岐阜県岐阜市琴塚3丁目ー5-37、木曽川の低位段丘上にあります。
岐阜市の東部、各務原市との境界近くです。
琴塚古墳公園として保存されています。
墳丘の周りには中に入れないよう柵がしてあります。
(前方部先端部)
全長115m、 後円部径68.6m・高さ10.5m、 前方部先端幅72.2m・高さ7.5m 三段構築の前方後円墳です。
岐阜県内で3番目の大きさです。
前方部を南南西に向けています。
未発掘のため内部主体部がどんなものか不明です。
勾玉、銅鏡、石槍、鏃、金環耳輪 などが出土したとも伝えられていますが、はっきりしていません。
墳丘の周りには、幅18~20mの内濠と幅7.5mの外濠(現在は埋め立てられている)の二重の周濠があります。
周濠の間には幅14.5mの堤があります。
くびれ部両側に径6mの造り出しがあります。
ただもともとはなかったようです。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和9年8月9日、国の史跡に指定されています。
被葬者は景行天皇の后、五十琴姫命(いごとひめのみこと)と言い伝えられていて、そこから琴塚の名前が付けられたとのことです。
岐阜市の東部、各務原市との境界近くです。
琴塚古墳公園として保存されています。
墳丘の周りには中に入れないよう柵がしてあります。
(前方部先端部)
全長115m、 後円部径68.6m・高さ10.5m、 前方部先端幅72.2m・高さ7.5m 三段構築の前方後円墳です。
岐阜県内で3番目の大きさです。
前方部を南南西に向けています。
未発掘のため内部主体部がどんなものか不明です。
勾玉、銅鏡、石槍、鏃、金環耳輪 などが出土したとも伝えられていますが、はっきりしていません。
墳丘の周りには、幅18~20mの内濠と幅7.5mの外濠(現在は埋め立てられている)の二重の周濠があります。
周濠の間には幅14.5mの堤があります。
くびれ部両側に径6mの造り出しがあります。
ただもともとはなかったようです。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和9年8月9日、国の史跡に指定されています。
被葬者は景行天皇の后、五十琴姫命(いごとひめのみこと)と言い伝えられていて、そこから琴塚の名前が付けられたとのことです。
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