長野県飯田市駄科1185、国道151号線(遠州街道)・新川橋の東側です。
全長60.9m、 後円部径34m・高さ5m、 前方部先端幅35m・高さ?m の前方後円墳です。
墳丘北側は宅地で一部削平を受けています。
南側は水田になっています。
(前方部先端)
(左前方部、右後円部)
後円部墳頂には祠が建てられています。
(前方部)
墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されています。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
明治期と大正期に発掘調査が行われていますが、埋葬施設は発見されていません。
竪穴式石室とみられています。
鏡、剣、直刀、甲冑、鉾、土師器、須恵器 などが出土しています。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
全長60.9m、 後円部径34m・高さ5m、 前方部先端幅35m・高さ?m の前方後円墳です。
墳丘北側は宅地で一部削平を受けています。
南側は水田になっています。
(前方部先端)
(左前方部、右後円部)
後円部墳頂には祠が建てられています。
(前方部)
墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されています。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
明治期と大正期に発掘調査が行われていますが、埋葬施設は発見されていません。
竪穴式石室とみられています。
鏡、剣、直刀、甲冑、鉾、土師器、須恵器 などが出土しています。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。