1.ハワードの田園都市構想
2.田園都市論の現代的意義
3.日本型田園都市構想
4.和歌山市都市計画と学園城郭都市
5.近代ニュータウンの系譜
-理想都市像の変遷-
6.世界遺産登録に向けた取り組み
7.街道と湖上交通と都市形成
7-2 湖上交通史
7-2-1 人の移動
このように、琵琶湖という内水面の交通史では、三世紀の
畿内を中心とした王権あるいは前方後円墳体制形成期、な
いしは遅くとも七世紀の律令制成立以降、昭和四十年ごろ
まで連綿と続いた中・小地域間での人の移動と物の輸送に
あり、中世以来と思われる伝統的技術から抜け出さなかっ
た、または、閉鎖的な技術に終始した丸子船に代表される
琵琶湖の船前史は、海に比べ浮力の少ない淡水水域、南湖
を中心とした浅水域での利用という琵琶湖の風土を知りつ
くした上での、自然環境と各時代・時期における社会の要
請との間の調和のとれた産物の歴史であり、丸子船の「丸」
には、「浅い淡水での工夫」という意味があったという。
その上で、琵琶湖の船舶史をには、それ自身の要因、造船
技術の革新や新素材の登場により区分され、歴史的変遷を
とげたというより、①地城の政治体制と②経済論理に規定
された歴史であることに気がつくが、湖の生活者にとって
は長く一貫して、成熟し変わりようのない歴史であると、
このようにまとめている(「第4章 湖上交通史の画期と
特質」)。ここから、①地城の政治体制と②経済論理の規
定にて紐解いてみる。
7-2-2 ものの輸送
古代以前の湖上の「物」の輸送を語る資料はほとんどない
という。野洲町円山古墳の家形石棺の石材は、沖島を望む
近江ハ幡市の湖岸に露頭する湖東流紋岩だといわれたこと
もあったが、阿蘇の溶結凝灰岩だということが後に明らか
になっている。また、高島町鴨稲荷山古墳の石棺も犬阪と
奈良の境にある二上山の白石をくり拉いて作られていると
か。
ともに、六世紀はじめの琵琶湖の東岸と西岸を代表する首
長墓であるが、この巨大な石の塊を修羅(陸上用のそり)
を使ったにせよ、移動は可能な限り湖上・海上を利用した
方が楽だと考える常識的な見方だとし、こうした船で運ん
だと想定するもののひとつに製塩土器に入った塩がある。
目本の一部の地域では、すでに縄文時代から海水を濃縮し、
煮沸することにより塩を得てきたが、近年、内陸部でも多
くの製塩土器が発見されるようになる。この近江でも、古
墳時代中ごろ、五世紀ごろ以降の約40遺跡で製塩土器が
出土している。これらは若狭湾と大阪湾沿岸から塩が持ち
運ばれた容器であると考えられるが、特に旧野洲川下流に
面した横江遺跡(守山市)など拠点的な集落に大量に運ば
れた後、周辺の村に、再配分されていると推定している。
製塩土器
また、昭和60年(1985)、中主町の西河原存ノ内追跡で興
味深い水筒が発見される、七世紀の後半、675~685年の間
に記されたと考えられるその二号木簡によると、当時の湖
辺には「舟人」かおり、今の彦根市にある稲里、上岡部に
行って稲を舟で運べという水田経営の役所の指示が記され
ている。
さらに、八世紀後半の野洲川、琵琶湖、瀬田川を利用した
石山寺、東大寺、藤原宿の造営や増・改築のための本村運
搬は、よく知られている。大平実字五年(761)、石山寺
増改築のため材木・桧皮・炭を近江の各地から運ばれてい
るが、甲賀の木材は三雲津(水口町)から筏に組んで野洲
川河口の「夜須潮」を経て石山津(大津市)に至っている。
翌年には、造石山寺所は、藁の輸送にあたって馬は能率が
悪いので、勢多庄(大津市)の船津から舟で運べという命
令を出している。
天平神護二年(766)称徳天皇による稲穀五万石の松原倉
(大津市石山周辺の湖岸か)への貯納記事も湖上輸送を前
提としたものと考える。『日本霊異記』中巻には、平城京
に往んでいた楢磐嶋という人が、角度(敦賀)へ商売に出
かけ、商品を舟に積んで琵琶湖を南下したと伝えられてい
る。また、天歴四年(950)、『東大寺封戸庄園井寺用帳』
によると美濃の物資は、朝妻(米原町)から大津に運ばれ
ている(『東南院文書』)。
さて時代は下り、古代末以降、荘園制の体制化とともに、
いわゆる権門勢家と称する有力社寺などが琵琶湖の各浦を
領有するようになる。例えば、大津の東浦を延暦寺が、西
浦を園城寺が支配するが、湖上関の確立や公認は、十四世
紀ごろになる。堅田に山門横川領有の湖上関が設けられた
のが鎌倉時代の末(『金沢文庫文書』)、越前からの米五
十石が運ばれるに際し、坂本で五斗の関米を払っているの
が乾元二年(1303)(『古田文書』)、日吉社の飾り付け
費を捻出するための戸津関を幕府が公認するのは、室町時
代のこと(永徳三年、1383)である。
その後、江戸時代の寛永十五年(1638)、加賀藩による西
廻り航路による大坂への米の輸送をはじめ、寛文十二年(
1672)の河村瑞賢による西廻り航路整備が完了して以来、
途中の積み替えの千間賃がかさむため、湖上輸送は衰退し
たというのが一般的な理解であるとのこと。西廻廻船ある
いは西廻海運ともいい、江戸幕府の年貢米を運ぶために開
かれたもので、日本海沿岸の北国から西に向かい、下関を
まわって瀬戸内海から大坂に入る航路であり、のちに航路
は、秋田より北にも延びて北海道にまで至った。この航路
に使われた船を北前船と呼んだが、これは瀬戸内や大坂の
人の呼び名で、実際には北国船、羽賀瀬船と呼ばれる船で
あり、これらも十八世紀中ごろには弁才船にとって代わら
れる。この弁才船も日本海地方の風土的条件にあった形の
ものである。
この様に、航路の開設により、敦賀あるいは小浜でいった
ん陸揚げして琵琶湖上を運ぶルートは、衰退していった。
ちなみに、寛文年間には越後から西廻り航路で大坂まで米
百石を運ぶ費用として十九石を要したが、琵琶湖を経て大
津まで運ぶだけで二十二石三斗八升必要だったという。
この項つづく
● 稲部保存・道路見直し「反対」―稲枝住民
「開発を」議会報告会で
彦根淑が稲部遺跡を保存し、道路計画を見直すことを決め
たことに対して21目に稲枝地区公民館で聞かれた議会報
告会では福部遺跡のある稲枝駅西口の早期開発を求める住
民たちが道路計画の見直しに反対姿勢を見せた(しが彦根
新聞、2017.02.25)。反対意見は①観光資源化による費用
便益(Cost Benefit)、②道路開発優先、③遺跡保存の説明
不足、④彦根城周辺市街地開発偏重に集約され、市の方針
転換は困難であるが、市民産業建設常任委員会の市議が住
民意見を市に伝えることで、次のステージに移る。
【脚注及びリンク】
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- 古代の都支えた湖畔の製鉄炉 古きを歩けば(49)源
内峠遺跡 2013.03.12 NIKKE STYLE - 鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係についての試論―
滋賀県の事例を中心に―」(大道和人 滋賀県文化財
保護協会紀要 No.9 2012.06.08 - 淡海文庫 「信長 船づくりの誤算―湖上交通史の再
検討」用田 政晴【著】1997.07.20 - 世界遺産の保全と住民生活-「白川郷」を事例とし
て-」才津祐美子、福岡工業大学、環境社会学研究
(12)、 23-40、2006-10-31) - NPO法人 彦根景観フォーラム 第4回世界遺産を目
指す彦根の課題 2008.02.29 - 世界遺産所在自治体の保全と観光活用に関する取組
事例集 国交省観光庁 2014.10.24 - 世界遺産登録による経済波及効果の分析 えひめ地
域政策研究センタ 2007.01.11 - 世界遺産登録と持続可能な観光地づくりに関する一
考察『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)
新井直樹 第11巻,第2号,2008年9月 - 世界遺産を活用した観光振興のあり方に関する研究
運輸政策研究所 第35回 研究報告会 小室充弘
2015.08.05 - 世界遺産登録に向けた取り組み(2014年度)彦根市
- 世界遺産に登録されるまで|世界遺産検定 NPO法
人 世界遺産アカデミー - 高句麗平壌城の都市形態と設計 閔徳植、 国際日本
文化研究センター学術リポジトリ - 松本市の都市計画 松本市
- ひこにゃんがいてもダメ? 彦根城はなぜ世界遺産
になれないのか 週刊朝日 2013年6月28日号 - 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
JAPAN インタビュー前編 2007.03.02 - 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
JAPAN インタビュー後編 2007.03.09 - 第1回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
啓明 2011.10.05 - 第2回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
啓明 2011.10.07 - 第3回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
啓明 2011.10.19 - 第4回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
啓明 2011.10.26 - 第8次彦根市交通安全計画 2012,03.22
- Core Strategy (2013) - Milton Keynes Council
- "The New Towns: There Problems and the Future”
Department for Communities and Local Government,
2002.11.21 - 日本エシカル推進協議会(Japan Ethical Initiative) -
エシカル日本 - 明治期廃絶城郭の公園化について ―史跡の保存活
用の前史として― 佐々木孝文 2015.06.26 - 都市とは何か 都市計画なぜ必要か - 東北大学
奥村誠 2015.10.15 - 和歌山市都市計画マスタープラン 和歌山市
2017.01.12 - 和歌山市立地適正化計画 2016.12.22
- 日本型田園都市構想―イギリス田園都市と比較し
京田辺市を見直す―2001.12.11 西村利也 - 田園都市とエソテリシズム 吉村正和 2004.03.05
- 田園都市論の現代的意義 中井検裕 家とまちなみ
45、2003.7.8 - 住宅地計画論 1.ハワードの田園都市構想園都市
- 都市思想の二人の巨人、ジェイコブズとハワード:
宮﨑洋司市 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.06 28 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.07 26 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.07 26 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.07 03 - 平成 28年度 主要事業 彦根市
- 都市づくりの基本方針(全体構想) 彦根市 橋梁長寿命
化修繕計画による対策橋梁について滋賀県 - 彦根市都市計画道路網見直し検討調査
- 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導の
まち創る-近世城下町彦根市本町地区の2例の場合
-(これからの都市づくりと都市計画制度全国市長
会) 中島一 2005.05.09 - 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
- 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
- ドイツ流 街づくり読本 水島信
- 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
- 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
- 都市計画1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一
- 都市計画2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
- 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
- 「道路をどうするのか 五十嵐敬喜・小川明雄 岩波
新書 - 日本の道路史 武部健一 中公新書
- 道のユニバーサルデザイン 鈴木敏 技報堂
- 道路が一番わかる 窪田陽一 技術評論社
- 「道路」についての国際比較 藤井聡 2010.3.14
- 彦根市都市計画道路網見直し指針
- 地域別のまちづくり方針(地域別構想)-彦根市
- 彦根市新市民体育センタ整備基本計画 2016.10.31
- 彦根市立図書館|簡易検索
- 中心市街地の活性化に関する法律 Wikipedia
- 富山市におけるコンパクトなまちづくりの進捗と展望
2014.11.26 - アウガ Wikipedia
- 富山市 人と環境に優しいまち 公式HP
- 青森市 都市計画マスタープラン 公式HP
- コンパクトシティはなぜ失敗 するのか 富山、青森から
見る居住の自由 2016.11.08, Yahoo!ニュース - <アウガ>2副市長辞任 青森市政混迷増す 河北
新聞 2016.01.28
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