佐賀県佐賀市大和町大字久留間字東、標高35mの平地上にあります。
全長114m、 後円部径63m・高さ10m、 前方部先端幅62m・高さ9m 3段構築の前方後円墳です。
佐賀県内最大の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。
古墳の周りには幅12m~18mの盾形をした周濠(現在は水田になっています。)があります。
西側くびれ部には造り出しがあります。
墳丘には花崗岩円礫の葺き石が施されています。
本格的な発掘調査が行われていないため、内部主体部や副葬品などは不明です。
ただ後円部西側には明治期の盗掘跡があり、竪穴式石室に箱形石棺2基が収められていて、硬玉製の大形勾玉が出土したと伝えられています。
後円部頂付近からは、倉庫を模した家形埴輪が出土しています。
本古墳の北側から東側にかけて、11基の陪塚がありました。
現在は7基が残っています。
そのうちの1基から円筒埴輪が出土しています。
古墳時代中期・5世紀前半ころの築造と推定されています。
昭和28年11月3日、佐賀県の史跡に指定されています。
ほぼ完全な状態で残っていて、その墳形をはっきりとらえることができます。
美しく見栄えのする古墳です。
(南東側からみています)
(北側からみています)
(南西側からみています)
全長114m、 後円部径63m・高さ10m、 前方部先端幅62m・高さ9m 3段構築の前方後円墳です。
佐賀県内最大の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。
古墳の周りには幅12m~18mの盾形をした周濠(現在は水田になっています。)があります。
西側くびれ部には造り出しがあります。
墳丘には花崗岩円礫の葺き石が施されています。
本格的な発掘調査が行われていないため、内部主体部や副葬品などは不明です。
ただ後円部西側には明治期の盗掘跡があり、竪穴式石室に箱形石棺2基が収められていて、硬玉製の大形勾玉が出土したと伝えられています。
後円部頂付近からは、倉庫を模した家形埴輪が出土しています。
本古墳の北側から東側にかけて、11基の陪塚がありました。
現在は7基が残っています。
そのうちの1基から円筒埴輪が出土しています。
古墳時代中期・5世紀前半ころの築造と推定されています。
昭和28年11月3日、佐賀県の史跡に指定されています。
ほぼ完全な状態で残っていて、その墳形をはっきりとらえることができます。
美しく見栄えのする古墳です。
(南東側からみています)
(北側からみています)
(南西側からみています)