滋賀県野洲市小篠原桜生の桜生史跡公園内にあります。
国道8号線沿いです。
古墳は丘陵を利用(整形)して造られているため、盛土が少ないという特徴があります。
全長50m、 後円部径26m・高さ8m、 前方部先端幅25m・高さ6.5m バチ形の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。
前方部頂の標高119.9m、後円部の標高119.2mと前方部がわずかに高くなっています。
(奥が後円部)
(後円部)
(奥が前方部)
(前方部)
(後円部斜面にある石室の石材の一部とみられる巨石)
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったものとみられます。
1987年に発掘調査が行われています。
後円部から埋葬主体は見つかっていません。
ただ前方部で、西に入り口を持つ小さな右片袖型横穴式石室(長さ4.3m、玄室の長さ2.9m・幅1.0m)が見つかっています。
板石状の花崗岩を積み重ねて築かれています。
羨道は狭くて短く(長さ1.4m)、小石を積み上げて入り口を閉じています。
明治18年(1885年)の文書によると、朱や勾玉・管玉が出土したそうですが、出土場所は不明です。
後円部盛土内からは須恵器や土師器、斜格子文をもつ韓式土器や器面に波状文と突帯、円形浮文を施した韓式器台片などが出土しています。
この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀初頭前後と推定されています。
大岩山古墳群の中の1基として国の史跡に指定されています。
「大岩山古墳群」
合計8基からなる古墳群です。
昭和16年(1941年)12月13日に、「丸山古墳」と「甲山古墳」が国の史跡に指定されました。
昭和60年(1985年)2月に「大岩山古墳群」と名称が改められ、新たに「冨波古墳」「古冨波山古墳」「大塚山古墳」「亀塚古墳」「天王山古墳」「宮山2号墳」の計6基が追加指定されました。
その内の「丸山古墳」と「甲山古墳」、「天王山古墳」の3基が国道8号線脇に「桜生(さくらばさま)史跡公園」として整備され、2001年11月3日から公開されています。
天王山古墳はこの古墳群中唯一の前方後円墳です。
国道8号線沿いです。
古墳は丘陵を利用(整形)して造られているため、盛土が少ないという特徴があります。
全長50m、 後円部径26m・高さ8m、 前方部先端幅25m・高さ6.5m バチ形の前方後円墳です。
前方部を北に向けています。
前方部頂の標高119.9m、後円部の標高119.2mと前方部がわずかに高くなっています。
(奥が後円部)
(後円部)
(奥が前方部)
(前方部)
(後円部斜面にある石室の石材の一部とみられる巨石)
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったものとみられます。
1987年に発掘調査が行われています。
後円部から埋葬主体は見つかっていません。
ただ前方部で、西に入り口を持つ小さな右片袖型横穴式石室(長さ4.3m、玄室の長さ2.9m・幅1.0m)が見つかっています。
板石状の花崗岩を積み重ねて築かれています。
羨道は狭くて短く(長さ1.4m)、小石を積み上げて入り口を閉じています。
明治18年(1885年)の文書によると、朱や勾玉・管玉が出土したそうですが、出土場所は不明です。
後円部盛土内からは須恵器や土師器、斜格子文をもつ韓式土器や器面に波状文と突帯、円形浮文を施した韓式器台片などが出土しています。
この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀初頭前後と推定されています。
大岩山古墳群の中の1基として国の史跡に指定されています。
「大岩山古墳群」
合計8基からなる古墳群です。
昭和16年(1941年)12月13日に、「丸山古墳」と「甲山古墳」が国の史跡に指定されました。
昭和60年(1985年)2月に「大岩山古墳群」と名称が改められ、新たに「冨波古墳」「古冨波山古墳」「大塚山古墳」「亀塚古墳」「天王山古墳」「宮山2号墳」の計6基が追加指定されました。
その内の「丸山古墳」と「甲山古墳」、「天王山古墳」の3基が国道8号線脇に「桜生(さくらばさま)史跡公園」として整備され、2001年11月3日から公開されています。
天王山古墳はこの古墳群中唯一の前方後円墳です。
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