熊本県宇土市花園町楢崎の丘陵先端にあります。
全長46m、 後円部径35m・高さ5.7m、前方部幅21.5m・高さ4m の前方後円墳です。
1921年(大正10年)10月に太子堂を建てる際石棺が発見され、学術調査が行われました。
後円部からは3基の石棺と1基の石蓋土擴が、前方部に1基の組合式箱型石棺が確認されました。
いづれも東西方向に並んで埋葬されています。
発掘調査が1985年に行われています。
南側から順に、1号棺~5号棺と呼ばれています。
いずれも阿蘇溶結凝灰岩で造られています。
1号棺は、組合式家型石棺で直葬されていて、人骨2体分と直刀2振、鉄鏃などが出土しています。
2号棺は、舟形石棺で直葬されていました。
3号棺は、組合式家型石棺で直葬されていました。
前方部にある5号棺は、組合式箱型石棺で直葬されていて、刀剣類や直刀などが出土しています。
この古墳の築造時期は、古墳時代中期(5世紀中ころ)と推定されています。
一つの墳丘に形の違う複数の石棺があるのは非常に珍しいもので、埋葬時期が同じ時期でなかった可能性があると思います。
石棺は、建物(覆屋)で保護されています。
事前に連絡を取れば鍵を開けてもらって室内を見学できるようですが、それを知らず建物の窓越しに観察しただけでした。
古墳の前(後円部寄り)は、立岡自然公園で分断された花園池と立岡池があり、景色のよい所です。
釣りを楽しんでいる人も見かけました。
昭和50年11月11日、熊本県の史跡に指定されています。
(覆屋・・・手前が前方部)
(3号棺)
全長46m、 後円部径35m・高さ5.7m、前方部幅21.5m・高さ4m の前方後円墳です。
1921年(大正10年)10月に太子堂を建てる際石棺が発見され、学術調査が行われました。
後円部からは3基の石棺と1基の石蓋土擴が、前方部に1基の組合式箱型石棺が確認されました。
いづれも東西方向に並んで埋葬されています。
発掘調査が1985年に行われています。
南側から順に、1号棺~5号棺と呼ばれています。
いずれも阿蘇溶結凝灰岩で造られています。
1号棺は、組合式家型石棺で直葬されていて、人骨2体分と直刀2振、鉄鏃などが出土しています。
2号棺は、舟形石棺で直葬されていました。
3号棺は、組合式家型石棺で直葬されていました。
前方部にある5号棺は、組合式箱型石棺で直葬されていて、刀剣類や直刀などが出土しています。
この古墳の築造時期は、古墳時代中期(5世紀中ころ)と推定されています。
一つの墳丘に形の違う複数の石棺があるのは非常に珍しいもので、埋葬時期が同じ時期でなかった可能性があると思います。
石棺は、建物(覆屋)で保護されています。
事前に連絡を取れば鍵を開けてもらって室内を見学できるようですが、それを知らず建物の窓越しに観察しただけでした。
古墳の前(後円部寄り)は、立岡自然公園で分断された花園池と立岡池があり、景色のよい所です。
釣りを楽しんでいる人も見かけました。
昭和50年11月11日、熊本県の史跡に指定されています。
(覆屋・・・手前が前方部)
(3号棺)
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