人間が文明をもって、数千年の時が流れた。だが、この繁栄にも、終わりはあるはずである。なぜなら、形あるものは、消え去ることが必然だからだ。
思えば、チグリス・ユーフラテス河畔に文明の灯がともってから、人間の歴史は発展・拡大の一途をたどっていったが、それが飛躍的なスピードになったのは、やはり産業革命以後のことだろう。人口はハイスピードで増え続け、交通機関一つとっても、馬車から鉄道、自動車、飛行機へとめまぐるしい速度で、文明の利器も進歩した。
そして、この日本でも江戸時代は平均40年あまりだった平均寿命が、戦後は80歳を越えるなど、人が長く生きる時代となった。若年人口が圧倒的に多く、老人は稀だった古代・中世・近世の社会を見ると、長寿で、文明の恩恵をふんだんに受けることのできる現代は理想といえるかもしれない。
だが、はたしてそうだろうか? 1970年にローマ・クラブは「成長の限界」を提言し、地球上の資源は有限なのに対し、人口がこのまま増えていけば、100年内に地球上の成長は止まるとの見解を示した。成長が止まる--これは、人間の文明が飽和地点に達し、衰退の道をたどっていくことを暗示しているのかもしれない。現在でさえ、世界はあまりにも複雑で、その複雑さのあまり分裂の様相を呈してさえいる。
確かに数十年前までSFが、明るく希望に満ちた未来世界を描きだして見たのに比べ、現代は希望を抱きにくい、状況にあるなあ、と思ってしまう。昔、学生時代アーサー・C・クラークの「楽園の泉」というSF小説で、25世紀の地球を舞台に、宇宙エレベーターをつくろうと奮闘する、工学者ヴァニヴァー・モーガンの物語を愛読していたけれど、宇宙に歩を踏むまで、地球と人間の歴史がずっと続いてほしいと思っている。
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