日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーーー「盲学校」という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき①

2019-12-07 | 社会 政治

もし盲学校がそこに集う生徒や保護者にとっての「終の棲家」であれば、とオニクタラムは考えるーー「盲学校」という「空間」から「正義(論)」を再考察するとき①

いよいよ私の本当の意味での「研究」が始まる。自分でもワクワクしている。と同時に不安でもある。私の依拠する文献資料はソクラテスやプラトンやアリストテレスでもなければ、J・ロールズ等の著作ではない。それは盲学校の中で私がこれまで垣間見た人間関係とそこから醸成された私の考えである。

とは言え、少しここでロールズの『正義論』で提示されていた有名な二つの原理を紹介しておく。それは以下の通りである。

第一原理 各人は、平等な基本的諸自由の最も広範な制度枠組みに対する対等な権利を保持すべきである。ただし最も広範な枠組みといっても他の人びとの諸自由の同様に広範な制度枠組みと両立可能なものでなければならない。[2]

第二原理 社会的・経済的不平等は、次の二条件を充たすように編成されなければならない  ーー(a) そうした不平等が各人の利益になると無理なく予期しうること、かつ(b) 全員に開かれている地位や職務に付帯すること[2]

(以上、引用抜粋は〈正義論(ロールズ)『ウィキぺディア』から〉

私はこれまでこのブログ記事において、システムとその関係の歩み云々に関して論及してきたが、そこで特に私が拘泥していたのは、私たちがシステムの歩みとしての「歴史」のどの「段階」に生きているのかという「歴史的制約性」に関してであった。そうした観点から先のロールズの二つの原理は、差別と排除の関係からつくり出された私たちの空間(すなわち私のモデルで描く{[A]→(×)[B]→×[C]} 〈1970年代まで〉と{[B]→(×)[C]→×[A]}〈1970年代以降から現在に続く、いずれも省略形、共時態形モデルで示される〉を前提としたままに、その空間と全く切り結ぶことなく提示されたものだ、と私は理解している。

換言すれば、ロールズによる二つの原理の実現によって、差別と排除の関係を前提とした覇権システムとそれを介在させながらつくり出された、世界資本主義システム、世界民主主義システムという三つの下位システムから構成される一つのシステムとその関係の歩みが別の新たな差別と排除の関係を許さないような空間へと変容できるのかを問うとき、私にはそれは難しいとしか言えないのである。というのも、ロールズは私が提示してきたシステムとその関係の歩みを視野の内に含まないままで、別言すれば、システムとその関係の歩みを前提としたままで、二つの原理を提唱しているからに他ならないからである。

さて、ここで議論の舞台をがらりと変えることにしよう。以下の話はあくまでも仮の話(フィクション)であるということを最初に断っておきたい。

ある地方都市の盲学校に一人の中年の中途視覚障碍者と、その娘が通うこととなる。父親は勤めていたIT関連の会社を退職したばかり。娘は小学校の3年生の時に網膜色素変性症と診断されて、これまで通っていた地域の小学校からやむなく父親と一緒に盲学校に通うこととなったのだ。

 


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表向きは「自由」で「平等」な空間を提供している「システム」から、それではどのようにして自らを「解放」できるのだろうか、そうした「正義」について考えてみたい

2019-12-05 | 社会 政治

表向きは「自由」で「平等」な空間を提供している「システム」から、それではどのようにして自らを「解放」できるのだろうか、そうした「正義」について考えてみたい

やっと盲学校の期末考査が終わった。いくつになっても試験は嫌である。もうすぐ66歳になるが、年とともに記憶力は落ちてしまうから、若い時の何倍の労力を要するものだ。 その試験中にもいろいろと思案していたことを少し述べておきたい。

少し前の記事で述べた問題、すなわちダールが提示したポリアーキー、つまり自由と民主主義から構成される空間の中において、もし人々が今にも窒息してしまうかのような閉鎖的体系、体制から、それではどうすればそこから「脱出」できるのか、「じゆう」で「びょうどう」な空間へと移り住めるのか、その体系ないし体制から自らを解放できるのか、そうした問いを私は発した。

その答えは、先ずは身近なところで言えば(国内政治の文脈から見れば)、いろいろな特別支援の学校で学ぶ子供たちとその親たちがつつましくも安心、安全に生き続けられる空間がつくられたときである。その空間においては、その他の多くの「健常者」とされていいる者たちも同様に暮らせることが保障されるであろう。

次に遠くの問題に関しては(国際関係の脈略で述べれば)、母国を離れて外国で商売を展開している企業やそこで働く人たちが、まずは本国に戻る、戻らせることを可能とする法整備の確立ができた時である。すなわち、そのためには今の近代憲法で謳われている自由に経済活動を展開する、できるその「自由」を制限ないし許さないような新たな「じゆう」権の確立が求められる。同時にまた、従来の経済活動の「自由」から手にした詩的財産とその獲得と蓄積を制限ないし許さないような「わたくし」的財産権の「じゆう」権の確立が必要となるであろう。

この両者の問題は相互に密接に関係している、と私は考えている。どちらの問題に取り組んだとしても、それは他の問題の解決に必ず向かうことに違いない。

もとより、システムはこうした取り組みを許さないし、現実問題として、健常者は健常者としてあり続ける限り、障碍者の抱える問題を自らの問題として向き合うことはないだろう。障碍者においても、多くは現実はどうしようもないし、こんなものだと受け入れて結局はあきらめてしまうのだろうが。

それでも、上述した問題には、私は生きている限りは取り組んでいきたい。後者の問題に関しては、これまで拙論や拙著において、逆の立場、観点から、すなわち、その実現は難しいし、できないような国際関係が出来上がってしまっているのだとした立場から、、論を展開してきたのではあるが。

その後者の解決不可能に思われる問題に向き合うためには、ここで提起した前者の問題に取り組むことが大事ではないかと考えている。私が盲学校にいる存在意義もそこにあるのだと今は心底確信できた次第だ。

今回はこの辺で。次回からは、もう少し具体的に述べていきたい。少し気恥ずかしいのだが、それは私の夢を語ることでもある。


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