ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

サウルの息子

2016-03-18 20:00:48 | 映画のレビュー

いつも行くシネマ・クレール(私は、ここ以外の映画館に行かないから)で「サウルの息子」を観る。

「アンネ・フランク」、「サラの鍵」、「ハンナ・アーレント」など、今までユダヤ人とナチス関連の映画を観てきたが、これがその集大成といっていいかもしれない。
それほど、重く、深い感慨を呼び起こす物語だった。

時は1944年。アウシュビッツ=ビルケナウ収容所。 主人公サウルは、映画の冒頭、上着の背中に赤い✖(バツ)印をつけた姿で現れる。
この✖は、「ゾンダーコマンド」であることを示すもの。 「ゾンダーコマンド」とは、自分も囚人でありながら、同胞のユダヤ人をガス室に送り、その後始末をするなどの労働任務につく者――こういえば、看守がそうであったように、自分もユダヤ人でありながら、特別待遇を与えられた者と思われるかもしれないが、数か月後には、彼らにも悲惨な死が待っていた。

全体に黄色味がかった映像は、窒息しそうな収容所内の光景をあますところなく写し取ってゆく。ここまで、現実に近いアウシュビッツを描いた映画は、過去存在しなかったのではないか? 感情を消し去ったかのようなサウルの視覚を通して、私たちも当時を垣間見ているような気にさえさせられる。

ある日、サウルはいつものようにガス室の後始末をする際、まだ息の残っている少年を発見する。少年はすぐさま、息の根を止められたのだが、その子こそサウルの息子に他ならなかった。 サウルは、解剖される予定の息子の死体を盗み、収容所内をラビ(ユダヤ教の聖職者)を探してまわる。息子を埋葬するために、そして祈りを捧げてもらうために。

現実の苛酷な収容所内では、ゾンダーコマンドはずっと使役に従事せざるをえなかったはずで、サウルがしたように、仲間に話しかけたり、作業の手を休め周りをうかがう、といったことが可能だったとは思われない。挙動不審な囚人がいれば、すぐドイツ兵に抹殺されていたかもしれないのだから。
しかし、サウルが息子の遺骸を埋葬しようと懸命になるのは、単に情からではない。 ユダヤ教では、遺体を火葬にすれば、死後復活することはできない、とされているためだ。
愛する息子のために、最後の力をふりしぼるサウル。彼にも、遠からず死が待っているはずなのだから――。


当時のゾンダーコマンドと呼ばれていた人は、どんな思いで日々を生きていたのだろう? 赤いペンキで大きく書かれたバツ印。仲間をガス室に送り、その遺体や室内の清掃をしなければならない、とは囚人の中でも一番残酷な立場ではなかったではないだろうか?  列車から降ろされたまま、何も知らず、ガス室に誘導されるユダヤ人たちの姿を、日々見ねばならなかったのだから。   彼らの背中に刻まれた印は、ダビデの黄色い星と同じくらい残酷なもの、と私の目には感じられた。

ホロコーストはまだ語りつくされた訳ではない。そして、そこから目をそむけてもならない。 そのことをサウルの行動が教えてくれる。


コメントを投稿