日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

閑話 幕末から明治維新にかけての流れと「あの戦争」から敗戦後にかけての流れに垣間見える「類似点」から推察できることは何

2021-01-22 | 日記

閑話 幕末から明治維新にかけての流れと「あの戦争」から敗戦後にかけての流れに垣間見える「類似点」から推察できることは何か

今は亡き鬼塚英明さんの明治維新前後と敗戦前後の研究から教えられたことを、私なりにごく簡潔に要約すると、以下のようになるだろう。

アヘン戦争後、幕末期の日本を襲った英国ロスチャイルド財閥の資金の援助の下で、明治維新を指導した維新の英傑たちが、ロスチャイルド財閥の描いた脚本どおりに、日本と日本人を日清・日露戦争へ、そして、やがては「あの戦争」へと導くことになったのである。
日本と日本人は、その後もロスチャイルド財閥の指導の下に、朝鮮半島と中国大陸でのアヘンの栽培と販売に着手して、アヘン帝国を建設するとともに、やがて「あの戦争」へと突入して、敗戦を迎えたのだが、戦後の日本を導いた指導者は、満州国でアヘン取引に従事していた一群の官僚たちであった。その彼らの背後で彼らを指導していたのはロスチャイルド財閥であった。GHQの占領下におかれた戦後日本の歴史は、こうした官僚たちと、彼らを操るロスチャイルド財閥の指導の下に、展開していくのである。

こうして要約してみると、何か身もふたもないつまらない話に想われるかもしれないし、鬼塚さんにも申し訳ないのだが、私の語る「システム」論でも述べているように、〈「システム」とその関係の歩み〉は、何よりも「金の成る木」であることを、その最重要の仕事としていることから、見当はずれのまとめではない、と私は理解している。

鬼塚英明さんの語る世界は、「陰謀論」として簡単に片づけられてしまうのだが、私にはそうは思えないのだ。私の語る「システム」論からみても、鬼塚氏の描く世界は貴重な参照・参考資料を提供してくれる。何より、私の語る「民主主義」論を、そしてまた「システム」論を、直接的、間接的に補強してくれる研究である。

それにしてもなのだ。従来の「明治維新」像が修正を迫られている。維新を指導した英傑の背後にロスチャイルド財閥の影を見た論者等は、司馬遼太郎の描いた維新増を批判するに至る。私もそうした見方を共有している。これに対して、それでは戦後の見方はどうであろうか。

(急いでここで付言しておきたいのは、「司馬史観」には相当の問題点を確認できるものの、司馬が構成の研究者に託した自由主義、民主主義、民族主義、帝国主義の「渾然たる関係」を明らかにしてほしいとの訴えは、この21世紀においてもなんらその重要性を失うものではない、と私はみている。)

戦後の日本の再出発を、平和憲法や戦後民主主義と結び付けて礼賛する論者が存在しているが、私には、それほど礼賛できない事情がある。と言うのも、GHQとその背後に控える米国を動かしている「勢力」の存在に目をやるならば、それこそ東京電力福島原発事故後に流布されていた「原発マフィア」につながるその前身を、この占領下の日本にも確認できるからに他ならない。、

こうした文脈の下で、それでは「護憲派」に位置する人たちは、何を守ろうとしているのだろうか。また「改憲派」の人たちは、何を改めようとしているのだろうか。ここで、福島原発(戦後憲法に対比される)とその背後に存在していると思われている「原発マフィア」(ロスチャイルド財閥勢力に対比される)との関係をもとに少し考えてみたい。

(以下の両者の間には、相互に支持し補完し合う関係にある。)

明治維新体制ーーーーロスチャイルド財閥

戦後憲法体制ーーーーロスチャイルド財閥

福島原発  ーーーー原発マフィア(ロスチャイルド財閥)

これらの関係をもとにして、ここで「護憲派」と「改憲派」について考えてみたい。
護憲派は、たとえて言えば、原発には反対の立場をとると同時に、その背後に存在すると思われる原発マフィアにも敵対の立場を表明している。ただし、そのマフィアの影響力を排除しなければならないのだが、それはどうすればできるのだろうか。現状ではかなり難しいと言えるだろう。これに対して、改憲派は、原発を支持すると同時に、原発マフィアの存在も支持する。と言うよりも、改憲派は、そうした勢力の指示に従って活動してきたと言ってもいいだろう。

ところで、護憲派は戦後憲法体制を支持するのは当然だとしても、その背後に存在すると想定される「勢力」の存在(ロスチャイルド財閥)に対して、いかなる態度を示すのだろうか。私の見る限りでは、護憲派は、そうした勢力の存在をみようとはしていないのではあるまいか。

これは、おかしなことである。もし、原発や明治維新体制との関連を踏まえるとき、護憲派は、ロスチャイルド財閥に対して敵対すると同時に、それと相互に補完し合う関係にある戦後憲法体制に対しても敵対することが論理敵と考えられよう。勿論、そうなれば、護憲派を標榜するのはやめなければならなくなるのだが。

ところが、現実にはそうはならないから、私には不思議と言うよりも、もどかしいこととなる。と言うのも、護憲派は、福島原発の背後に、原発マフィアの存在をみようとしているのに、また、私はおそらくそうだろうとみているのだが、明治維新体制の背後に、ロスチャイルド財閥の存在を見出すに違いないと思うのに、戦後憲法体制の背後には、そうした国際金融勢力の存在を確認できないとするのだから、とてもおかしな態度ではあるまいか。

これに対して、改憲派は、あるいは反・護憲の立場に位置する人たちは、国際金融勢力の存在の支持を受けて、戦後の日本を指導したことから、彼らの指示に従い続けたのである。それゆえ、改憲派も、戦後憲法体制を擁護することが論理的であるから、改憲派を標榜するのをやめる必要に迫られるはずである。その関連から言えば、戦後政治の総決算とか戦後体制の見直しを声高に叫ぶことは、憲法体制の背後にあるロスチャイルド財閥の描く国際秩序に逆らう存在としてみなされる危険性が伴う。

こうした点を鑑みるとき、護憲派は、戦後憲法体制と相互補完的関係にある国際金融勢力と向き合い、戦うことが求められていたはずである。そのためには、戦後憲法体制に対しても、批判的態度で臨むべきであった。と言うのも、こうした国際金融勢力が福島原発に代表される戦後の核開発を、歴代の日本政府に推進させてきたからに他ならない。

このようにみてくるとき、戦後憲法体制と相互に補完し合う国際金融勢力の存在といった観点から、平和憲法や戦後民主主義を見直す作業は、換言すれば、第9条や戦後民主主義を守るという場合、それは国際金融勢力を、同時に支持し守るということではないのかについての確認作業は、当然ながら必要となるに違いない。

こうした(確認)作業を試みるならば、そこから私の語る「システム」論が、ここで紹介した論と、密接に関係・関連していることに気が付くのではあるまいか。願わくば、さらにそこから、さらに覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの〈「システム」とその関係の歩み〉へと、読者の目が向けられることを期待するばかりである。

 


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