群馬県太田市竜舞町塚廻り3089ほか にあります。
水田に囲まれた一画に、「塚廻り古墳公園」として保存されています。
全長22.5m、 後円部径17.7m・高さ?m、 前方部先端幅8.7m・高さ?m 帆立貝形の前方後円墳です。
この古墳は、昭和51年度に行われた太田市東部地区土地改良(圃場整備)事業の際に、水田の下から偶然発見された帆立貝形4基(1号墳~4号墳)、円墳3基(5号墳~7号墳)の計7基のうちの一つで復元整備されています。
墳丘の周りには帆立貝形をした幅約4.5mの周濠があります。
円筒埴輪253点や朝顔形埴輪16点・盾形埴輪3点・大刀形埴輪5点・家形埴輪1点・馬形埴輪2点・人物埴輪15点など304点が出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
これらの埴輪は、昭和60年に一括して国の重要文化財に指定されています。
現在レプリカが墳丘上に発見当時の状況で並べられています。
後円部には円筒埴輪・盾形埴輪・家形埴輪・大刀形埴輪などが、前方部には円筒埴輪のほかに人物埴輪・馬形埴輪が、西端に女子像4体とその東部に男子像7体(椅子に座る男子や跪く男子など)、北部に飾り馬と馬子が配置されています。
主体部は二つ確認されています。
後円部中央やや南東寄りと後円部北側裾部の二ヵ所で、箱型石棺で埋葬されていました。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
昭和52年9月20日、群馬県の史跡に指定されています。
水田に囲まれた一画に、「塚廻り古墳公園」として保存されています。
全長22.5m、 後円部径17.7m・高さ?m、 前方部先端幅8.7m・高さ?m 帆立貝形の前方後円墳です。
この古墳は、昭和51年度に行われた太田市東部地区土地改良(圃場整備)事業の際に、水田の下から偶然発見された帆立貝形4基(1号墳~4号墳)、円墳3基(5号墳~7号墳)の計7基のうちの一つで復元整備されています。
墳丘の周りには帆立貝形をした幅約4.5mの周濠があります。
円筒埴輪253点や朝顔形埴輪16点・盾形埴輪3点・大刀形埴輪5点・家形埴輪1点・馬形埴輪2点・人物埴輪15点など304点が出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
これらの埴輪は、昭和60年に一括して国の重要文化財に指定されています。
現在レプリカが墳丘上に発見当時の状況で並べられています。
後円部には円筒埴輪・盾形埴輪・家形埴輪・大刀形埴輪などが、前方部には円筒埴輪のほかに人物埴輪・馬形埴輪が、西端に女子像4体とその東部に男子像7体(椅子に座る男子や跪く男子など)、北部に飾り馬と馬子が配置されています。
主体部は二つ確認されています。
後円部中央やや南東寄りと後円部北側裾部の二ヵ所で、箱型石棺で埋葬されていました。
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
昭和52年9月20日、群馬県の史跡に指定されています。