古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

大阪府高槻市・今城塚古墳

2008-08-09 09:46:18 | Weblog
大阪府高槻市郡家新町659の平坦地にあります。
全長190m、 後円部径100m・高さ10m、 前方部幅148m・高さ12m 三段構築の前方後円墳です。
全国で41番目の大きさを誇る古墳です。
戦国時代、三次長慶が山城を築いたことから古墳の名前が付きました。
墳丘の周りには、周濠(一部池状の水濠が残っています)があります。
くびれ部両側に造り出しがあります。
この古墳は、6世紀前半の築造と推定されていて、真の継体天皇陵というのが通説になっています。
この古墳から西へ約1.6キロメートルのところにある、前回紹介した「太田茶臼山古墳」は「別人の墓」とする説が大勢です。
1976年、国内最大級の家型埴輪が出土して一躍脚光を浴びました。
高さ159センチ、間口82センチ、奥行き57センチもありました。
公園整備のための調査が1997年から進められています。
2002年11月、高槻市教育委員会は、大量の形象埴輪(総数113個)を用いた祭祀跡が見つかったと発表しました。
大王(天皇)の葬送儀礼を知る貴重な資料として注目を集めました。
祭祀跡が見つかったのは、古墳北側にある内濠と外濠を仕切っている内堤の中央部です。
柵(さく)形埴輪を並べて、形象埴輪群を五つの区画に別けていました。何かの場面を再現したような配列になっていたそうです。
幅約18mの内堤には、2列に並んだ約60点の円筒埴輪が、その外側には家型埴輪4点、人物埴輪(武人2点、巫女6点、力士2点など)、動物埴輪(馬1点、ニワトリ1点、水鳥7点など)、太刀6点、盾1点などが出土しました。
復元された家型埴輪は、1976年出土の物より更に大きく、高さ約170センチ、間口110センチ、奥行き80センチにもなるそうです。
神社の屋根に見られる、堅魚木(かつおぎ)や千木(ちぎ)を備えていて、12本の丸い柱が高床を支えるという珍し構造をしているそうです。
古代の王宮を彷彿させる出来とか...
その後、後円部北側からは、横穴式石室の基礎部分と見られる石組みが見つかりました。周りからは、家型石棺の破片や、金属やガラス製の装飾品約620点も見つかっています。
大王墓で、埋葬施設などが発掘調査で確認されたのは初めてで、まさに特筆すべき出来事と思います。宮内庁の陵墓・陵墓参考地の指定を免れたおかげでしょう。
墳丘は、1596年の慶長伏見大地震などにより、現在二段だけが残っています。
国の史跡に指定されています。
古墳は何所からでも観察できます。

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