三重県松阪市薬王寺錆山の丘陵頂にあります。
「横山造園」さんの倉庫西側から私有地(?)の山道を登って辿り着きました。
全長47m、後方部一辺長28.4m・高さ4.8m、 前方部先端幅18m・高さ2.4m 二段構築の前方後方墳です。
前方部は、先端に向かって曲線的に広がっています。
造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
主体部が後方部と前方部にそれぞれ一つ、計二つ確認されています。
後方部にある埋葬施設は、木炭槨(長さ6m・幅2m)に組合式木棺で埋葬されていたそうです。
前方部にある埋葬施設は、どのような埋葬だったのかはっきりしていません。
旧豊地村の村長を務められた家から、大正時代の資料が見つかっています。
それによると「大正3年4月13日発掘」とあるそうです。
副葬品として鏡2面、剣3本、槍1本 などが出土したようです。
ただ実物はその所在が不明だそうです。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
「横山造園」さんの倉庫西側から私有地(?)の山道を登って辿り着きました。
全長47m、後方部一辺長28.4m・高さ4.8m、 前方部先端幅18m・高さ2.4m 二段構築の前方後方墳です。
前方部は、先端に向かって曲線的に広がっています。
造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されていたようです。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
主体部が後方部と前方部にそれぞれ一つ、計二つ確認されています。
後方部にある埋葬施設は、木炭槨(長さ6m・幅2m)に組合式木棺で埋葬されていたそうです。
前方部にある埋葬施設は、どのような埋葬だったのかはっきりしていません。
旧豊地村の村長を務められた家から、大正時代の資料が見つかっています。
それによると「大正3年4月13日発掘」とあるそうです。
副葬品として鏡2面、剣3本、槍1本 などが出土したようです。
ただ実物はその所在が不明だそうです。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます