1.ハワードの田園都市構想
2.田園都市論の現代的意義
3.日本型田園都市構想
4.和歌山市都市計画と学園城郭都市
5.近代ニュータウンの系譜
-理想都市像の変遷-
6.世界遺産登録に向けた取り組み
7.街道と湖上交通と都市形成
7-2 湖上交通史
7-2-1 人の移動
① 丸木舟の技術革新
ここで、著者は、興味深いことを記述している。それは「丸
木船の技術革新」が起こったと(「第3章 湖に交通史の再
整理」注3)。
丸木舟に技術革新が起きたのは、ちょうど弥生時代後期から
古墳時代前期にかけての時期、実年代でいうと三世紀ごろで、
丸木舟にいくつかの部材を組み合わせ、加工を加えた準構造
船の登場で、畿内中枢としての大和の首長勢力加入連合の最
上位として前方復円頂け創出(近藤義郎 1998)されたころ。
このころは、地域間の交流、交通が盛んになる。準構造船も
一気に普及する。部材は米原町入江内浦遺跡や先の松原内内
湖遺跡、守山市下長遺跡、能登川町斗西遺跡などで出土して
いるが、これらの全貌は同時期から出現しはじめる舟形木製
品によってうかがえ、先端部に波切板、横に舷側板を立て、
各部材はホゾと桜の樹皮等で結合した舟で、積載量が飛躍的
に増大し、波にも強く、航行距離が延びる(上図参照)。あ
る種の技術革新に近いものであった、と推察する。
このころの琵琶湖上を一手に管理していたと考えられるのが、
安土瓢箪山古墳に葬られた人、首長、に移る。安土瓢箪山古
墳は、がっては湖東の大きな内訓の最足部に突き出ていた、
近江でも最古の部類に入る全長134メートルの近江最大の
前方後円頂である。膳所茶臼山古墳(大津市)も内訓を一望
するような誤植台地の中で最も安定した場所に築かれた長さ
120メートルの前方後円墳頂で、いずれも古墳時代前期の
近江を代表する古墳、首長墓(用田政晴・細川修平 1992)。
高橋選護によると、全長120メートルクラスの前方後円墳
になると、もはや数郡単位の母胎では築けず、旧国単位での
造営になる(高橋護 1992)、安土瓢箪山や膳所茶臼山に葬
られた首長は、近江を代表する人物で琵琶湖を望み、その権
威を知らしめるようにそこに突き出て墓が築かれている。最
初の湖上全域に力が及んだ首長であると評価できるのである
(用田政晴 1998)。それら以外にもほぼ同時期に築かれ、
と思われる前方後円墳が、琵琶湖の最北端、塩津湾を望むと
ころの塩津丸山古墳群(西浅井町)や琵琶湖が最もせばまっ
た琵琶湖大橋のある付近、その西岸台地上にも和邇犬塚山古
墳(志賀町・大津市)などが知られ、これら琵琶湖のまわり
に知られる四、五基の前方後円頂に葬られた首長たちが、四
世紀の湖上支配者であったとする。
② 中世以降の湖上交通技術史
近江の海、湊は八十あリ
時代が八世紀以降になると『万葉集』などの文献で多く知ら
れるように、人の往来が活発になる。「港」「泊」「浦」が
登場する。また天皇が乗った「大御舟(おおみふね)」など
もここに現れ、船の記述は枚挙にいとまがない。天平宝字六
年(762)の『石山院奉写大般若経所』によると、石山津(
大津市)にはたくさんの百姓舟があったという。今の瀬田川
と大戸川の合流点にあたる大津市田上の黒津遺跡では、こう
した川舟の桟橋跡も発掘調査で検出(松浦俊和 1985) その
後、例えば紫式部は長徳二年(996)に、大津から三尾埼(高
島町)、磯(米原町)を経て塩津(西浅井町)へ舟に乗って
いる。翌年も遂に塩津から舟に乗っている(『紫式部日記』)。
そのほか足利将軍、僧侶、連歌師など中世の歴史上の著名人
は湖上をかなり行き来している。
さらに、時代は近代に飛ぶ。明治四年(1871)に太政官布に
が出され、湖上通船取締万を大津県に統一し、大津百艘船や
各藩の特権はすべて解消され、琵琶湖上は晴れて天下の公道
になる。。その2年前、明治二年(1869)には初の蒸気船、
一番丸が海津(マキノ町)~大津間に就航し、明治五年から
七年にかけて14隻の蒸気船が相次いで琵琶湖にデビュー。
一番丸は、12馬力、5トン程度の船で、米原・大津間を走
った金亀丸は、長さ27メートル、幅3.6メートル、積高
18トンといわれ、丸子船でいうと120石積み程度の船で
それまでの本造船との規模的な差は見あたらない。
その後、明治十六年(1883)、日本初の鋼鉄船太湖丸(51
6トン)が琵琶湖に浮かんだ。これは、わが国最初の鉄道連
絡船。しかしこの鉄道連続船も明治22年(1889)、犬津・
長浜間の鉄道開通により廃止される。明治39年(1906)の
総計を見ると、当時の太湖汽船および湘南汽船の乗船客数は、
77万4千人と対鉄道乗客比五52パーセントであったが、
大正11年(1926)には、120万8千人と増えてはいるも
のの、対鉄道乗客比は26パーセントにしかすぎず(小林博
1984)、船客と取り扱い貨物量のピークは大正十五年(1931
)で、湖上での大量輸送の時代は、大正年間にそのピークを
迎えて、以後は、下降線をたどる。
そして、穴村航路の廃止が昭和四十年(1965)、坂本・浜大
津・石山寺・南郷航路の廃止が昭和42年(1967)、大津・
山田間の航路が廃止されたのが昭和43年(1968)であると
し、人の湖上での移動を丸木舟の起源から6つに区分してい
る。
- 前方後円墳が築かれはじめた古墳時代初頭、三世紀の
ころ、丸木舟の発展形態を備える準構造船が出現:船
の積載能力や波切り能力等が飛躍的にのびる、船の技
術史上において革新的な出来事であり、畿内王権に組
み込まれた首長による琵琶湖域の支配がはじまり、巨
大モニュメントが残される第一の画期。 - 次は七世紀の古代律令国家の成立期に、国を支配する
ための大事な道としての湖上整備。 - その後は、権力者による自由航行と利用とでもいうべ
き織田仁長による十六世紀後葉の動向。 - 明治22年(1889)の鉄道連絡船の廃止、
- 大正14年(1925)の湖上交通衰退期の始まり
- 昭和40年(1965)ごろの消滅へと続く。
この項つづく
【脚注及びリンク】
--------------------------------------------
- 古代の都支えた湖畔の製鉄炉 古きを歩けば(49)源
内峠遺跡 2013.03.12 NIKKE STYLE - 鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係についての試論―
滋賀県の事例を中心に―」(大道和人 滋賀県文化財
保護協会紀要 No.9 2012.06.08 - 淡海文庫 「信長 船づくりの誤算―湖上交通史の再
検討」用田 政晴【著】1997.07.20 - 世界遺産の保全と住民生活-「白川郷」を事例とし
て-」才津祐美子、福岡工業大学、環境社会学研究
(12)、 23-40、2006-10-31) - NPO法人 彦根景観フォーラム 第4回世界遺産を目
指す彦根の課題 2008.02.29 - 世界遺産所在自治体の保全と観光活用に関する取組
事例集 国交省観光庁 2014.10.24 - 世界遺産登録による経済波及効果の分析 えひめ地
域政策研究センタ 2007.01.11 - 世界遺産登録と持続可能な観光地づくりに関する一
考察『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)
新井直樹 第11巻,第2号,2008年9月 - 世界遺産を活用した観光振興のあり方に関する研究
運輸政策研究所 第35回 研究報告会 小室充弘
2015.08.05 - 世界遺産登録に向けた取り組み(2014年度)彦根市
- 世界遺産に登録されるまで|世界遺産検定 NPO法
人 世界遺産アカデミー - 高句麗平壌城の都市形態と設計 閔徳植、 国際日本
文化研究センター学術リポジトリ - 松本市の都市計画 松本市
- ひこにゃんがいてもダメ? 彦根城はなぜ世界遺産
になれないのか 週刊朝日 2013年6月28日号 - 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
JAPAN インタビュー前編 2007.03.02 - 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
JAPAN インタビュー後編 2007.03.09 - 第1回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
木啓明 2011.10.05 - 第2回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
木啓明 2011.10.07 - 第3回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
木啓明 2011.10.19 - 第4回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々
木啓明 2011.10.26 - 第8次彦根市交通安全計画 2012,03.22
- Core Strategy (2013) - Milton Keynes Council
- "The New Towns: There Problems and the Future”
Department for Communities and Local Government,
2002.11.21 - 日本エシカル推進協議会(Japan Ethical Initiative) -
エシカル日本 - 明治期廃絶城郭の公園化について ―史跡の保存
活用の前史として― 佐々木孝文 2015.06.26 - 都市とは何か 都市計画なぜ必要か - 東北大学
奥村誠 2015.10.15 - 和歌山市都市計画マスタープラン 和歌山市
2017.01.12 - 和歌山市立地適正化計画 2016.12.22
- 日本型田園都市構想―イギリス田園都市と比較し
京田辺市を見直す―2001.12.11 西村利也 - 田園都市とエソテリシズム 吉村正和 2004.03.05
- 田園都市論の現代的意義 中井検裕 家とまちなみ
45、2003.7.8 - 住宅地計画論 1.ハワードの田園都市構想園都市
- 都市思想の二人の巨人、ジェイコブズとハワード:
宮﨑洋司市 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.06 28 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.07 26 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.07 26 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.07 03 - 平成 28年度 主要事業 彦根市
- 都市づくりの基本方針(全体構想) 彦根市 橋梁長寿
命化修繕計画による対策橋梁について
滋賀県 - 彦根市都市計画道路網見直し検討調査
- 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導
のまち創る-近世城下町彦根市本町地区の2例の
場合-(これからの都市づくりと都市計画制度全
国市長会) 中島一 2005.05.09 - 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
- 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
- ドイツ流 街づくり読本 水島信
- 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
- 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
- 都市計画1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一
- 都市計画2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
- 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
- 「道路をどうするのか 五十嵐敬喜・小川明雄 岩
波新書 - 日本の道路史 武部健一 中公新書
- 道のユニバーサルデザイン 鈴木敏 技報堂
- 道路が一番わかる 窪田陽一 技術評論社
- 「道路」についての国際比較 藤井聡 2010.3.14
- 彦根市都市計画道路網見直し指針
- 地域別のまちづくり方針(地域別構想)-彦根市
- 彦根市新市民体育センタ整備基本計画 2016.10.31
- 彦根市立図書館|簡易検索
- 中心市街地の活性化に関する法律 Wikipedia
- 富山市におけるコンパクトなまちづくりの進捗と展望
2014.11.26 - アウガ Wikipedia
- 富山市 人と環境に優しいまち 公式HP
- 青森市 都市計画マスタープラン 公式HP
- コンパクトシティはなぜ失敗 するのか 富山、
青森から見る居住の自由 2016.11.08, Yahoo!ニュース - <アウガ>2副市長辞任 青森市政混迷増す 河北
新聞 2016.01.28
-------------------------;--------------------------