岡山県赤磐市千躰猿喰の吉井川を眼下に望む丘陵先端にあります。
山陽本線・熊山駅近くの、武内神社への長い階段の参拝道を登り切った、神社の奥(東側)です。
(前方部)
(後円部)
全長59m、 後円部径26m・高さ5.5m、 前方部先端幅18.5m・高さ2.61m の前方後円墳です。
前方部はくびれ部からあまり外へ開かない造りで、低くなっています。
造り出しはありません。
河原石による葺石が施されています。
後円部、前方部それぞれに埋葬施設(竪穴式石室)があります。
(後円部・・・窪みは石室跡)
前方部の石室は安山岩の角礫でつくられていて、長さ3.3m・幅0.8mあります。
発掘調査は行われてなく、出土品などは不明です。
古墳時代前期の築造と推定されています。
昭和50年1月13日、赤磐市の史跡に指定されています。
この武宮古墳は、和気氏初代の首長墓といわれています。
また一方では、「和気清麻呂」の墓とも言い伝えられているそうです。
武内神社は和気氏一族21人を竹内宿禰として祀っています。
山陽本線・熊山駅近くの、武内神社への長い階段の参拝道を登り切った、神社の奥(東側)です。
(前方部)
(後円部)
全長59m、 後円部径26m・高さ5.5m、 前方部先端幅18.5m・高さ2.61m の前方後円墳です。
前方部はくびれ部からあまり外へ開かない造りで、低くなっています。
造り出しはありません。
河原石による葺石が施されています。
後円部、前方部それぞれに埋葬施設(竪穴式石室)があります。
(後円部・・・窪みは石室跡)
前方部の石室は安山岩の角礫でつくられていて、長さ3.3m・幅0.8mあります。
発掘調査は行われてなく、出土品などは不明です。
古墳時代前期の築造と推定されています。
昭和50年1月13日、赤磐市の史跡に指定されています。
この武宮古墳は、和気氏初代の首長墓といわれています。
また一方では、「和気清麻呂」の墓とも言い伝えられているそうです。
武内神社は和気氏一族21人を竹内宿禰として祀っています。
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