古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

大分市・築山古墳

2010-01-23 08:36:10 | Weblog
大分市神崎浄願寺の台地裾部にあります。
つきやま古墳と呼びます。
中ノ原古墳から少し西寄りの国道197号線沿いです。
「大分バス・築山古墳入口」停留所前です。
「石棺さま」という愛称で呼ばれています。

全長90m、後円部径40m・高さ12m、 前方部幅45m・高さ10m の前方後円墳です。
墳丘南側に造り出しが、周りには幅20mの周濠があります。
また墳丘には葺き石が施されていました。

1932年(昭和7年4月)、後円部から2基の緑泥片岩製の組合式箱型石棺が発見されました。
東西方向に並んで埋葬されていたそうで、「南棺」からは3体の男性、「北棺」からは1体の女性、計4体の人骨が見つかりました。
副葬品として、「南棺」からは倭製捩文鏡・貝釧・鉄刀11・鉄剣4・鉄鏃90・斧頭5・鍬先13・鎌2・ヤリガンナ3・刀子4・毛抜形鉄器2・棒状鉄器6などが、「北棺」からは貝釧11・碧玉製管玉2などが出土しています。
石棺内には総量で34キログラムにもなる大量の朱が使われていたそうです。

旧佐賀関町の神崎から馬場一帯を治めていた実力者(海部族)の墓とみられています。
この古墳の築造時期は、5世紀中ころと推定されています。
1932年石棺発見後、後円部頂に神崎八幡神社が建てられました。
八幡神社裏には埋葬施設を示す、白い玉砂利を敷き詰めた覆屋が建っています。

前方部と後円部の間は、小道で分断されています。
昭和11年9月3日、国の史跡に指定されています。
余談ですが、ここ佐賀関町は関サバ・関アジで名が知られたところです。



   (後円部墳丘)


   (後円部から前方部をのぞむ)


   (前方部から後円部をのぞむ)

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