観音寺ルート 
  10. 滋賀の山ガイド:トレッキングの魅力と安全「滋賀の山
    を歩こう
     2015.10.09 

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