長野県飯田市上川路19-1の下位段丘上にあります。
塚原古墳群の南(塚原二子塚古墳の前の道を南に下った突き当りの集落内)です。
9基が確認されている金山古墳群を構成しています。
開善寺(考古資料館)の東側になります。
全長約63m、 後円部径37.1m・高さ6.1m、 前方部先端幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。
(左後円部・右前方部)
前方部と後円部中央に横穴式石室があったそうですが、前方部の石室は今は消滅しています。
(前方部)
後円部にある石室は社の下にあり、全長3.64m・幅1.21m・高さ0.76m で南に開口しています。
ただ今は内部に入れる状態ではありませんでした。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
塚原古墳群の南(塚原二子塚古墳の前の道を南に下った突き当りの集落内)です。
9基が確認されている金山古墳群を構成しています。
開善寺(考古資料館)の東側になります。
全長約63m、 後円部径37.1m・高さ6.1m、 前方部先端幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平を受けています。
(左後円部・右前方部)
前方部と後円部中央に横穴式石室があったそうですが、前方部の石室は今は消滅しています。
(前方部)
後円部にある石室は社の下にあり、全長3.64m・幅1.21m・高さ0.76m で南に開口しています。
ただ今は内部に入れる状態ではありませんでした。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。