日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、それでは私たち下級国民は、私たちの命と暮らしをこれ以上、壊されることなく、自己防衛するために、どう闘うべきなのかについて、考えるとき

2020-07-25 | 日記

私の語る「システム」論から、それでは私たち下級国民は、私たちの命と暮らしをこれ以上、壊されることなく、自己防衛するために、どう闘うべきなのかについて、考えるとき

最近、どういうわけなのか、同じような夢をよく見るのだ。熱気にあふれたホールの中で、百人くらいの人たちが大きな声をあげながら、前の方で演説している指導者と思(おぼ)しき人の声に、激しく反応しているのだ。

彼は言う。「数こそ力なのだ。私たちに今必要なのは、その数を集めることだ。そしてその数の力を、未だ目覚めていない多くの同志たる下級国民たちに知らせ、教えることなのだ。もうこれ以上、私たちの仲間を拱手傍観して失うことは、断じて許されない。上級国民は、平素は人を殺してはいけない、人命は尊いというくせに、今の現状はどうであろうか。

虫けらのように、我ら下級国民の命は扱われ、殺され続けているではないか。ところが、その下級国民たちは、一体何をしているのか。ただ流れに身を任せて、命をつなぐだけの生き方をしている。誰も助けてはくれない。誰か救世主が現れるなどと思っている暇などないのだ。そんな救世主は現れやしない。

私たち下級国民こそが、救世主たる存在なのだ。立ち上がろうではないか。造反有理なのだ。議会に代表者を送る暇などない。いま求められているのは直接行動なのだ。私たちは、クーデタと革命を同時並行的に行うことが大事なのだ。私たちの数の力で、国会や官庁や裁判所を直ちに占拠して、そこにふんぞり返る上級国民たちを追放しなければならない。

同時に、私たち下級国民の、下級国民による、下級国民のための社会をつくらなければならない。誰一人として飢えさせない社会を、だれ一人抜け落ちることを許さない社会を、今すぐ建設しようではないか。

そのためには、当分の間、戒厳令を敷いて、私たちの敵である上級国民を縛り上げ、公開の場で、彼らの罪状を問いただすことが必要だ。彼らの自己批判を求めようではないか。できるだけ速やかに、我々は決起し、上級国民を我々の足元に、跪(ひざまず)かせなければならない。

彼の演説はさらに続き、同時に、その内容も次第に苛烈さを極めるに至った。ついには、ホールは下級国民のエネルギーで充満して、やがて彼らは一団となって、ホールの外へと一直線に駆け出した。私もその流れの中にあったのだが、いつしか夢の外に出ている自分に気が付いたのだ。

久しぶりに、人間らしい生き方に出会った。たとえ、ひと時の夢の中とはいえ、爽快感の漂う心地の良いセカイであった。忘れかけていた何か懐かしい人間の姿を思い出させてくれたようで、うれしかった。夢のままで終わらせてしまっては、もったいない話ではあるまいか、とつくづくそう思い、考えるのだ。

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