城郭都市設計史 16

2016年01月23日 | 湖と城郭都市

 

肥田城の水攻めと野良田表合戦 Ⅱ

肥田城主高野瀬備中守は、永正年間(1550〇年代)
の初め
頃。愛知、犬上の土豪赤田、川瀬氏らと組んで、
守護六角高
頼に反抗がった。また永禄の初め頃(155
0年代)、備中守の
子息、備中守秀隆も、江北の雄、浅
井氏と組んで、またもや六
角氏に反抗。永禄二年(15
59)9月、守護六角承禎義賢、義
弼は、国中へ下知し
て肥田城に攻め寄せたが、赤田、川瀬、
高宮氏や浅井氏
の加勢もあり、落城しなかった。江戸時代
の「淡海小間
獲」に肥田城の水攻めが詳しく記載されている。



それによると 「屋形(六角氏)父子謀計ヲ回ラシ玉ヒ
テ・・・ 国中ノ人夫ヲ以、廻り五十八丁、横十三間二堤ヲ
築。
宇曽川愛知川ヲ始トシ、諸川ヨリ水ヲ仕懸、永禄三
歳四
月三日ヨリ当城ヲ水攻二シ玉ウ」
「五月二十八日浦川洪水シテ、件ノ堤ニカ所切レ崩レテ
漂タル水、悠二落失ケリ。依之
秀隆運ヲ開、天我ヲ擁護
シ玉ヒ、生土神犀龍ノ奇特実二難有次第ナリトテ、頻ニ
長政ノ後
詰ヲ催促ス」



肥田城は水没寸前に助かり、そこへ小谷城の浅井の援軍
が遣ってきて六角軍を退
かせた。水攻めに失敗した六角
義賢は、軍備を整え、再び永禄三年(1560)8月、
総勢二万
の兵を率い肥田城に迫る。急を知った浅井軍も、
一万一千余の兵が肥田城近く、宇
曽川を隔てて対陣。8
月中旬巳の刻(午前10時)、北車の先陣百々内蔵助が
手兵を率いて川を渡り南軍
に攻めかかる。南軍の先陣蒲
生賢秀も激しく応戦。百々内蔵助、先陣の名誉を汚すま
いと
奮迅も戦死。この合戦により南車の死傷者920、
北車も7百余の死傷者を出した。
この戦いを野良田夫の
合戦といい、戦勝者浅井氏は、戦国大名としての地位を
湖東で
も確立。肥田城は一か年に亘る戦闘に耐えぬいた。

※ 肥田城跡 彦根市肥田町523(肥田町公民館)

 

 

 平城 城は、戦略的な拠点であるよりも政治の中心
     と
しての色彩を濃くしてくる。そして、つい
     には領
主の権威を示す象徴としての性格をも
     帯びて
いった。

※ 守護、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職
     制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政
     官。 令外官である追捕使が守護の原型であっ
     て、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置
     と任免権を認めたため、幕府の職制に組み込
     まれる。 将軍により任命され、設立当時の主
     な任務は、在国の地頭の監督。

 

 

【ヘルダーリン:詩人としての出発を前に】

● 幼少時代
 
              底知れない優しみ

この幸福な幼児を第二ぼ心激震が直撃する。ニュルティン
ン町長として町政全般を立派にやり遂げていたゴックが、
17
78年11月にネッカー河が氾濫して洪水を惹き起こ
した際に
は、自ら現場に急行し水害救助に率先してあたっ
たその熱心
さがもとで高熱性胸部疾患に罹り、恢復の徴候
のないまま翌
79年2月に急死しする。この父も30歳の
若さだった。今度は
何も覚えていないというわけにはいか
ない。ヘルダーンは、む
しろ第一の父をも無意識の縁から
意識的に喚び戻しながら第
二の父との永訣を、今度こそ生
々しい皮膚感覚で感じ取った
であろう。肉親同様の父だっ
たればこそ、その喪失は少年に
後年「愛しい父」「愛し愛
された父」と歌われた父の不在を意識させつづけていくこ
とになる。

それでは母クリスティアーナはどうだったか? 三〇歳の、
ぞれもいく人もの子供をほとんど同
時に抱えたひとりの女
性を想像しただけでも相当程度そのひとの心のうちを思い
浮かべることがで
きよう。再婚生活が希望の持てるものだ
っただけに、せっかくつかみかけた家庭の幸福が夫の急死

で一挙に失われるという激変は、前夫の場合にも増して一
層深かったはずである。もう二度と再
婚しなかった母は、
これ以後は夫の遺した遺産を慎重に管理しながら息子に自
分の幸福の全てを託
し彼の成功を夢見るひとになっていく。
したがって母の期待の分だけヘルダーンは、その委託の

切の負担を父喪失の哀しみに付加する形で引き受けていか
ざるを得ない。九歳の子供に、こうし
て父と母からの二重
の内的負担が一挙に襲いかかることになったのである。つ
まりひとりの子供が
自分自身だけではなく、二人の父とひ
とりの母とを同時に背負いつづけることになったという詩
人宿命の問題が生じたことを覚えておこう。



母にしてみればこの子が、当時の公国の上・中流の特に父
のいない家庭こでは一般的な進学目標の、国費でまかなわ
れる初・上級の各僧院学校に入学し立派な成績で卒業した
あと、更にテュービングン大学神学校(神学部に同じ)で
神学を修めるという聖職者の最高の学暦コースを修了する
と、公国宗教局の命ずるところに従い、副牧師からやがて
正規の牧師となって平穏で安定した家庭生活を築いてくれ
ることこそ彼女の唯一の願いとなったのだ。そしてその子
は、大学を終えるまでは母の期待に応えはした。しかしそ
の後はどうだったか? 彼の人生の歩みを瞥しただけでも、
彼女の希望通りにはいかなかった。何故か? 我々はヘル
ダリーンが成長していく経過ををたどるなかで、詩人の背
反の根深い根が母の期待と反比例するようにすでにこの期
に芽生え独立した展開を開始していた事態を知るだろう。

ヘルダリーンは、底知れない天性とも言うべき優しみの感
情を持ち合わせていた。ニ度も寡婦となった父親代わりの
母の期待を裏切るまいと極限まで自身を維持し抜いたこの
感情が長く息づいていたことは、特に後年に書かれた母宛
の書簡が示している。それほどまでにこの感情が不断に働
いているのに母の期待には結局応えられなかった詩人を正
確に理解するためにも、まず根元感情としての彼の優しみ
に触れる必要があった。結果として母を裏切るほどの詩人
存在を産み出すための雄々しさを共在させる必然要件とし
ての。それは、この信じ難いほどの優しみをばねにして、
裏切りとしか言えない詩人存在へと自己を押し上げ押し拡
げていく彼の全事実なのだ。したがってこの感情は、彼の
詩人存在が深化を遂げれば遂げるほどいよいよ掌固で堅固
なものとなっていかざるを得ないような優しみと化し、や
がて狂気に陥っても優しみは遂に優しみのまま死の瞬間ま
で生きつづけたのであった。この受験期に、12歳から個
人教授(聖書が中心)を受け持った副牧師ナターナエール・
ケストリーン(1744~1826)は、深い学識と温か
い包容力でヘルダリーンに、特に敬虔主義をめぐる魂の領
域で忘れ難い印象を刻みつけたことを言い添えておこう。

 

【エピソード】         

             

 

【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------ 
  

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 高宮町史 自費出版デジタル
  3. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  4. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  5. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  6. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  7. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  8. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  9. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  10. 滋賀文化のススメ
  11. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  12. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  13. 彦根巡礼街道
  14. 朝鮮人街道 Wikipedia
  15. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  16. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  17. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  18. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  19. ボーデン湖 Wikopedia
  20. コモ湖 Wikipedia
  21. ネッカー川 Wikipedia
  22. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  23. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  24. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  25. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  26. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  27. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  28.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
    , pp1681 - 1685
  29. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  30. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  31. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  32. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  33. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  34. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  35. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  36. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  37. 中世ヨーロッパ 騎士と城
  38. 城郭都市 Wipipedia
  39. ハイデルベルグ Wikipedia
  40. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  41. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  42. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  43. リンダウ - Wikipedia
  44. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  45. 城郭都市 Wikipedia
  46. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  47. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  48. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  49. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  50. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  51. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  52. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  53. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  54. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  55. 万里の長城 世界史の窓  
  56. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  57. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  58. 佐和山城 Wikopedia
  59. 石田三成 Wikipedia
  60. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  61. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  62. 鳥居 明神鳥居 Wikipedia
  63. 猿蓑 Wikipedia
  64. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  65. 石田 正継 Wikipedia
  66. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  67. 彦根藩並近郷往古聞書
  68. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  69. 井伊家年譜
  70. 佐和山藩 Wikipedia  
  71. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  72. 彦根古図略図 彦根市
  73. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  74. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  75. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  76. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  77. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  78. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     
  79. 稲村神社春季例大祭 太鼓登山
  80. 「近世初期有力農民の社会関係-近江国愛知郡下平
    流村山田庄兵新家を素材に」 渡辺恒一  2013.06.13
  81. 「湖東地域における複数村落による 神社祭祀」 市川
    秀幸 2015.03.27
     
  82. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『
    絹と明察』(1)~(7) 詩文楽-Shibunraku
  83. 荒神山神社 公式ホームページ 
  84. 甘呂城と川瀬氏「わたしの町戦国 06」 彦根市
  85. 山崎山城跡「わたしの町戦国」彦根市
  86. 甘呂神社 滋賀県神社庁
  87. 西国の山城: 勝楽寺・勝楽寺城
  88. 日本の香りの歴史|香り花房 [ 香りが学べる香り
    の教室]
  89. 佐々木道誉の足跡と平清盛御落胤伝説を訪ねて 
  90. 肥田城跡「わたしの町戦国」彦根市

 ---------------------;-------- -----------------        

 

 


城郭都市設計史 15

2016年01月21日 | 湖と城郭都市

 

 

 

 

 

肥田城の水攻めと野良田表合戦

肥田町崇徳寺に、延享三年(1764)に旧記から転記し
たと思われる過去帳と、そ
れをもとに作成したと考えられ
る高野瀬家系図があり、これらによりますと、高野瀬
氏は、
鎌倉期以降高野瀬村から身を興し、Tハ歳の隆益にみられ
るように永久の乱に出
陣して戦功をたて、信景のように、
荘園の代官を務めながら所領を増やし、高野瀬村、肥
田村
に館を建て、土豪-その土地の豪族。国人-在地の武士-
として勢力を強めていく


室町期になると、守護職である佐々木六角氏と主従関係を
結ぶ。こ
の佐々木氏の命を受けて肥田に築城する頃は、武
術に優れた武将として、佐々木四八将の
一員に列せられ、
さらに従五位下越州勅史という官位も得るようになる。

ころで、足利幕府は、幕府の有力な家来である守護が国内
の土豪、国人などの武士を
封建的主従関係を組む道をつく
る。文和元年(1352)、畿内および近江、尾張、
美濃
の八か国の荘園について、その年の年貢の半分を兵糧とし
て徴収する「半済」の権利
を守護に許す。守護はそのうち
の一部を自分がとり、大部分は国内の武士に配分
。一年限
りであったこの処置は、毎年繰りかえされ、守護は事実上、
荘園の半分の土地を支配するようになりました。この過程
で、高野瀬氏は、守護佐々木六角氏のもとに組み込まれた
ものと考えられている。

ところで、宇曽川中流に位置し、それによる沖積地の肥田
は、東に中山道、西に下街道-浜街道、朝鮮人街道とも呼
ばれる-があり、農耕と舟運に至極恵まれたこの地に菩提
寺をもつ目枝の庄の土崇高野瀬氏は、肥田城とその城下町
として整備にとりかかる。この城は藩簸として――入り口
の護り――また守護六角氏の出城として、15世紀後半か
らよ16紀前半の頃のころと推定。 肥田城は、中世末の
ろと平地に建てられた城館-平城-である。土俵、その家
臣の屋形が独立した城塞的要素を備えながら、民家をその
外周に整然と配置し、全体を宇曽川とその堤防、壕と土塁
で囲みこむ、近世城郭への形態をもつ。

                   この項つづく

 

 

 

 

【ヘルダーリン:詩人としての出発を前に】

● 幼少時代

             ヘルダリーンの誕生 

ドイツを南北に縦断するライン何は、ハイデルベルク近郊
で南ドイツから
流れくる一つの支流を迎えている。そのひとつ
がネッカー河で、もうひとつのマイン河と並び重要な役割
を担ってきた河
である。この何を包み容れている地方名称
がシュ
ヴァーベンで、当時のヴュルテンベルク公国に限定
すれば西側に南北にまたが
るシュヴァルツヴァルト(黒い
森)と、その
南端部に接しつつ東北に続く中程度の丘陵山
脈のシュヴァーベン高地との間の三角状の地帯に相当し、
二つの山脈から流れている水脈をひとつに集めたネッカー
河か北方へ縦に貫くように流れ、公国全土の自然を豊かな
瑞々しいものにしてきたのである。これは現在のバー
デン
ーヴュルテンベルク州の地
勢にも一致する。

そのネッカー河がおだやかな傾斜の葡萄畑の陥陵の間を縫
うように流れている河畔の小村ラウフェンに、ヘルダリー
ン、正式名∃ハン=クリスティアン=フリードリヒ=ヘル
ダリーンは、1770年3月20日にヘルダリーン家の長
男として生まれた。父親はハインリヒ=フリードリヒ=ヘ
ルグリーン(1736~72)で、9世紀まで遡る聖女レ
ギスヴィンディス伝説に因む教会に発し、11世紀紀につ
くられごれ1551年まで存続した尼僧院がこの父の勤め
先の前史である。

その尼僧院もすでになく、ヘルダリーン家の建物自体もル
ターの宗教改革以降は新教を公国の国教とするヴュルテン
ベルク公国宗教局に直属し、建物と付属する領地、その土
地L地での葡萄酒販売を含む管理・経常の一切が彼に任さ
れていた。彼は肖像から見ても、実業家の商才を併せ持つ
実直で明朗な人物だったことがうかがえる。

母親のヨハナ=クリスティアーナ=ヘルダリーン(旧姓ハ
イン、1748~1828)も教養の高い牧師の家の出で
実務肌の夫をよく助けはしたが、夫の片腕となって管轄領
地の経営を共にきりまわすというよりは、家庭内が円満に
成り立つように濃やかな気くばりを怠るまいとする気質の
女性だった。ヘルダリーンは貴族の富裕階級ではないが、
公国官吏としての相当恵まれた家の長子として近親者一同
の期待のなかに出生したと言ってよい。



                           第二の父 

そんな赤子の今福が、突然運命の手により断ち切られる。
父が
卒中の発作で倒れにくなってしまったのである。36
歳のあまり
に早い死だった。うら若い母けはまだ23歳、
2年3ヵ月余りのヘ
ルダリーン、1歳3ヵ月の女児、出産
を約1ヵ月後にひかえたお
腹の子が残されたのだ。やがて
彼女は二年後に、ヨハン=クリ
ストスフ=コック(174
8~79)と縁を得て再婚る。亡夫の友人
で有能な官吏だ
った。そして一家はゴックの新しい勤め先の町
、もう少し
南の、ネッカー河畔のニュルティングンに移り住んだ。

ルダリーンはほとんど最初の父ハインリヒの記憶のないま
第二の父を持つことになったわけである。新しい父も弱
冠26歳、2年後にはニュルティングン
の町長になった、
けと同年齢のゴツクにヘルグリーンは実の父の
ようになつ
き、ゴックもまた実の子供のように彼を扱った。クリ
ステ
ィアーネとゴックの間には、4人の子供が年子のように生
れているので、彼女はあわせて7人の子をもうけたこと
になる。
ただ生存したのは詩人の他は、2歳年下のハイン
リーケ(1772~1850、愛称リーケ)と異父弟カー
ル(1776~1849)のみで、他の弟妹はいずれも.

一家の不幸に合わせるように赤子幼児のときに死にしてい
る。生き残ったと名はいずれもそれぞれに生を全うした。
この家にはけのけヨハナ・ロズィーナ(1725~180
2、旧姓ズートア)もやってきた。ゴックの才覚で買い足
した結果、ラウフェン時よりはるかに広く規模にも勝る畑
や果実園に囲まれた大きな家でヘルダリーンは、父や母ら
の情愛を一身に受ける幼年時代を送ることになった。彼の
内部で永く記憶されていた時間と場所である。その時間と
場所は、後の彼の言葉によれば自然だった。それは少年の
彼がどんな仲介も必要とはせずに、自ら名指した神々と戯
れることのできた純粋時間であり同時に純粋空間でもあっ
たからである。その自然は、学業を終え初めて故郷を出て
独立生活を始めた時期に成立の「自然に寄せる」(179
4~95
)で、やがてその喪失が底知れないものとなる源
のびとして次のように表現された。


 わたしがまだおまえのベールに包まれて遊び、
 花がそうするように、まだおまえにびったりと寄り添い、
 わたしの優しくおののく心音を包みこむ
 どの音にもおまえの心の鼓動を感じとったとき、
 わたしがまだおまえと同じくらいに、深く信じる気持ち
 やあこがれで
 いっぱいになり、おまえの姿を前に立ち、
 まだわたしが泣きはらす場所や、
 わたしの愛の世界を見つけていたときには、
 わたしの心が太陽に向かって見開き、太陽がその調べを
 聴きとってくれるかのように感じ、
 星々を我が兄弟と呼び
 春を神のメロディーと呼んだときは、
 森をざわめかせた息吹のなかで
 まだおまえの霊気、おまえの喜びの霊気が
 心の静かなさざ波のなかで生き生きと動いていたときに
 は金色の日々がわたしを抱きしめてくれた。

                  (第
1節~2節)  

※ 日本史上、初めての「水攻め」とされるが本当だろう
  か?

【エピソード】        

              

 

【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------ 
   

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 高宮町史 自費出版デジタル
  3. 江佐尚白:生年不詳~享保7年(1722)7月19日
  4. 旧中山道六十九次徒歩の旅53/鳥居本~64高
    宮宿/紀行写真集3
  5. いのちの神様 多賀大社
  6. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  7. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  8. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  9. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  10. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  11. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  12. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  13. 滋賀文化のススメ
  14. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  15. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  16. 彦根巡礼街道
  17. 朝鮮人街道 Wikipedia
  18. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  19. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一
    サンライズ印刷出版図  2002.9.20
  20. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  21. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  22. ボーデン湖 Wikopedia
  23. コモ湖 Wikipedia
  24. ネッカー川 Wikipedia
  25. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  26. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  27. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  28. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  29. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  30. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  31.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
    , pp1681 - 1685
  32. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  33. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  34. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  35. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  36. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  37. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  38. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  39. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  40. 中世ヨーロッパ 騎士と城
  41. 城郭都市 Wipipedia
  42. ハイデルベルグ Wikipedia
  43. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  44. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  45. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  46. リンダウ - Wikipedia
  47. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  48. 城郭都市 Wikipedia
  49. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  50. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  51. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  52. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  53. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  54. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  55. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  56. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  57. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  58. 万里の長城 世界史の窓  
  59. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  60. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  61. 佐和山城 Wikopedia
  62. 石田三成 Wikipedia
  63. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  64. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  65. 鳥居 明神鳥居 Wikipedia
  66. 猿蓑 Wikipedia
  67. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  68. 石田 正継 Wikipedia
  69. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  70. 彦根藩並近郷往古聞書
  71. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  72. 井伊家年譜
  73. 佐和山藩 Wikipedia  
  74. 丹羽長秀 Wikipedia  
  75. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  76. 彦根古図略図 彦根市
  77. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  78. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  79. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  80. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  81. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  82. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     
  83. 稲村神社春季例大祭 太鼓登山
  84. 「近世初期有力農民の社会関係-近江国愛知郡下平
    流村山田庄兵新家を素材に」 渡辺恒一  2013.06.13
  85. 「湖東地域における複数村落による 神社祭祀」 市川
    秀幸 2015.03.27
     
  86. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『
    絹と明察』(1)~(7) 詩文楽-Shibunraku
  87. 荒神山神社 公式ホームページ 
  88. 甘呂城と川瀬氏「わたしの町戦国 06」 彦根市
  89. 山崎山城跡「わたしの町戦国」彦根市
  90. 甘呂神社 滋賀県神社庁
  91. 西国の山城: 勝楽寺・勝楽寺城
  92. 日本の香りの歴史|香り花房 [ 香りが学べる香り
    の教室]
  93. 佐々木道誉の足跡と平清盛御落胤伝説を訪ねて

 ---------------------;-------- -----------------       

 


城郭都市設計史 14

2016年01月16日 | 湖と城郭都市

 

 

 

【中世の彦根 6】 

● 佐々木道誉と勝楽寺

彦根市の中心部から車で走ればものの二〇分、南に水田
広がり、北には鈴鹿山系で形成しているとはいえ小高
い山を
控えた静かな田園地が、農地の潅漑用水を犬上川
の伏流水
の清冽な水のせせらぎを右に見て、小高い山に
向って爪
先上りの砂利道を進むと、杉や檜、そして黒松
の森に囲まれた切妻造りの四
脚門が視野に入る。これが
佐々本道俗終焉の甲良荘勝楽寺である。

約七〇〇年前の永年四年(1296)、滋賀県坂田郡山
東町清滝に生を享けた道誉は、四一歳のとき、現在の甲
良町勝楽寺に移住し、ここに城を築き、元弘三年(13
33)鎌倉幕府滅亡と南北朝・足利尊氏の室町幕府擁立
に大きく関わり、その知将として活躍した異色の武将で
ある。

ところで京極家は鎌倉幕府執権北条高時の側近として仕
え重用されるが、足利雄氏が後醍醐天皇(南朝)に応じ
て違式元年(1334)鎌倉の北条に兵を挙げるや道誉
は、尊氏に就く。以後道誉は足列氏に仕え天下泰平の道
を選び、彼の手腕を限りなく発揮する。


足元二年(違式四年(1337)道俗は、父祖の地伊吹
山麓の柏原を捨てて、甲良の勝楽寺に根拠を定める。甲
良への移住は、京都の事変に直ぐに応えることができる
地としたためで、この周囲には難攻不落の佐和山城(彦
根)や大軍移動に困難とする中山道の摺針峠(彦根)を
越えなければならない柏原より、遥かに理にかなってい
る。そのうえ勝楽寺城は、城攻めには険しく、さらに、
前衛本隊を甲良の中心尼子在に置き、左右の多賀、河瀬
に攻撃型の前進部隊を配することにより戦闘体制に適し
た地でもあることが考えられる。道誉はこれ以後、七八
歳(文中二年(1373))に没するまで足利幕府の要
人として勝楽寺を根拠にして活躍する。

道誉は、いっぽうバサラ大名の筆頭に数えられる。この
バサラ(婆沙羅)とは、室町時代の流行語で、遠慮なく
振舞い、派手で、そのうえ傍若無人なことを言う。道誉
はドンチャン騒ぎを好み、自由奔放で、バサラ人名の典
型といわれる。なかでも京都の妙法院事件は有名――道
誉の部下がこの寺院の紅葉の見事さに、思わずその枝を
析ったところ門主に見つかり、部下は山法師に痛めつけ
られる。この報告を受けた道誉は、「わが人道の配下に
手向かうとは、片腹痛し。」と自ら二百合騎を率いて妙
法院に火を放ったのです。これは道誉の既成の権威に対
する凄まじいまでの反骨心であるす。

しかし、道誉は決して無節操に傍若無人の振舞いをして
いたのではない。一見、野放図に見えながら内乱期を通
じての遊誉の行動には、実は一本の筋が通っている。そ
れは、足利尊氏に対する強い忠誠心であり、また、この
日本人離れした人物、道誉は日本の古典芸術、茶道、華
道、能楽、連歌など出発点としての奥義を極めている。

二条良基による歌集の最初の連歌撰集である「菟玖波集」
には、遠征の八十ー首が入り、彼の非凡さが伺える。「
茶」の世界で道征が選んだ茶器珍器の中には、近世にな
って伍長や秀吉、また茶道の宗匠たちによって受け継が
れた大名器があることも道征の審美眼の高さを物語って
いる。

また、中世芸能の最も華やかなものに能楽と狂言がある。
道誉は早くから猿楽能の保護者で、特に近江猿楽には道
阿などを支援し、歌舞の神秘さと幽玄さを特色とする高
踏的な芸風を育てる。狂言の世界は、猿に始まり狐に終
わるといわれる。「釣狐」の演技はまさに秘曲に値し、
その自蔵主狐の伝説が勝楽寺に伝承され、狐塚も残り、
道誉との深い関係が伺われる。バサラ大名道誉は、後世
日本の元祖といわれる教養文化人でもある。

山門を潜ると正面に人母屋造りの本堂が追ってくるよう
に建っている
。屋根の棟は高く、その屋根は藁葺き屋根
で、現在は亜鉛鍍波形鉄板で覆いをして、茶色に着色塗
装をしている。裏山の縁にひときわ人の眼をひが、周囲
の自然景観にあまりにも対比しているかのようである。

※ 勝楽寺 滋賀県犬上郡甲良町大字勝楽寺四 
    0749-38-2014
 

勝楽寺は犬上郡甲良町にある正楽寺山の西麓に位置する
寺院す。創建は南北朝期の武将である京極高氏(法名道
誉)によるもので、京都東福寺の雲海正意を招聘して開
山したと伝えられている。現在は臨済宗の寺院。京極高
氏は近江に本拠地を置く佐々木京極家の第4代目。最初
は鎌倉・幕府最後の執権北条高時に仕えていたが、足利
尊氏らとともに後醍醐天皇側へ転じ倒幕に活躍。建武の
新政の崩壊後は足利尊氏に従って北朝方に付き、室町幕
府創設に助力し幕府の実力者として要職を勤める。一時
は近江を始め5カ国の守護に任じられ、佐々木氏の宗家
の六角氏を凌駕する。

● 楢崎古墳群

楢崎古墳群は、犬上川左岸扇状地に分布する古墳群。平
成6~11年
度のほ場整備事業に伴う発掘調査により、
古墳時代後期の 61 基の古墳が 確認されました。発掘さ
れた古墳は、ほとんどが円墳で、その規模は直径4m~
200m程度。石室からは鉄製 の武具、工具、馬具など
が出土している。そのうち、直径20m 程度に復元で
る。
号墳は、この地の開拓に主導的な役割を果たした
有力豪族の墓と推定されている。

● 水沼荘と大門池

水沼荘は、天平勝宝3年 (751)、聖武天皇によって東大
寺に施入(
ぜにゅう)された荘園。正倉院には東大寺領
の荘園絵図が13面残されているが、その中に水沼荘の
絵図も含まれ、水沼荘の位置や景観についての貴重な情
報で源ある。それによると水沼荘の範囲は、犬上郡条里
の十条一里・十条二里・十一条一里にまたがり、現在の
多賀町敏満 寺周辺にあたる。絵図には「水沼村」と記
され、中世
は水沼荘の東側に水沼池が描かれていますが、
これは現在敏満寺集落の南にある大門池と推測されてい
る。

● 敏満寺

敏満寺は、現在の名神高速道路多賀サービスエリア周辺
に存在した寺院。平安末から記録に現れ、鎌倉末には巨
大な本堂や30棟を超える諸 堂が建ち並ぶ大寺院ある。
また奈良東大寺の再建を進めていた
俊乗坊重源とも関係
し、重源が敏満寺に仏舎利を寄進したことが
記した寄進
状が存在する。しかし、戦国時代に入ると永禄5年 (1
560) 浅井長政の攻撃を受けて堂塔が焼失し、元亀3
年 (1572)、織田信長の攻撃を受け、寺領を失い、

胡宮神社と寺坊の福寿院を残して廃絶する。昭和32年
(1967) にはじまる名神高速道路の建設に伴い敏満
寺遺跡の発掘調査が行われ、以後数度にわたって多賀サ
ービスエリア周辺で発掘調査が行われる。最初に行われ
た昭和34年 (1959) の調査では、現在の 高速道
路の下から仁王門と推定される建物礎石が見つかったこ
とから、高速道路に沿うように参道が延びていたと推定
されている。

● 
胡宮神社と平清盛御落胤伝説 

祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命。創立年代は不明、元徳
3年 (1331)成立と考えられる敏満寺の堂塔鎮守目
録(胡宮神社文書)に「木宮両社、拝 殿九間」と記さ
れており、中世には敏満寺の鎮守社である。16世紀末
敏満寺は兵火にあって焼失。胡宮神社は塔頭福寿院を別
当として存続する。敏満寺滅亡後、寺宝の多くは胡宮神
社に移す。

神社に伝わる古文書の中に仏舎利相承図があり、これは
白河上皇の所持していた舎利が敏満寺に寄進される
まで
の流れを記したものに興味深い記述が見られる。舎利

白河上皇から寵愛する祗園女御へと譲られるが、その祗
園女御に妹
がいたことが記されており、「被召于院懐妊
之後、刑部卿忠盛賜之、 為忠盛之子息、云清盛、仍不号
宮矣」とあり、白河院に召され、 懐妊の後、平忠盛に与
えられ、生まれた子は忠盛の子として清盛と名付けら

たという。平清盛について白河上皇の御落胤であるとい
う説があ
り、清盛の異例ともいえる出世の早さはそうし
背景にあるとされる。


【エピソード】       

             

     

        16年度新年会(案内) 

日時 2月13日(土)
開宴 18:00~20:00まで 
場所 彦根市内西今町『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石+放題酒代1・2千円)
送迎 送迎バス:現在時点 JR駅西口(彦根城)側
   前 17:45に集合してください。

   その他で送迎希望者があれば今月末までに幹事
   までご連絡下さい。
                     
幹事敬白   

    

 

 

 【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------ 
   

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 高宮町史 自費出版デジタル
  3. 江佐尚白:生年不詳~享保7年(1722)7月19日
  4. 旧中山道六十九次徒歩の旅53/鳥居本~64高
    宮宿/紀行写真集3
  5. いのちの神様 多賀大社
  6. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  7. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  8. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  9. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  10. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  11. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  12. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  13. 滋賀文化のススメ
  14. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  15. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  16. 彦根巡礼街道
  17. 朝鮮人街道 Wikipedia
  18. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  19. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  20. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  21. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  22. ボーデン湖 Wikopedia
  23. コモ湖 Wikipedia
  24. ネッカー川 Wikipedia
  25. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  26. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  27. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  28. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  29. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  30. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  31.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
    , pp1681 - 1685
  32. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  33. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  34. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  35. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  36. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  37. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  38. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  39. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  40. 中世ヨーロッパ 騎士と城
  41. 城郭都市 Wipipedia
  42. ハイデルベルグ Wikipedia
  43. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  44. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  45. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  46. リンダウ - Wikipedia
  47. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  48. 城郭都市 Wikipedia
  49. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  50. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  51. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  52. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  53. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  54. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  55. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  56. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  57. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  58. 万里の長城 世界史の窓  
  59. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  60. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  61. 佐和山城 Wikopedia
  62. 石田三成 Wikipedia
  63. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  64. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  65. 鳥居 明神鳥居 Wikipedia
  66. 猿蓑 Wikipedia
  67. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  68. 石田 正継 Wikipedia
  69. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  70. 彦根藩並近郷往古聞書
  71. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  72. 井伊家年譜
  73. 佐和山藩 Wikipedia  
  74. 丹羽長秀 Wikipedia  
  75. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  76. 彦根古図略図 彦根市
  77. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  78. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  79. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  80. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  81. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  82. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     
  83. 稲村神社春季例大祭 太鼓登山
  84. 「近世初期有力農民の社会関係-近江国愛知郡下平
    流村山田庄兵新家を素材に」 渡辺恒一  2013.06.13
  85. 「湖東地域における複数村落による 神社祭祀」 市川
    秀幸 2015.03.27
     
  86. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『
    絹と明察』(1)~(7) 詩文楽-Shibunraku
  87. 荒神山神社 公式ホームページ 
  88. 甘呂城と川瀬氏「わたしの町戦国 06」 彦根市
  89. 山崎山城跡「わたしの町戦国」彦根市
  90. 甘呂神社 滋賀県神社庁
  91. 西国の山城: 勝楽寺・勝楽寺城
  92. 日本の香りの歴史|香り花房 [ 香りが学べる香り
    の教室]
  93. 佐々木道誉の足跡と平清盛御落胤伝説を訪ねて

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城郭都市設計史 13

2016年01月09日 | 湖と城郭都市

 

 

【中世の彦根 5】 

● 神輿道の渡御と甘呂神社  

甘呂町の集落の中央部に真四角に通る道が一周している。
この道幅はいずれも二間道の十二尺(3.6メートル)
をもつ通称四小路と呼ばれています。800年以前に、
この道が設けられた。山門の政策として、日吉新社の威
勢を示す道を設けたとか、荘園拡張の協力をここ甘呂に
果せたのではないだろうかと考えられている。この道を
毎年甘呂神社の五月一日の春季大祭には、華麗荘厳な古
例の神輿の渡御が行われる。

正午神輿の渡御奏楽のあと、町内の若衆に担がれその渡
御の列は神輿二基、屋台二基、大太鼓一個に鐘一個、「
お伊勢まいり」の音頭に囃されて境内を発進し、その神
輿道に一幅の絵巻物を彷彿させる渡御が繰り展げられ、
途中、御旅所では神輿に神酒を供し小憩をとる。その後
斎場に向い、到着すると二社の神輿は交互に三度当て、
囃し立てられて休憩をとる。鐘と太鼓とは若衆によって
威勢よく連打され、祭礼はクライマックスに盛り上がる。
頃合いを見て境内に還行する。



これより二社の神輿は、西の言路から波香山に交互に三
度、囃し立てながら渡御を繰り返す。このようにして渡
御が無事終り、拝殿に待ち構える宮司によって還幸の祝
詞が奏される頃、春の夕日は西に傾き、黄昏を迎える。

さて、この甘呂神社は、その祭神は大山昨今と伊邪那美
奈としている。大山昨命は、明治以前は山王権現といい、
素佐男尊の御子犬歳神の御子で武勇絶倫の大神といわれ
ている。平安の中期、応徳三年(1086)白河上皇が
比叡山麓の坂本に圓徳院を建立された当時のこと、甘呂
はその新御堂の寺領となり、甘露庄と呼ばれた。その領
家は梶井宮で、比叡山延暦寺の末寺建立のとき、守護神
として日吉神社から波香山に勧請せられたものと伝
承さ
れている。

伊邪那美命は、白山権現といわれ、日本開聞の神で、加
賀白山に座す白山姫尊です。建長年間(1249~12
55)比叡山全盛期に日吉新社として、「西の森」に勧
請し、白山社といったと伝えられています。その後享保
十二年(1727)現在の社殿に合祀。この白出社の跡
を西の森と名づける。社殿は延享二五年(1745)本
社の社殿を建立。社殿は大正二年(1913)、回廊と
ともに改築、拝殿は明治二十一年(1888)建立され、
鳥居は明治四十年(1907)に建立する。

境内の古蹟波香山は神社の東南に、往古天台宗山門末寺
甘露寺が建立され、その山号を波香山と称したがその年
号は不詳で、この地に山王社が奉伺される。五月一日の
春季大祭には二社の御輿の七度(現在は三度)御幸の儀
が行われる霊地です。由緒書の記念碑も建てられ、欅の
老大樹のその幹の周囲は、現在7・5メートル(4・87
メートル)
である。



蓮池跡は、甘露寺の古蹟で「江在三郡録」に次のように
記されている。


 其の当時波香山の麓から現在の御輿蔵の辺まで山水
 の景をなし、蓮の花咲く頃は、他の細波香ひその妙
 なる四方に薫ず。波香山の名も蓮花清波に映ずる美
 観より起れり。


故老の話では、このところを天狗の川ともいい、川幅も
広くその中に入って、泳ぎ戯れたと云うことだが、現在
は埋れ、潅木さえ生い繁り、昔の縁を知る人はない。
宮居跡は、また西の宮跡ともいいます。享保十二年(1
727)、ここに鎮座した白山社を現在の社殿に合祀。
現在は広場である。蔵屋敷跡は領家梶井門跡の荘園時代
の蔵屋敷の跡である。その後総合され、勧善学校の敷地
となり、現在は公民館となっている。

※ 甘呂神社 彦根市甘呂町 0749-25-1494(甘呂公民
  館)

● 甘呂城跡と城郭

上地図の整然と碁盤の目の区画は、古代の土地区両制度
の条里制地割で、1町(約109メートル)四方を基本
単位として「坪」と称し、坪には、それぞれ小字名が振
られている。集落の南端に 「城畑」「城田」「城南」
「城ノ西」など「城」の字を冠した字名が集中。「城畑」
「城田」の辺りを中心に、かつて河瀬氏ゆかりの平地城
館が広がっていたと推測されている。さらに、現在の集
落の中心付近は坪の地割をさらに南北に二分するように
走る直線的な道路や水路が設けられ間口を等しくする計
画的な屋敷割である。規模は小さく、この辺りに町屋が
形成されたと予測される。

そして、集落の周囲には現存する甘呂神社のほか、「雪
待寺」「善福寺」「大地庵」「光勝寺」「一町寺」「朱
雀院」など社寺にちなんだ小字名が存在。また、甘呂神
社の南方に存在した細長い藪は、城を取り囲んでいた土
塁の一部であり、甘呂神社の北方に現在も流れを刻む水
路は、堀の役割を担っていた可能性も考えらる。このこと
から甘呂集落の南端付近に城館を構え、その北に町屋を
形成、周囲に社寺を点在させ土塁や堀で囲った城郭都市
の原型がイメージできる。

甘呂の地は、すぐ南西側を直進する下街道(古代の巡礼
街道)が走っており、戦国時代には下街道に面し、佐和
山城や安土城・八幡山城などの城が築かれ、幾多の武将
が往来。甘呂城も規模は小さいですが、下街道沿いの重
要な位置に築かれた城と想定される。なお、小字「城南
」の地には天九郎井戸と呼ばれる井戸が残り、南北朝時
代(1336~1392)頃、甘呂に住んだ刀工天九郎俊長ゆか
りの井戸の伝承がある。

 

【エピソード】       

           

● 甘露庄

甘呂は犬上川の下流に位置し、西は野田沼に接する。甘
呂は古くはF甘露」とも書く。京都の三千院に伝わる古
文書には、正中2年(1325)の西南院新御堂領の1
つとして「近江
国甘露庄」と記されている。西南院は高
野山の別格本山西南院のこと。当時、甘呂は西南院の新

御堂の荘園であった。その後、甘呂の地は梶井門跡領の
荘園として維持される。

● 河瀬氏

この甘呂に、いつごろ城が築かれたか不詳であるが『江
州佐々木南北諸士帳』(佐々木一族が近江を支配した中
世に、近江に存在した城名と城主名を列挙したもの)
によると、F甘呂住佐々木陸兵河瀬大和守秀宗」と記さ
れて、甘呂には佐々木一族の家臣であった河瀬大和守秀
宗が住み、この河瀬氏のもとで甘呂に城が築かれたと見
られ、もともとは荘園の現地管理を委ねられた荘官であ
ったと推測されるが、しだいに甘呂の地を本拠として武士
化し、城を築<ようになったと考えられる。なお、『江
州佐々木南北諸士帳』を見ると、河瀬氏の名は甘呂のほ
か北河瀬や多賀の地にも認めることができ、一族と考え
られる。

    

          16年度新年会(案) 

日時 2月6日(土)か2月13日(土)のどちらかで
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 幹事が責任もって手配します。
                              幹事敬白   

    

        

  【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------ 
   

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  7. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  8. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  9. 新高宮町史 自費出版デジタル
  10. 江佐尚白:生年不詳~享保7年(1722)7月19日
  11. 旧中山道六十九次徒歩の旅53/鳥居本~64高
    宮宿/紀行写真集3
  12. いのちの神様 多賀大社
  13. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  14. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  15. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  16. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  17. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  18. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  19. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  20. 滋賀文化のススメ
  21. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  22. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  23. 彦根巡礼街道
  24. 朝鮮人街道 Wikipedia
  25. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  26. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  27. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  28. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
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    府経済社会総合研究所
  29. ボーデン湖 Wikopedia
  30. コモ湖 Wikipedia
  31. ネッカー川 Wikipedia
  32. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  33. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  34. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  35. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  36. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  37. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  38.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
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    , pp1681 - 1685
  39. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  40. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  41. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  42. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  43. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  44. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  45. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  46. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  47. 中世ヨーロッパ 騎士と城
  48. 城郭都市 Wipipedia
  49. ハイデルベルグ Wikipedia
  50. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  51. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  52. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  53. リンダウ - Wikipedia
  54. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  55. 城郭都市 Wikipedia
  56. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  57. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  58. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  59. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  60. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  61. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  62. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  63. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  64. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  65. 万里の長城 世界史の窓  
  66. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  67. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  68. 佐和山城 Wikopedia
  69. 石田三成 Wikipedia
  70. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  71. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  72. 鳥居 明神鳥居 Wikipedia
  73. 猿蓑 Wikipedia
  74. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  75. 石田 正継 Wikipedia
  76. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  77. 彦根藩並近郷往古聞書
  78. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  79. 井伊家年譜
  80. 佐和山藩 Wikipedia  
  81. 丹羽長秀 Wikipedia  
  82. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  83. 彦根古図略図 彦根市
  84. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  85. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  86. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  87. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  88. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  89. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     
  90. 稲村神社春季例大祭 太鼓登山
  91. 「近世初期有力農民の社会関係-近江国愛知郡下平
    流村山田庄兵新家を素材に」 渡辺恒一  2013.06.13
  92. 「湖東地域における複数村落による 神社祭祀」 市川
    秀幸 2015.03.27
     
  93. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『
    絹と明察』(1)~(7) 詩文楽-Shibunraku
  94. 荒神山神社 公式ホームページ 
  95. 甘呂城と川瀬氏「わたしの町戦国 06」 彦根市
  96. 山崎山城跡「わたしの町戦国」彦根市
  97. 甘呂神社 滋賀県神社庁

 ---------------------;-------- -----------------      


城郭都市設計史 12

2016年01月06日 | 湖と城郭都市

 

 

 

 【帰郷と詩作】

途中の素通りするだけの町、その人が「見たなかでも最
も美しい」と歌う以上、その人にはこのかりそめの町が
故郷なのだ。「通り過ぎる瞬間に、そのつどのただ一度
の故郷となってまみえる町、橋上の人こそこの町を所有
するだろう。

ヘルダリーンは、この年、ディオーティマとの別離を自
分らを引き裂いたものに向けて、愛と憎悪を忘れるため
に忘却の飲物を飲もうとしで歌う。


 わたしは去っていこう、おそらくいつの日にか、あ
 なたに

 ディオーティマよ! ここご会うだろう。しかし死
 に絶えていよう

 そのときには希望は それで なごやかに

 幸せな死者たちに等しく、見知らぬ者となって

 わたしたちは行き交うのだろう、話をしたりして行
 きつ戻りつするのだろう、

 しきりにもの思いつつ、ためらいつつ、しかし互い
 のいの存在を想い出させてくれるのだ、それも忘れ
 ていたわたしたちに。

  ここ 別れの場所は
  すると わたしの内部の心が温まってくるのだ。

 ぼうぜんとしてわたしたちはあなとを見つめる、声
 と美しい歌を、 

 あのときの上うにわたしは聴く、弦の音を
 すると百合から甘やかな香りが
 金色のまま 小川のせせらぎの上でわたしたちに向
 けて香ってくる。

       
      「別れ」
第二編第七~九節 Der Abschied 1800 

そして同時期には、やはり頌歌で彼仙の偉入さをたたえた。

 あなたは沈黙し耐えている、世間の人々はあなたを理解
 できない故に、
 高貴な女性よ! あなたはうつむいたままおし黙る
 こんなに美しい目なのに 何故なら おお 無駄だったか
 らだ
 あなたがわかるひとびとを太陽の児のなかに どれほど
 探しまわっても、

 さあ見て! おお 愛するひと、わたしたちの丘が沈んで
 いくまえにこそ
 これは生じよう、本当に! もうわたしのはかない歌は
 あの目をはっきりと見ている、その目には、ディオーティマ
 よ! 神々に次いで
 英雄らに並びあなたと対等になるのだ。


     「ディオーティマ」 弟一、六節 Diotima 1800

                 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院より


※フリードリヒ・ヘルダーリンの3つの讃歌 Op.71より
 (上スコアをクリック)

 


【中世の彦根 4】

● 火と竈の神を祀る荒神山神社

伊庭内湖は、伊庭氏の館があったところ、曾っては琵琶
湖の中でも有数の内湖として、
魚類の棲息の場であり、
春の水温む頃となりますと内湖の浅瀬に繁茂している葦
は絶好の
産卵地で、魚が場所を選びに葦の根元は時折揺
るがす様が見え隠れしていた。


ところが、食糧増産の名のもとに、水深が比較的浅い利
点をも加味され、一大干拓が農
林省(現農林水産省)の
直轄事業として積極的に推進されたが
、館のあった付近
は、堀割の水路が四通し、往時のままの石垣が水に影を
落して
田舟が舫っている水郷の風景を留めている。この
伊庭氏は六角佐々木氏の守護代で、永
正十七年(152
0)将軍位、管領位の争奪の渦中に、六角定頼の謀略に
より、朋友九里
氏とともに水茎岡山城で降伏するす。

山裾の安楽寺を東へ、「御茶之水」の雑草に埋れた石碑
があり、ここは、徳川将軍
一行が通行の折、休息したと
ころという。
能登川の街並みを過ぎ愛知川を渡る。この
愛知郡は、太古依智秦氏の氏族が分布し、
広大な沖積原
野を開拓して、農地、桑園を拓き、養蚕を拡め、絹麻の
機織をもって布帛を
製し朝廷に献上している。

街道は直線に伸びて、彦根へ入ります。稲部、稲里の地
名のとおり黄金の水稲田が広がる。ここから左手遠く濃
緑を呈した小高い荒神山を眺めることがでます。彦根市
南西部の琵琶湖岸近くにある傾らかな輪郭をもつ荒神山
は標高284メートル、周囲約八キロで、平野に屹立し
ているためひときわ高く見える。

山頂付近は荒神山神社本殿と拝殿、社務所とテレビ・ラ
ジオの放送塔が静かに佇んむ。ここからは琵琶湖やその
向うの比良山系の絶景を一望できる。また、眼下に展開
している水稲田の碁盤目状の区画割りは、古代の条里制
の名残り。


荒神山神社の祭神は、天産霊神、奥津日子神、奥津比売
神で、古来より「火の神」「竃(かまど)の神」として、
彦根をはじめ湖東地方の住民の信
仰を集めている。境内
には、行基菩薩が奥山寺 (荒神山) の伽藍成就の後、伊
勢神宮に参拝し、外宮の神木・宇賀璞の実を持ち帰り、社頭
に植えたという木があり、御神木になっている。この木はタブ
ノキで、一説によると樹齢て百余年ともいわれている。 

荒神山神社は、天智天皇の御代に、犬上、愛知、蒲生、
神崎四郡の祓殿、御祈所と定められる。水無月祭の神事
は、その当時の縁を今に伝えている。満三歳までの男女
幼児を対象に神楽を奉納し、火の災難を避けられるよう
に、わが子の安全を祈願する。また、本殿前に設けられ
た茅の輪を潜り、機れを浄め、疫病払いをします。

陰暦六月晦日に行う祓を名越の祓といい、または夏越、
月祓、荒和の祓などともいう。祓は神道の基本ともい
うべき
信仰で、随時随所でその必要に応じて行われるが、
定期的
に行ったのが六月・十二月の各晦日の大祓で、六
月の祓を
名越、十二月のを年越の祓という。

名越の祓の呪法として、いわゆる茅の輪潜りを行います
のは
今日各神社で行われる大祓神事の中では最も多くと
られてい
る方法で、輪越の祓の名もあり、神社の鳥居の
下、または拝
殿・神橋の橋詰めなどに、茅を紙で包み束
ねて大きな輪に作
ったものを設け、宮司がまず潜り、以
下一般参拝者に潜らせ、
これによって機れを祓う。茅の
輪は菅抜、ちなわともいい、そ
の由来は『備後国風土記
』『釈日本記』所引に、起源説話があり、北海の武塔神

が南海の神の娘を婚に出かけたところ日が暮れてしまっ
た。そこに蘇民将来と巨且将来という兄弟があって、兄
の蘇民は貧しく、弟の巨且は大金持。武塔神は巨且に宿
を借りようとしたが拒絶され、兄の蘇民の家に泊まった。

蘇民は栗茎で座席を作り、栗飯を炊いてご馳走すると、
れから何年かたって武塔神は八柱の子神を連れてやっ
と来
て、蘇民のために報恩しようと告げ、蘇民と妻と娘
に茅の輪
を腰に着けていよと命じておき、その夜この三
人を除いて巨
且らを疫病で皆殺しにしてしまう。茅の輪
を腰の上に着けれ
ば、やがて家なる人は免れなんと告げ
たと伝承されている。
 

【エピソード】      

          

   

          16年度新年会(案) 

日時 2月6日(土)か2月13日(土)のどちらかで
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 幹事が責任もって手配します。
                              幹事敬白  

   

       

  【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------  
  

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. 江佐尚白:生年不詳~享保7年(1722)7月19日
  15. 旧中山道六十九次徒歩の旅53/鳥居本~64高
    宮宿/紀行写真集3
  16. いのちの神様 多賀大社
  17. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  18. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  19. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  20. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  21. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  22. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  23. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  24. 滋賀文化のススメ
  25. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  26. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  27. 彦根巡礼街道
  28. 朝鮮人街道 Wikipedia
  29. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  30. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  31. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  32. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
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    府経済社会総合研究所
  33. ボーデン湖 Wikopedia
  34. コモ湖 Wikipedia
  35. ネッカー川 Wikipedia
  36. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  37. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  38. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
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  39. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  40. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  41. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  42.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
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  43. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  44. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
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  45. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  46. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  47. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  48. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  49. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  50. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  51. 中世ヨーロッパ 騎士と城
  52. 城郭都市 Wipipedia
  53. ハイデルベルグ Wikipedia
  54. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  55. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  56. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  57. リンダウ - Wikipedia
  58. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  59. 城郭都市 Wikipedia
  60. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  61. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  62. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  63. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  64. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  65. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
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  67. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  68. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  69. 万里の長城 世界史の窓  
  70. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
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  72. 佐和山城 Wikopedia
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    の成立
  76. 鳥居 明神鳥居 Wikipedia
  77. 猿蓑 Wikipedia
  78. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  79. 石田 正継 Wikipedia
  80. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  81. 彦根藩並近郷往古聞書
  82. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  83. 井伊家年譜
  84. 佐和山藩 Wikipedia  
  85. 丹羽長秀 Wikipedia  
  86. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  87. 彦根古図略図 彦根市
  88. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  89. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  90. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  91. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  92. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  93. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     
  94. 稲村神社春季例大祭 太鼓登山
  95. 「近世初期有力農民の社会関係-近江国愛知郡下平
    流村山田庄兵新家を素材に」 渡辺恒一  2013.06.13
  96. 「湖東地域における複数村落による 神社祭祀」 市川
    秀幸 2015.03.27
     
  97. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『
    絹と明察』(1)~(7) 詩文楽-Shibunraku
  98. 荒神山神社 公式ホームページ

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