熊本県宇城市不知火町大字小曽部字袖原、標高49mほどの丘の頂上部にあります。
国道266号線、旧不知火町役場前から宇城広域北部農道に入ってしばらく行った、八王宮神社傍の交差点を右折、少し行くと墓地があります。
その横の柿畑の中の山道を登り詰めたところにあります。
急な山道で、見つけるのに苦労しました。
写真の鉄塔右側が古墳です。
全長46.8m、 後円部径21.8m・高さ3.5m、 前方部幅26.8m・高さ3.5m の前方後円墳です。
墳丘の周りには楯形をした周溝が、さらにその外側には周庭があります。
内部主体や出土物ははっきりしていません。
この古墳の築造時期は、墳丘の形(前方部が発達ー大きい)から6世紀後半ころと推定されています。
後円部には、石の地蔵さんが祭られていました。
麓からここまでの山道の両側は柿畑で、実の熟れる秋にはさぞかし見事な景色が見られるものと思います。
国道266号線、旧不知火町役場前から宇城広域北部農道に入ってしばらく行った、八王宮神社傍の交差点を右折、少し行くと墓地があります。
その横の柿畑の中の山道を登り詰めたところにあります。
急な山道で、見つけるのに苦労しました。
写真の鉄塔右側が古墳です。
全長46.8m、 後円部径21.8m・高さ3.5m、 前方部幅26.8m・高さ3.5m の前方後円墳です。
墳丘の周りには楯形をした周溝が、さらにその外側には周庭があります。
内部主体や出土物ははっきりしていません。
この古墳の築造時期は、墳丘の形(前方部が発達ー大きい)から6世紀後半ころと推定されています。
後円部には、石の地蔵さんが祭られていました。
麓からここまでの山道の両側は柿畑で、実の熟れる秋にはさぞかし見事な景色が見られるものと思います。
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