佐和山城

2015年09月28日 | 滋賀百城

 

 

 

● 西の丸三段曲輪遺跡

戦国期の武将・石田三成(1560~1600)が居城とした佐
和山城の伝西の丸(彦根市
古沢町)に地下構造を備え
た瓦ぶきの建物
があったことが、彦根市教委の発掘調
査で
明らかになった。江戸戸時代の絵図で塩なとを
蔵した「塩櫓(しあやぐら)」があったと伝わる
泣置
で、専門家はにの時期の城郭建築で地
下構造かおる例
は珍しい」としている。

佐和山城は東国と京を結ぶ要所にあった山城(標高約
230メートル)で、三成が関ケ原の
戦いで敗れた後に
落城、壊された。

今回発掘されたのは標高約180メートル、本丸北西
で「西の丸」と伝わる三段曲輪(<る
わ)の最下段。尾
根の先端に位置し、土塁に
囲まれた大きな引ま地かお
り「用途は謎」とされ
てきたが、四隅から礎石跡が出土
。南北3間(5・7メートル)、
東西2聞(3・8メー
トル)の長
方形の建物で約1・9メートルの深さの地
下室が
あり、瓦が曲輪全域に散乱していることから
ぶきと考えられている。※13

 

■ 佐和山城跡第1次範囲認定
    調査現地説明会開催要項※14


□開催主旨

彦根市の市或北部には、中世から近世を代表する城郭
遺跡である佐和山城跡と彦根城跡が存在し、それらは|
日城・新城の関係で歴史的連続性を有しており密接な
関係にあることから、本来一体の重要遺跡と号えること
ができます。このように、彦根を代表する二つの城郭
遺跡ですが、現任の彦根の市街地形成のきっかけでも
ある彦根城跡は国の特別史跡に指定されており、大切
に保護されている一万、彦根城の前身の城郭である佐
和山城跡については、現地に良好な遺構が残っている
にも関わらす未指定の遺跡となっております。このよ
うな状況を踏まえ、彦根市教育委員会では佐和山城跡
を特別史跡彦根城跡に関連する重要遺跡と位置付け、
将来の史跡指定を視野に入れつつ、その歴史的・要性
を探るべく11年度より佐和山城跡の総8調査を実施
しております。

それらの繩8調査の一環としまして、範囲確認(発掘
)調査を進めております伝西の丸下段曲輪の調査成果
に関しまして、下記のとおり、発掘現場の現地説明会
を開催することとします。

□開催日

 15年10月4日(日)
 午前9時30分から正午まで(雨天決行)
 ※受付は午前9時30分から午前11時00分まで
 ※説明は開催時闇中、随時行います。
 ※「とりいもと宿場まつり」との同時開催といたし
  ます。

□集合潟所

 近江鉄道鳥居本駅前

□最寄り駅

 近江鉄道鳥居本駅

□内容
  
 文化財課の発掘調査を担当している学芸員が、現地
 周辺の概要と発掘調査成果をわかりやすく説明しま
 す。

募集定員 なし
□申込み  不要
□参加費  100円(資料代・保険代)
□募集対象 小学生以下は保護者同伴

□問い合わせ先

 彦根市教育委員会事務局文化財課 0749-26-5833
  e-mail:bunkaza@mxhikone.ed.jp
 

 【エピソード】

    

                                     

 石田三成の一族は、北面武士の下毛野氏の一族、
 あるいは京極氏に属する荘園の代官であった土豪
 など、出自には諸説ある。石田正継の子の三成は、
 秀吉に才能を見出されて家臣となり、秀吉の天下
 統一後は、近江佐和山に19万石の所領を与えら
 れる。三成は経理や事務の才に優れ、豊臣政権で
 は五奉行の1人に昇るが、加藤清正ら武断派と対
 立。秀吉没後のに三成は五大老の徳川家康に対し
 て挙兵し、毛利輝元らを擁立し西軍を率いて戦う
 が敗北し、処刑される。この時、父の正継や兄の
 正澄は佐和山城を守備するが、東軍の追討を受け
 て落城し、正継、正澄らが自害する。

 ┃
清心
 ┃
正継
 ┣━━━┓
正澄  三成
 ┃   ┣━━━┳━━━┓
朝成  重家  重成  辰姫津軽信枚弘前
                   藩
代藩主)


 三成には三男三女あるいは二男五女の子がいたと
 され、関ヶ原の戦い後長男の重家は助命され出家、
 次男の重成は津軽氏に仕官し、子孫は杉山氏を名
 乗って津軽家臣として存続する。娘の辰姫は弘前
 藩二代藩主津軽信枚に嫁ぎ、子の信義は三代藩主。
 津軽本家と分家間の婿養子・養嗣子を踏まえると
 本家十代藩主まで、津軽分家黒石領四代当主から
 七代当主が辰姫の血を引く。(Wikipedia)

 

【脚注及びリンク】
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  1. 佐和山城、Wikipedia
  2. 佐和山城遺跡地元説明会資料
  3. 佐和山城遺跡の発掘調査成果、滋賀県教育委員会 
  4. 佐和山城遺跡現地説明会フォトレポート - ひこね街
    の駅 武櫓倶
  5. 彦根市埋蔵文化財調査報告書第44集、2011.02.11
  6. 佐和山城跡など県内8遺跡 発掘調査報告書を刊行
    2012.12.28、滋賀報知新聞
  7. 佐和山城跡-その歴史と山に残されたもの、2012.
    10.23、滋賀県教育委員会
  8. 佐和山城の遺跡(湖東)、滋賀県、2010.01.14
  9. 佐和山城の遺跡(その2)滋賀県、2011.02.09
  10. 佐和山城跡から侍屋敷遺構 「一等地」三成重臣
    居住か 読売新聞 2015.05.29
  11. 屋敷跡と内堀の遺構発見 彦根・佐和山城跡を
    調査 中日新聞 2015.05.29
  12. 三成ファンの拠点に 彦根に「治部少丸」が開館
    京都新聞 2015.03.02
  13. 石田三成居城の佐和山城跡に地下構造付き建物
    朝日新聞、2015.09.26
  14. 佐和山城跡第1次範囲確認調査現地説明会  彦根
    市 2015.09.17
  15. 石田三成に逢える 近江路三成会議 2015.09.25

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