愛知県豊橋市石巻本町別所北入田、標高68.5mの権現山の尾根筋先端にあります。
豊川下流域を臨む丘陵上です。
豊川市権現調整池の貯水タンク手前の細道を左に100mほど進んだところにあります。
最初見えてくるのは2号墳で、1号墳はさらに90mほど下ったところです。
全長38.4m、 後円部径23m・高さ3.8m、 前方部先端幅14.8m・高さ1.5m の前方後円墳です。
1996年発掘調査が行われています。
墳丘には葺石が施されています。
ただくびれ部の葺石は角礫で、一部には大きな石材も使われておりほかの葺石とは少し違っています。
石で囲った時期不明の小型埋葬施設が1基見つかっています。
墳丘には壺形埴輪(二重口縁壺)が並べられていたようです。
後円部中央にある埋葬施設は竪穴式石槨です。
天井石には石灰岩が使われていたそうです。
古墳時代前期・4世紀中頃の築造と推定されています。
昭和48年4月4日、愛知県の史跡に指定されています。
(奥が後円部)
(後円部)
(前方部)
豊川下流域を臨む丘陵上です。
豊川市権現調整池の貯水タンク手前の細道を左に100mほど進んだところにあります。
最初見えてくるのは2号墳で、1号墳はさらに90mほど下ったところです。
全長38.4m、 後円部径23m・高さ3.8m、 前方部先端幅14.8m・高さ1.5m の前方後円墳です。
1996年発掘調査が行われています。
墳丘には葺石が施されています。
ただくびれ部の葺石は角礫で、一部には大きな石材も使われておりほかの葺石とは少し違っています。
石で囲った時期不明の小型埋葬施設が1基見つかっています。
墳丘には壺形埴輪(二重口縁壺)が並べられていたようです。
後円部中央にある埋葬施設は竪穴式石槨です。
天井石には石灰岩が使われていたそうです。
古墳時代前期・4世紀中頃の築造と推定されています。
昭和48年4月4日、愛知県の史跡に指定されています。
(奥が後円部)
(後円部)
(前方部)
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