海津大崎のふな寿司

2011年12月27日 | 日本の里山百選

 


【ふなずしを味わう】

鮒寿しに付いた飯を軽くしごき取り、おおよそ3か
ら5ミリ位の厚さに切りそのまま、ひと切れを口に
運び吟醸酒を含み飲む。鮒寿しと吟醸酒がその芳醇
で深い味わいはまさに絶品。ことに、鮒寿しの仕込
みと同じ水を使って醸した吟醸酒「竹生嶋」(吉田
酒造)との相性は格別という。本当においしいのは
身の締まった筋肉質の尾びれの近くともいわれる。
噛めば噛むほど旨味が出て「やみつきになる味」「
はまる味」。

鮒寿しの切り身を熱いご飯の上に乗せ、まわりにた
っぷりついている「飯」を少し乗せて、軽く塩をふ
り、熱い目のお茶をかけます。鮒寿しの熟成された
コクのある酸味が、おいしいお茶漬けをつくる。寒
いときには、ほかほかと身体の芯からあたたまる。
鮒寿し(ふなずし)は、風邪を引いたとき、熱いお
湯をかけて飲むとそれが持つ乳酸菌の作用により発
汗を促し楽になるともいわれ、鮒寿し自身のもつビ
タミン、天然の抗生物質もそれに一役かっていると
か。お腹の調子の悪い時などは、鮒寿しの乳酸菌が
調子を整える手助けするという。


鮒寿しはそれぞれの店によって味がそれぞれ違う。
抵抗感のある方も、先入観をもたずにいろいろため
して好みに合った味の店を選ぶのが大切。作家の遠
藤周作や子母澤寛、元清水寺貫主の大西良慶和上も
この海津大崎の専門店「魚治」や料亭「湖里庵」を
訪れている。

「湖里庵」は作家の狐狸庵先生こと遠藤周作から名
をいただいたということだが。先生からは「湖里庵
へ来たら食べられるもの、湖里庵に来なければ食べ
られないものを名物料理として考えなさいよ」との
ヒントから「鮒寿し懐石」がうまれまれたとか。
「鮒寿し懐石」は、いろんなかたちで鮒寿しがいた
だける上、風光明美な海津の素晴らしさを堪能でき
る。
 


 
【エピソード】

 



滋賀県はすぐれた身近な景観に恵まれているオンリ
ーワンの地勢をもつ。この価値にさらに磨きをかけ
宝物となすのは各地の住民だ。「にほんの里100
選」では「白王・円山」「甲南町杉谷新田」の2箇
所が選ばれているが、全国から百だけを選ぶとなる
とやもうえないかもしれない。その典型が高島市の
畑地区の棚田などがそうだ。ひとの手がかからなけ
れば直ちに荒廃する。里山が荒廃すれば海も荒廃す
ることは科学的に検証されているが、二箇所だけで
ない。それならということで来年から個人的に百箇
所を選定しに歩こうと思う...

そんなことを考えていたら、鮒寿しも創意工夫すれ
ばもっと洗練されたものができるはずだと思ったが
これは専門家の手がいる。

三重県境の約20戸の集落。田畑はよく管理され、
畦(あぜ)は常に草刈りされて美しい。動植物も多
様で自然豊か。東海自然歩道が通る。
 

ヨシ原特有の湿地生態系が残る琵琶湖最大の内湖、
西の湖の北西にある。ヨシ産業が昔から続き、湖中
の島には舟で通う水田も。

 

【脚注及びリンク】
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1.にほんの里百選
2.おうみ棚田ネット
3.高島市の『百選
4.魚治
5.湖里庵
6.周作クラブ
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郷土料理 鴨鍋

2011年12月20日 | 滋賀グルメ紀





琵琶湖には冬が近くになるとシベリアからカモが飛来
する。湖北の冬を代表する味覚といえばカモ鍋で、古
来、魚用の仕掛け網にかかったカモを魚屋が商いとし
て扱っていたという。現在、湖面での猟は禁止されて
いて、内陸部や川沿いでは11月15日から2月15日まで
の間に限って猟が許される。11月から3月までの季節
限定の郷土料理だ。

といっても、用いる食肉は真鴨ではなく合鴨がほとん
ど。鴨肉からは良質のだしが出てコクがあるが、昆布
などでだしをとっても美味しい。古くは、豊臣秀吉が
大阪で鴨の飼育を奨励したという記録や、平安時代か
ら飼育されていたという説などがあるとされ、関西で
は「すき焼き」が夏のスタミナ料理とされていたろも
ある。大阪で根付いた合鴨産業は明治時代末期に始ま
り、現在は大阪府松原市のツムラ本店が「河内鴨」と
いうブランドで合鴨肉を取り扱っている。

合鴨肉の特徴は皮下に厚めの脂肪層がついていること
で、この脂肪が合鴨肉の美味しさ旨さと深く関係し、
常温液状の不飽和脂肪酸が多いため合鴨の脂肪は融点
が26.8度と低く、体温で容易に溶け、食べて口当たり
がよく、美味しくまろやかにするという。栄養的に優
れているオレイン酸はが含まれ、悪玉コレステロール
値を下げるなどの機能性を持った必須脂肪酸のαリノ
レン酸、リノール酸などの多価不飽和脂肪酸が他の食
肉類に較べて多い。

          


 
【エピソード】

 真っ赤な鴨の肉、
 鴨肉や具を食べ終わったら、だしとたれを追加し
 てください。そのほうがおいしく召し上がれます
 から、長年の感と女将の年輪が立ち居振る舞いに
 まで見えて、鴨の味を一層、引き立ている。
 前菜に出された「こつくり」(滋賀では鯉や鮒の肉
 を薄い刺身の状態にし、湯通しした新鮮な鯉や鮒
 の卵子にまぶしたものを言い酢で溶いた白味噌で
 食すのが通常の食べ方)鮒の薄い刺身に、黄色の鮮
 やかな鮒の卵がまぶされ生臭味のないこりっとし
 てさわやかな味がわさびにぴったりと合っている。
 久しぶりに、今は、無い、自宅に帰ったような錯
 覚に陥り、地酒(七本槍だったか、聴きそびれた)
 を少量いただき舌鼓を打った。「鳥新」は昔通り
 に長浜の町の一隅に静まっていた。何度も来た事
 のある店だけれども、いつも来たのは夜だったの
 で、陽の当たっている二階座敷の畳に簾が作る光
 と影の縞が新鮮だった。
 鴨が運ばれて来て煮える迄を鮒鯖で酒を呑んだ。
 鮒鮨は木之本のもの、香りも味も上々の上に、辛
 口で無い地酒「七本槍」によく合った。

            團伊玖磨『パイプの煙』

 


※郷土料理

打豆汁/おこうこのじゃこ煮/鮒寿司/焼鯖そうめん
/近江牛の味噌漬け/干瓢料理/鴨すき/エビ豆/蜆
料理/鮎御飯/小鮎料理/丁子麩の芥子あえ/いさざ
豆/鯖寿司/ばら寿司/ふな焼き/もろこの酢漬け/
佃煮/泥亀汁/贅沢煮/近江ちゃんぽん/赤こんにゃ
くなど

【新年会について】



恒例の新年会を準備しています。いまのところ29日(
日)、会場は、四番スクエアの『楽座』で調整してい
ます。問題があれば幹事までご連絡ください。

【脚注及びリンク】
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1.「湖北野鳥センター
2.「鴨とり爺さん
3.「パイプのけむり全仕事 團伊玖磨/鳥新
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松原磯の本諸子

2011年12月15日 | 滋賀グルメ紀






【子持ちホンモロコのどろ酢がけ】

琵琶湖の固有種で、モロコの中では最もおいしいと
されるホンモロコ。近年、漁獲量が激減した特に貴
重な食材だ。1月から3月の子持ちの時期が最も美
味。どろ酢(からし酢みそ)につけて食べても美味
しい。つくりかたは至って簡単。魚を洗い、こんが
りと素焼きする。材料には、ホンモロコ、どろ酢(
からし酢みそ)用に白みそ、砂糖、酢、練りからし
を準備する。

ホンモロコは、琵琶湖固有種であり、春季には湖岸
のヤナギの根、水草などに産卵。この時期の湖岸に
は、ホンモロコを狙った釣り竿が並ぶ。しかし、最
近は資源の減少で風景はあまり見られなくなってい
る。ふ化した稚魚は、沿岸域で生活し、冬季には沖
合の深層で群泳する。 ホンモロコは生まれて半年で
全長10cmほどになり、翌春には産卵。ホンモロコを
対象とした漁業は、冬から早春には沖曳網、春から
秋には刺網で行われる。漁獲量は1993年ごろまで20
0~400トンでほぼ安定していたが、1995年は96トン
と急激に落ち込み、その後も減少が続き、2006年に
は7
トンにまで低下。このため、ホンモロコの価格
は急騰する。 
 
彦根市松原から米原市磯の湖岸、矢倉川から天野川
にかけて、かっては本諸子(ホンモロコ)の大産卵
地であったが、琵琶湖総合開発による埋め立て、水
質汚染、外来魚による駆逐で壊滅する。わたしたち
の運動リーダの故田中豊一が経営する居酒屋でよく
この子持ちホンモロコのどろ酢がけをこの季節にな
ると3月ごろまで食べながら、居酒屋政治談義をし
ていたことを思い出す。このどろ酢がけ、焼き魚の
香りにどろ酢がからむとバター風味に変化し独特の
美味しさを醸し出すから一押しのお勧めだが、最近
は入手困難となり口にすることが無くなる。この滋
賀ではふな鮨を一番としているが、個人的には、
本文化を凝縮させた
この料理が一番と思っている。

 



 
【エピソード】

 

 磯の崎 漕ぎたみ行けば
 近江の海 八十の湊に鶴さはに鳴く 

                                    高市黒人


 磯がくれおなじ心にたづぞ鳴く
 なが思じ出づる 人やたれぞも

                   紫式部



この近くには竹生島にまつわる弁財天があるが、伊
吹の荒ぶる神の毒気に当たった日本武尊が、醒井の
居醒の清水で正気を取り戻し、都へ帰る途中に千々
の松原にて崩御。この地の磯山に葬られたが崩御し
たはずの日本武尊が白鳥となって飛び立ったと伝わ
る日本武尊を厚く守護神に祭る磯崎神社が建立され
ている。

毎年5月3日の例祭で「磯武者行列」がおこなわれ
日本武尊にあやかって男児は武者姿、女児は稚児姿
で巡行する。ところで、礒崎神社に神官として武内
宿禰(すくね)の後裔、武内信實が京都より派遣さ
れ、蒲生姓を名のり後に、礒崎を名乗って磯崎神社
の宮司となったのが礒崎家の始まり。礒崎金七は、
藤堂高虎に従い、文禄・慶長の役に参加し、関ヶ原
の戦いに参加、大坂夏の陣では長宗我部氏の吉田重
親、横山将監を討つた。系図によれば一時は2万石
を知行し、慶長12年(1607年)に藤堂姓を授けられ、
藤堂式部を名のる。大坂夏の陣の時で受けた戦傷に
家康が与えた「権現様頂戴之御軟膏」が現在でも伝
わっているという。

松尾芭蕉は藤堂新七郎家の家来であったが、式部家
の組下になる。さらに、家信の在世中に荒木又右衛
門、河合又五郎の伊賀越えの仇討ちがあり、敵討ち
が終わった後、式部家にお預けとなる。藤堂式部家
信は、寛永13年(1636年) 2月19日に京都に没し、
紫野大徳寺の大光院には藤堂式部家の5代と礒崎九
郎左衞門の墓がある。また、伊賀市朝屋の龍王寺が
式部家の菩提寺である。3
代将軍徳川家光の時代、
紫衣事件によって大徳寺から追放になった沢庵禅師
の高弟、清巌和尚を藤堂家が預かったとされる。

そんなこんなことを考えながら、縁ゆかしき地酒「
七本槍」を飲みながらどろ酢かけを食べることを楽
しみにしている。

Daitokuji Kyoto06n3200.jpg
                                    

 

【脚注及びリンク】
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1.「ホンモロコ増殖に関する研究

2.「琵琶湖漁業を支える魚たち

3.「琵琶湖と河川

4.「ホンモロコ料理
」滋賀県
5.「磯崎神社
6.「磯崎古墳群
7.「藤堂家信
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管浦四足門の牡丹

2011年12月10日 | 滋賀グルメ紀

 
 
 

 

 
【菅浦四足門】 

 
菅浦の地には、奈良時代恵美押勝の乱で道鏡や孝謙上皇
に負け、廃位になった淳仁天皇が住んでいたという伝説
が残っている。淳仁天皇は、幽閉地で憤死したといわれ、
須賀神社の裏山に淳仁天皇の御陵という塚が残っている。
菅浦の村に入る東西の道には、四足門と呼ばれる茅葺き
の門が残っている。かつては、ここで村に入ってくる外
来者の監視にあたったと言われている。また、鎌倉時代
から明治時代初めにかけて作られた村落や漁村生活を記
した菅浦文書が残されており、菅浦郷土資料館に保存さ
れている。

菅浦は後背すぐに山が迫った琵琶湖北端に面する百戸程
からなる東西に長い湖岸集落である。鎌倉期から明治初
年に至る村の共有文書『菅浦文書』をもち、中世惣村の
典型として知られている。集落の領域を象徴的に示して
いるといわれる四足門が集落の湖岸沿いの道の東と西の
2箇所(かっては4箇所に設置されていたという)にあ
る。西門は船以外で菅浦を訪れる時の、唯一の入り口に
あり、集落東端にある東門で道は終わっている。地の人
の話によると、貴重なものではあるけれど、維持が大変
なので、西門だけでも残そうという事になったらしとい
う。低い石垣が続く浜通りを挟んで山側の居住棟と地先
の浜小屋がある。

 


 
【エピソード】

 

昔の塩津街道は木之本から下がる場合、藤ヶ崎を通って
菅浦に入るがトンネル出来たため、藤ヶ崎の湖岸通りは
廃墟のようになり景観も劣化してしまっている。「道を
絶つと首が飛ぶ」とは某政治家のキャッチコピーだが、
経済法則の鉄則を思い知らされる。さて、コースとして
は、職場仲間と車で民宿に一泊するのだが冬季限定とあ
って積雪が当たり前だったが暖冬化でこの奥びわ湖もそ
れも珍しくなりつつある。コース料理には牡丹鍋以外に
鴨鍋や熊肉も食すということであったが、牡丹が定番だ。
少し独特な臭みがあるというので味噌醤油味で食るが、
肉の食感は牛肉すき焼きと変わらない。人気も少ない集
落にあって津々と雪降る夜は静寂そのもの。翌朝仲間が
それぞれの家路に散々するその奥びわ湖は見事な冬景色
だ。
 

【脚注及びリンク】
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1.「つづらお

2.「
菅浦の四足門(四方門

3.「
菅浦集落
4.「文化的景観「菅浦の思い出 今・昔 写真展

5.「日本の獣肉食の歴史
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余呉の冬公魚

2011年12月09日 | 滋賀グルメ紀

 

冬と言えば奥びわ湖の管浦の牡丹鍋、余呉のワカサ
ギ(公魚、若鷺、学名 Hypomesus nipponensis)が
外せないご馳走だ。公魚は
日本の内湾や湖に生息す
る硬骨魚で、食用魚でもある。来の分布域は、太平
洋側は千葉県以北、日本海側では島根県以北の北日
本で、日本以外ではカリフォルニア州にも分布する
という。ただし水温や塩分には広い適応力があり、
食用魚としての需要も高いことから、日本各地の湖
やダムなどでも放流された個体が定着している。い
まや南西諸島と伊豆・小笠原諸島を除く日本各地に
分布域を広げている。内湾、汽水域、湖などに生息
しているので珍しいものでない。食性は肉食性で、
ケンミジンコやヨコエビ、魚卵や稚魚などの動物プ
ランクトンを捕食する。一方、敵は人間以外にも肉
食魚や鳥類など数多い。地域にもよるが産卵期は冬
から春にかけてで、この時期になると大群をなして
河川を遡り、水草や枯れ木などに付着性の卵を産み
つけ、卵は1mmほどで、1匹の産卵数は千粒から2
万粒にも達する。寿命は1年で産卵が終わった親魚
は死んでしまうが、北海道、野尻湖、仁科三湖など
寒冷な地域では2年魚、3年魚も見られるという。



当たり前かも知れないが余呉の冬は豪雪で寒い。公
魚釣り付き民宿で忘年会もたびたび行ってきたたが
釣りの方には気が向かなく、もっぱら飲んで公魚料
理を戴くことしかしてこなかったが、なんといって
も熱々の唐揚げ、天ぷらが一番。宴会が終わり仕事
仲間と麻雀を朝方まで楽しみながら、追加注文し(
夜中だから仕入れ以上の注文すると断れることもあ
り要注意)、さらに腹の中に入れ、夜明け前睡眠を
とり9時頃帰ってくるというパターン。

 



【エピソード】
 



上の写真のように野尻湖マリーナでは専用の釣り船
が運用されているが、これだと、夜中でも、天候が
多少悪くても釣りが楽しめ、腰も据わり宿泊を前提
にショートリゾートが満喫できる。そんな施設があ
れば冬の余呉は活気付くのではと思っている。

【脚注及びリンク】
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1.「余呉湖漁業協同組合

2.「野尻湖マリーナ

3.「ワカサギの成長に伴う胸腺の発達と胸腺に及
  ぼす飼育水温の影響

4.「アウトドア・キャンプ・釣り・旅行情報のピ
  ーカン!

5.「己高庵(ここうあん)」
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