兵庫県神戸市西区王塚台、明石川右岸の段丘上にあります。
王塚公園(丸山公園)内に保存されています。
檜笠岡王塚古墳とも呼ばれています。
全長74m、 後円部径44m・高さ?m、 前方部先端幅42m・高さ?m 三段構築の前方後円墳です。
墳丘の周りには、今も水を湛えた幅約15mの馬蹄形をした周濠があります。
墳丘には明石川で採石された葺き石が施されています。
平成12年、宮内庁による発掘調査が行われています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・壺形埴輪・盾形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
これらの埴輪などから、この古墳の築造時期は5世紀前半と推定されています。
埋葬施設は竪穴式石室です。
現在この古墳は、宮内庁が「玉津陵墓参考地」として管理しています。
602年、用明天皇と飯之子の子供で聖徳太子の弟・当麻皇子(たぎまのみこ)の妃、舎人皇女(とねりのひめみこ)がここ明石で突然の病死をします。
当麻皇子は舎人皇女を伴なって、征新羅の将軍として難波津から出兵したと「日本書紀」に書かれています。
この王塚古墳がその墓ではないかとして、宮内庁が管理しているのです。
訪ねた時は曇り空でしたが、見事な紅葉が周濠に映えていてとてもきれいでした。