熊本県宇土市松山町向野田3993、標高37mの丘陵尾根先端にあります。
雑木林の中にあり、全体像はなかなか確認できません。
全長86m、 後円部径53.7m・高さ9m、 前方部幅35.5m・高さ4m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
また朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
1969年(昭和44年)に発掘調査が、1992年に範囲調査が行われています。
主体部が二つ確認されています。
後円部頂中央にある第一主体部は、竪穴式石室(全長4.25m、幅1.94m~1.1m、高さ1.08m)です。
中には、一石の阿蘇溶結凝灰岩を刳り抜いて造られた長さ4.2m(全国で2番目の長さ)、推定重量4トンの巨大な舟形石棺が納められています。
石棺内には、北枕で30歳代後半くらいの女性(身長150cmくらい)が埋葬されていたそうです。
これほどの規模の古墳に女性が一人で葬られることは珍しく、この地を治めていたのは女性の可能性が大です。
石棺内からは、銅鏡3面(中国製方格規矩鏡・中国製内行花文鏡・倭製四獣形鏡)、車輪石1点、硬玉製勾玉4点、碧玉製管玉、ガラス製小玉、鉄刀4本、鉄剣4本、鉄斧3点、刀子78本などが出土しています。
前方部にある第二主体には、箱型石棺が納められています。
この古墳の築造時期は、古墳時代前期(4世紀末)ころと推定されています。
国の史跡に指定されています。
(後円部頂・第一主体部)
(後円部墳丘)
(前方部から見た後円部)
雑木林の中にあり、全体像はなかなか確認できません。
全長86m、 後円部径53.7m・高さ9m、 前方部幅35.5m・高さ4m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
また朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
1969年(昭和44年)に発掘調査が、1992年に範囲調査が行われています。
主体部が二つ確認されています。
後円部頂中央にある第一主体部は、竪穴式石室(全長4.25m、幅1.94m~1.1m、高さ1.08m)です。
中には、一石の阿蘇溶結凝灰岩を刳り抜いて造られた長さ4.2m(全国で2番目の長さ)、推定重量4トンの巨大な舟形石棺が納められています。
石棺内には、北枕で30歳代後半くらいの女性(身長150cmくらい)が埋葬されていたそうです。
これほどの規模の古墳に女性が一人で葬られることは珍しく、この地を治めていたのは女性の可能性が大です。
石棺内からは、銅鏡3面(中国製方格規矩鏡・中国製内行花文鏡・倭製四獣形鏡)、車輪石1点、硬玉製勾玉4点、碧玉製管玉、ガラス製小玉、鉄刀4本、鉄剣4本、鉄斧3点、刀子78本などが出土しています。
前方部にある第二主体には、箱型石棺が納められています。
この古墳の築造時期は、古墳時代前期(4世紀末)ころと推定されています。
国の史跡に指定されています。
(後円部頂・第一主体部)
(後円部墳丘)
(前方部から見た後円部)