熊本県八代市上片町下野森の平地にあります。
八代大塚古墳から南東へ約50m行ったところです。
全長108m、 後円部径48m・高さ5.6m、 前方部幅30m・高さ?m 二段構築の前方後円墳です。
墳丘は大きく損傷を受けていて、現在は後円部が残っているだけです。
墳頂部に石室の石材とみられる板状の砂岩が散在しています。
墳頂へ通じる道の脇には四面仏を刻んだ多重塔の軸部が1基残っています。
その表面に「文応(1260)」の年号が刻んであります。
鎌倉時代、この古墳の上に墓地が造られていたようです。(古墳説明板より抜粋)
この古墳の築造時期は、出土物が確認されていないことや、発掘調査が行われていないため不明です。
昭和38年4月20日、八代市の史跡に指定されています。
八代平野最大の前方後円墳だった可能性が高い古墳です。
(墳頂へ通じる道)
八代大塚古墳から南東へ約50m行ったところです。
全長108m、 後円部径48m・高さ5.6m、 前方部幅30m・高さ?m 二段構築の前方後円墳です。
墳丘は大きく損傷を受けていて、現在は後円部が残っているだけです。
墳頂部に石室の石材とみられる板状の砂岩が散在しています。
墳頂へ通じる道の脇には四面仏を刻んだ多重塔の軸部が1基残っています。
その表面に「文応(1260)」の年号が刻んであります。
鎌倉時代、この古墳の上に墓地が造られていたようです。(古墳説明板より抜粋)
この古墳の築造時期は、出土物が確認されていないことや、発掘調査が行われていないため不明です。
昭和38年4月20日、八代市の史跡に指定されています。
八代平野最大の前方後円墳だった可能性が高い古墳です。
(墳頂へ通じる道)