愛知県豊橋市石巻本町紺屋谷18の東から西に向かって延びる段丘端部にあります。
周りは柿畑です。
全長70m、 後円部径33m・高さ5.75m、 前方部先端幅26m・高さ2m 二段構築の前方後円墳です。
後円部の中央がドーム状に著しく高いのに比べ、前方部は低く細長い形をしています。
その前方部の中央は、戦時中に陸軍が土取りをするため大きな穴が掘られたそうです。
またその先端部は柿畑に改変されています。
墳丘には葺石が施されています。
後円部中央にある埋葬施設は、南に開口する横穴式石室です。
昭和43年(1968年)石室内の発掘調査が行われています。
石室は柱状の3対からなる石材によって、羨道・前室・後室の三つの部屋に分かれています。
石室は羨道部の長さ2.6m・幅1.6m、前室の長さ4.3m・幅1.8m、後室の長さ3.5m・幅2.3m あります。
床面にはこぶし大の石が敷き詰められています。
金銅製棘葉(きょくよう)形杏葉、雲珠、辻金具、鉄製鐙、轡、ガラス製勾玉、ガラス製丸玉、ガラス製トンボ玉、ガラス製小玉、水晶製切子玉、琥珀製棗玉、耳環、大刀、鉄鉾、鉄鏃、刀子、斧、鎌、須恵器 などが出土しています。
金銅製棘葉形杏葉は、大和政権が地方の最有力者に贈ったものです。
これら出土品は、平成24年9月6日国の重要文化財に指定されています。
この古墳は、昭和55年(1980年)と平成17~21年(2005年~9年)にも発掘調査が行われています。
昭和56年11月20日、愛知県の史跡に指定されています。
東海地方屈指の有力者(穂国造を務めた人物)の墓といわれています。
周りは柿畑です。
全長70m、 後円部径33m・高さ5.75m、 前方部先端幅26m・高さ2m 二段構築の前方後円墳です。
後円部の中央がドーム状に著しく高いのに比べ、前方部は低く細長い形をしています。
その前方部の中央は、戦時中に陸軍が土取りをするため大きな穴が掘られたそうです。
またその先端部は柿畑に改変されています。
墳丘には葺石が施されています。
後円部中央にある埋葬施設は、南に開口する横穴式石室です。
昭和43年(1968年)石室内の発掘調査が行われています。
石室は柱状の3対からなる石材によって、羨道・前室・後室の三つの部屋に分かれています。
石室は羨道部の長さ2.6m・幅1.6m、前室の長さ4.3m・幅1.8m、後室の長さ3.5m・幅2.3m あります。
床面にはこぶし大の石が敷き詰められています。
金銅製棘葉(きょくよう)形杏葉、雲珠、辻金具、鉄製鐙、轡、ガラス製勾玉、ガラス製丸玉、ガラス製トンボ玉、ガラス製小玉、水晶製切子玉、琥珀製棗玉、耳環、大刀、鉄鉾、鉄鏃、刀子、斧、鎌、須恵器 などが出土しています。
金銅製棘葉形杏葉は、大和政権が地方の最有力者に贈ったものです。
これら出土品は、平成24年9月6日国の重要文化財に指定されています。
この古墳は、昭和55年(1980年)と平成17~21年(2005年~9年)にも発掘調査が行われています。
昭和56年11月20日、愛知県の史跡に指定されています。
東海地方屈指の有力者(穂国造を務めた人物)の墓といわれています。
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