ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ふたたび夏目漱石

2014-09-21 17:10:45 | 本のレビュー

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岩波文庫から出た夏目漱石の「行人」。 これを読むのは、三度目くらいだろうか。漱石は、少年期に読んでも、青年期に読んでも壮年期に読んでも、素晴らしく面白いといった評論家がいたが、たしかに古今東西の作家を読んでも、最後は漱石という気がする。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズものや、アガサ・クリスティーのミステリーと並んで、読者をとらえて離さない魅力を持っている(少なくとも、私にとっては)。

さて、この「行人」。決して楽しい話でも、ドラマチックな起伏があるわけでもなく、華やかなロマンスが繰り広げられるわけでもない。どちらかというと、冬の日、曇天がどこまでも広がってゆくのを見るような、憂鬱な話なのである。 

研ぎ澄まされた知性と、感性を持つ学者の一郎は、妻と弟の二郎が不義の関係にあるのでは?との疑いや周囲との不協和音などに苦しんでいる。早い話、重症の神経衰弱にあるのだが、その兄の姿を二郎の視線から語ったのが、この小説。 若く健康的で、厄介事からはすぐ手をひっこめてすますような、要領の良さを持つ二郎は、一郎と対極にあるといえるのだが、一郎の性格もわかりにくい。

「学問」をきわめた挙句、常人より精密な頭脳を持つということが、かくも八方塞がりな精神状態をもたらすものだろうか? 自身も神経衰弱に苦しみ、ある意味狂気寸前であったという漱石自身の肖像を見るような思いがするのだが、当時の漱石は一郎に自分を託していたのかもしれない。 繰り返される叙述のはしばしから、一郎ひいては漱石その人が、自分の頭脳や知性に強大な誇りを持っていたことが感じられる。 しかし、こんな鋭敏な神経を持って生活されたのでは、周囲の家族はたまったものではないだろう。

この小説を読んでいて、晩年の芥川龍之介を思い出した。芥川最後の作品集「歯車」や「河童」は、精神の危機に瀕した芸術家の『白鳥の歌』という色彩が強く、鬼気迫る感じは、面白くも凄みがあるのだが、当時はインテリゲンチャには、まことに住みづらい世の中だったのかもしれない。

二郎の頼みによって一郎を長い旅に連れ出した友人の長い手紙によって、小説はしめくくられる。 一郎の親友であるはずの彼も、旅に出ることで、やっとその異常に気付くのだが、その結末が悲しい。 無心に眠る一郎の姿を見ながら、彼はこう書く。「 兄さんは、今眠っています。兄さんがこの眠りから永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にこの眠りから永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします」

私の目にも、苦悩からしばし逃れ、深い眠りに沈む一郎の姿が見えるような気がする。

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