愛知県豊川市八幡町上宿33、標高約26mの洪積台地(白鳥台地)にあります。
名鉄名古屋本線・国府駅の北東徒歩約5分、西三河から東三河にぬける旧東海道の北側です。
(前方部南側先端部)
全長96m、 後円部径50m・高さ6.5m、 前方部先端幅56m・高さ6.5m 三段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
後円部は戦前の採土で大きく削平されています。
その後円部には上宿神社がまつられています。
墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されています。
昭和20年(1945年)、くびれ部墳頂付近に防空壕が掘られた際、鉄刀3・鉄鉾3・鉄鏃約70などの鉄製品が出土しています。
昭和63年の前方部北側の調査では葺石や周濠が確認され、あわせて2基の埴輪棺が見つかっています。
平成20年の調査では南側くびれ部に、平成27年4月から11月の調査では北側くびれ部からほぼ相似形の造り出し(南側8.3m×4.0m、北側8.5m×4.5m)が見つかっています。
南側造り出しからは、食物供献儀礼に使われたと思われる土器類(土師器小型高坏25点・土師器はそう2点・笊形土器3点・匙形土製品1点・異形注口土器1点・食物土製品2点ーあけび?ーなど)が出土しています。
北側の造り出しからは、儀礼祭祀を行ったと考えられる円筒埴輪列に囲まれた家形・蓋形・盾形などの形象埴輪が見つかっています。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和40年7月1日、豊川市の史跡に指定されています。
訪ねたのは平成27年の調査開始頃かと思います。
前方部がブルーシートで覆われていました。
名鉄名古屋本線・国府駅の北東徒歩約5分、西三河から東三河にぬける旧東海道の北側です。
(前方部南側先端部)
全長96m、 後円部径50m・高さ6.5m、 前方部先端幅56m・高さ6.5m 三段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
後円部は戦前の採土で大きく削平されています。
その後円部には上宿神社がまつられています。
墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されています。
昭和20年(1945年)、くびれ部墳頂付近に防空壕が掘られた際、鉄刀3・鉄鉾3・鉄鏃約70などの鉄製品が出土しています。
昭和63年の前方部北側の調査では葺石や周濠が確認され、あわせて2基の埴輪棺が見つかっています。
平成20年の調査では南側くびれ部に、平成27年4月から11月の調査では北側くびれ部からほぼ相似形の造り出し(南側8.3m×4.0m、北側8.5m×4.5m)が見つかっています。
南側造り出しからは、食物供献儀礼に使われたと思われる土器類(土師器小型高坏25点・土師器はそう2点・笊形土器3点・匙形土製品1点・異形注口土器1点・食物土製品2点ーあけび?ーなど)が出土しています。
北側の造り出しからは、儀礼祭祀を行ったと考えられる円筒埴輪列に囲まれた家形・蓋形・盾形などの形象埴輪が見つかっています。
古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和40年7月1日、豊川市の史跡に指定されています。
訪ねたのは平成27年の調査開始頃かと思います。
前方部がブルーシートで覆われていました。
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