日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

村田邦夫より、謹んで残暑お見舞い申し上げます

2020-08-22 | 日記
村田邦夫より、謹んで残暑お見舞い申し上げます

暑いですね。頭もぼーっとする毎日に、なかなか対応できません。昨日、また熱中症で90代と80代の老夫婦がお亡くなりになったとニュースの記事。エアコンが故障して使えなかったのか、そもそもなかったのか。いずれにせよ、生活困窮者は、どうにもならない。明日の私にならないようにと、今はエラそうにも考えるが、あと5年もすれば、どんな心境になっているかもわからないし、それまで生きているという自信も、もうあまりない。

若い人は、もっと大変になるのは間違いない。そうならないための準備を今からしておいた方がいいのだが、高齢者となった私には、また視覚障碍者の私には、相当な切迫感を感じる毎日だが、若い時分の頃の私を思えば、そんなアドバイスが通じるわけもないだろうが。また、もう既に、備えるどころか、終わってしまった人たちもぞろぞろいる。

今から少し前の日本を振り返ってみると、とてもじゃないが、手の施しようもない現状だったのだ。そんな状態、状況の中で、コロナ戦争の渦中に、私たちは放り込まれたのだから、後は推して知るべしだろう。不思議なことに、もう「左翼」とか、「リベラル」とかのようにみなされてきた人たちの口から、「累進課税」とか、税体制の根本的見直しを、といった声が聞こえてこないのだ。

ただ聞こえていたのは、コロナ感染症対策と経済を回すの両立云々の声だけ。この国のマスコミも、全体主義国家と同様に、情報を統制や改ざんに一生懸命に勤めているのが、肌身に感じられる。その理由もよくわかる。「大手のマスコミ」組織それ自体が、「大本営発」の役割しか果たしていないから。そこには、いろいろな識者が指摘されているように、「電通」が深く関係しているのだろうが。

これは戦前(戦中)と全く同じではあるまいか。私のあのモデルで言うと、戦前は、A、B、Cの「システム」を前提としながら、Ⅰ期の後期からⅡ期の前半頃の「システム」の歴史(歩み)の「段階」であったのに対して、今日では、B、C、Aの「システム」を前提としながら、Ⅰ’期を経てⅡ’期の前期、中期そして後期へと至る「システム」の歴史(歩み)の「段階」にある、と私はみている。

このように、「システム」の「段階」にみる「高度化」と「低度化」の違いはあれ、両者は、市民生活・活動に対する「制限あるいは抑圧」のための国家権力の積極的発動を、その特徴としている。前者の発動は、「分厚い中間層の形成」のために、後者のそれは、分厚い中間層の解体のために、である。付言すれば、S・ウォーリンに従えば、私のモデルで描く後者の低度化の段階は、「逆・全体主義体制」として描かれるのである。ここでは、もうあまりややこしい話はしない。

何度も語ってきたように、私の語る「システム」の中で生きているということは、それだけでも大変に恐ろしいことなのだが、それでも、「システム」の高度化におけるⅡ期の中期、後期からⅢ期を経て1’期の前期頃までは、「民主主義の発展」における「高度化」の「段階」として、福祉国家の実現の下で、「分厚い中間層」は、それなりの生活実感を味わうことができていたと言えるだろう。

もとより、それは、これまた何度も指摘しているように、「三重の差別と排除の関係を基にした下位システム」から構成される「システム」の下で実現された「我が世の春」ならぬ砂上の楼閣であったことから、それこそ、あっけないほどに、跡形もなく消滅してしまったのである。とくに、日本の場合は、覇権システムの中での歴史的制約性も手伝って、その消滅へと至る速度は欧米諸国と比べても、早すぎるものであった。

付言すれば、その覇権システムの歴史的制約性の中でも、とくに、あまりにも米国依存というか「どっぷり」のために、日本の国富は米国に収奪されてしまったということだ。その意味では、これまで首相在任期間(連続在職日数)が一番長かった佐藤栄作と、もうすぐそれを超えようとしている安倍晋三は、植民地行政官として米国に奉仕した、この上もない売国奴であったのは間違いない。

私の語る「システム」論からすれば、そもそも一国枠として国家を捉えることはしないため、つまり「関係枠」のために、そもそも売国奴などの表現はおかしいし、さらに、日本は戦後も一貫して国家というか、主権国家などではなかったので、この表現はおかしいのだが、もうここでもややこしい話はしない。

とにかく、熱い。暑い。くれぐれもご自愛いただきたい。

最後に一言。

少し前の記事で、〈mns japann〉で「村田邦夫」を検索したら、何の関係もない「村田何某」の動画が貼り付けられて、不愉快極まりない云々の話をしたが(なお、その記事は昨日、削除したことを、ここで断っておきたい。)、その他の「村田邦夫」さんたちから、あまりにも「料簡の狭い」ことを、と思われてもどうかと思い、とにかく一度くらいは、私こと「村田邦夫」の意思表示はしておいたらと考えて、あのような記事となった次第。

とにかく、「むらた」や「くにお」関連から、そうした動画の貼り付けや書き込みの貼り付けとなるのかもしれないが、21世紀のそれこそいろいろなテクノロジーの進化した時代に、それはないのでは、と思うのだ。ましてや、その「村田何某」の動画には、私の動画は張り付けられていないのだから。

〈yahoo japan〉ではこんなことはなかったし、動画も検索しない限りは見えないようにしている。とにかく今の時代、次から次へと面白くないことをやらかすどうにも始末にならない愉快犯というのか不愉快犯が、うごめいている。

その動画云々の投稿をした後にすぐ、今度は私の携帯のアイフォンに、それこそ「お誘いメール」の「ストーカー」メッセージが何度も何度もなのだ。「私、京子です。27歳。ーーー歳の離れた人も気にしません。」「ねえ、いま暇している。私と絡みませんか。---」何か途中で数字かアルファベットが続くのだが、視覚障碍者の私には音声で聞くしかできないし、ほとんど見えない。そう言えば、水着か何かわからない写真見たいのもあった。

私の考えすぎ、あるいは、妄想かもしれないが、なんとも言えない。とにかく目がもう少し見えて、一人で外に出歩くことができて、その「絡めないという人」に出会えれば、拙論や拙著をもって、是非とも会いたいと思うのだが。そんなことを言っても、おそらくは外にも出られないだろう。もう、外で散歩する元気もない。「絡む」という言葉を、今の若い人も使うのだろうか。私はこのカラムを聞いて、この人は年配の男性では、と感じたのだが、私も相当に暇しているようだ。

二・三回、ペイン・クリニックに痛み止めの注射をしに出掛けたくらいで、ほとんど今年の3月以降、今まで家に閉じこもったままなのだ。別にそれも若い頃はいいのだろうが、やはり運動も大事。それがわかっていても、この暑さと、私の怠惰な性格で、難しい。

ここまで、グタグタと、面白くもない拙文にお付き合いいただきありがとうございました。とにかく、ご自愛くださいませ。それと、拙論や拙著を持参して云々の話は本当にしないで。それはホントに困るから。私はメカに弱いので、コメント欄に何か書かれても、返信ができないし(それで、ブログのコメント欄へのアクセスを閉じてもらった。悪しからず。)、携帯も同じで、操作も音声に従うしかできず、その音声の言わんとする意味が分からないので、結局何もできないから、後で操作のできる人に読んでもらうしか術がない等々を、ここに記しておく。念のために。

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