日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

自公政権に「お灸をすえよう」。今般の予想される総選挙では、「昔の名前で出ています」の「野党」を勝たせるために、棄権しないで投票を!

2020-09-12 | 日記

 

自公政権に「お灸をすえよう」。今般の予想される総選挙では、「昔の名前で出ています」の「野党」を勝たせるために、棄権しないで投票を!

最初に一言。

以下の内容は、昨日の記事とそっくりそのままのものであることを、断っておきたい。明日の記事もタイトルだけ変えて、内容は同じかもしれないことを、あらかじめ断っておきたい。

私の語る「システム」論から、「どうにも形容し難い」不気味な社会の出現について、改めて語るとき

以前の記事でも「どうにも形容し難い」云々の話をしたが、今回の気分はもう「吐きそう」から「吐くものも見当たらないといった感じだ。とにかくひどいという次元をとっくに通り越してしまった日本の政治の現状。勿論、誰も責められない。自分自身を責める以外にはないのは確かである。

与党も野党も、よく言うわい、よくやるわい、なのだ。「それを言っちゃおしまいだよ」、「それをやっちゃおしまいだよ」云々以前に、とにかくーーーーである。それでも、たとえどんなに悲憤慷慨したところで、すべてが自分に跳ね返るだけで、さらに自分を惨めにするだけだから、今は何をすることが「よりましか」、を考えるだけ。

勿論、何をしたところで、「システム」に翻弄され、嘲笑われるのが落ちなのだが、それでも、私の次の行動はどのようになるかははっきりと決まっている。とにかく、次の衆議院議員総選挙では、新立憲民主党、共産党、社民党、令和新選組に関連した「野党」に一票を入れるしかない。自民党を勝たせ過ぎないことが何より第一である。たとえ、「どぶに捨てる」のと同じであったとしても、棄権はしないで、投票するしかないのだ。何はさておき、主権者としての私自身を救うために、正気に戻すために、投票するだけである。

今の日本の雰囲気は、とても不気味そのものだ。マスコミは、「誰か」の指示に従って、国民すべてを、ある特定の目的実現のために、躍起となって洗脳・扇動しているようにしか思われないのだ。特定の目的とは、次期首相候補の菅官房長官を、何が何でも首相の地位に就かせて、菅内閣の下での早期解散と、総選挙の勝利後に自公政権のさらなる安定化を図るということである。

このシナリオは既にほとんどの国民に見えているし、何も隠すふりもしないで、マスコミはその情報を垂れ流し続けているだけなのだ。もうマスコミの自浄作用などは期待できないし、政治に対しても期待できない以上、私たち有権者が自らに期待する以外に何もないのではあるまいか。

最後に一言。

私は、(私の語る)「システム」論の立場から、「システム」は「金の成る木」として「戦争」を、いつもその内に組み込んでいると論じてきたのだが、今回の安倍首相の退陣劇から、これまでの流れを見るにつけ、なんとも言えないような雰囲気をマスコミは醸成しながら、誰もその流れに逆らえないような筋書きを描くことに、相当な力を及ぼすのだということを、まざまざと教えられた思いがするのである。

当然ながら、そのような力をマスコミに与えているのは、誰かということになろうが、それについてはこれまで多くの論者が語っているし、私も何度かこの問題を記事でも述べてきたので、今回は触れないでおく。

とにかく、圧倒的に弱い立場に置かれている私たちが、もし主権者として、また有権者として、いま何をなすべきかを考えるとき、今般予想される衆議院議員総選挙では、(新生)野党とその支持政党に、たとえどのような不平や不満があろうとも、今回だけは、我慢に我慢を重ねながら、各人の1票を投ずるしかない、と私は思うのである。

これ以上、自公政権を長期化させては、私たちは、引き返すにはもう立ち戻れない、そんな地点にまで流されてしまうのではあるまいか。その地点を、「分岐点」などとた易く呼んではならないし、ましてや考えてもいけないのだ。私たちは、ここまでに、既に相当な程度、流され続けてしまい、私たち自身の判断能力さえもその都度、失ってきたのだから。

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