日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

(再論・再考)「あの戦争」は、どうして引き起こされたのか(後)

2021-01-24 | 日記

(再論・再考)「あの戦争」は、どうして引き起こされたのか(後)

前回記事で、今は亡き鬼塚英明さんの話を少し紹介したが、高橋五郎さんの『天皇の金塊』シリーズからも、いろいろなことを教わった。このお二人の著作は、俗に「トンデモ本」と揶揄されるのだが、なお「天動説」が支配している人文・社会科学の世界では、そうした評価も致し方ないだろう。私自身も、彼らの話のすべてにわたって同意するわけではないが、それにもかかわらず、やはり「歴史」について考え直すべきヒントを数多く与えてもらっのは確かなことであった。

ところで、「あの戦争」の原因については、それこそたくさんのことが関連し、また関係しているのは言うまでもないことだが、このお二人が残された研究からも、そうした原因につながると思われる話がいくつも出てくるのだが、そうは言っても、ずっと以前の記事でも語ったように、私は彼らとは異なる観点から、私なりの見解を披歴してきたのである。

私の結論めいた話は、これまたすでに何度も論述してきたように、私の語る「システム」論で展開した内容にまとめられるだろう。私はいわゆる「大枠」に関する物語を述べてきたが、その枠を外してしまった「あの戦争」の原因論は、何も語ったことにはならないということだけは、ここでも再度、強く主張しておきたい。

私の民主主義論や普遍主義論は、木畑洋一氏等からも、「あなたの語っていることは理解できない」、とたびたび言われてきたのだが、私からすれば、今の政治学や国際関係論の研究者が当然のことのように大学で教えている「民主主義」に関する内容こそ、相当な問題をはらんだものだと言わざるを得ないのである。

米国の大統領にバイデン氏が就任したが、彼やその取り巻きの、そして日本のメディアの「民主主義」に関する見方や報道を聞くにつけ、もうそんな戯言はいい加減によしてくれ、とあきれてしまうのだ。もっとも、私の生きている限り、これからもずっと、そのようなオメデタイつくり話に付き合うことを避けられそうもないから、私は私なりに、自分にできる範囲で、思考のバランスを取りながら、発現し続けていくしかないだろう。

 

 

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