滋賀県野洲市冨波亀塚甲1437-1、大岩山丘陵の北西に広がる自然堤防上にあります。
墳丘は後世の土取りで大きく削平されています。
全長45m以上、 後円部径33m以上・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m 二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f4/4114f601d9596328af2afbe6d5d8e1e9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/67/bc3c087e3ab8e9394ea39da82aeb8d46.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/4d/ba05e1794fdfb648691af538628e85f5.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/5d/1991c4b46e190812b67a57acad39e169.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/c9/7c816e180cfba93bbb61323ad5b37fe2.jpg)
2007年(平成19年)の試掘調査で、墳丘の周りに幅9mの周濠が確認されています。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・形象埴輪が採取されていて、墳丘に埴輪に配列がなされていました。
主体部については、かっての土取りの際石材が出土したと伝えられていることから、横穴式石室であったものとみられます。
この古墳の築造時期は古墳時代中期・5世紀末頃の築造と推定されています。
大岩山古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。
墳丘は後世の土取りで大きく削平されています。
全長45m以上、 後円部径33m以上・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m 二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
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2007年(平成19年)の試掘調査で、墳丘の周りに幅9mの周濠が確認されています。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・形象埴輪が採取されていて、墳丘に埴輪に配列がなされていました。
主体部については、かっての土取りの際石材が出土したと伝えられていることから、横穴式石室であったものとみられます。
この古墳の築造時期は古墳時代中期・5世紀末頃の築造と推定されています。
大岩山古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。
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