ウオーク同好会の11月例会で、常滑市の「やきもの散歩道」を歩いて来ました。もともとは、テレビの朝のドラマだったスカーレットがヒントだったのです。でも、信楽までは遠い。それで近い所である常滑を散策しようと言う事になりました。
やきものの街。常滑を観光ガイドに案内されて歩いて来ました。
とこなめ観光協会 常滑支部発行の「やきもの散歩道マップ」より引用しました。
今日の集合場所が名鉄常滑駅となっていました。
常滑の街の歩き始めです。
駅から東に向かって歩きます。
歩いて来たところが、やきもの散歩道でした。
向かって行く途中、「とこなめ招き猫通り」と斜面に書かれていました。
「とこなめ招き猫通り」を歩いています。
コンクリートの壁に沢山の作品がはめ込まれています。
はめ込まれた沢山の作品です。
色々の表情が面白いです。
常滑市陶磁器会館に着きました。
ここで観光ガイドと落ち合う手筈となっていました。
会館内です。
色々の作品が並んでいます。
袋に入ったミカン。
小が100円。大が200円でして、大を1コ買いました。
これから出発ですが、その前に観光ガイドと顔合わせです。
観光ガイドはシルバー人材センターに所属していると自己紹介が有りました。
やきもの散歩道マップのAコースを逆時計回りに歩き始めました。
会館から西へ来て、南に向かいました。
最初に来たところが土管を使った土留めです。
市場に出荷できない製品が土留めに使われているのだと説明していました。
土管の土留めを撮影します。
かつて、使われていた窯を説明するガイドです。
散歩道を歩きます。
来たところが北山橋です。
大きなこの猫。
見守り猫、とこにゃん。
FRP製だそうです。
廻船問屋瀧田家へ来ました。
瀧田家は資料館になっていて有料なのですが、これから入ろうとしている所は無料で見ることが出来ました。
中に入って、ガイドが説明してくれます。
掲げて有る写真。
「写真にみる瀧田あゆち」展の紹介です。
1932年は昭和7年です。日本航空へ入社と有りますが、何時入社したと書いてありませんが、生年から言って昭和29年か、30年頃なのでしょう。日本航空が国際線を運航し始めた時代の事です。
彼女の経歴を見ると凄い道を歩んできています。
日本のキャリアウーマンの先駆的存在と書かれています。
ウィッキぺディアの1969年の日本の女性史の項目。
・8月21日 日本航空に初の女性課長誕生、滝田あゆち
と有ります。
何事もトップを走るという事は風当たりが強いです。
凄い道を歩んでこられたと想像します。
焼酎や硝酸を入れた瓶で整備された瀧田家の前の道、でんでん坂です。
ここでもガイドが説明してくれました。
土管の道に来ました。
こちらは土管坂です。
焼酎瓶が積まれて擁壁となっています。
ノベルティーズ T&Tの入口です。
ズラ―と並んだノベルティ。
こちらは下に並べてある品々です。
T&Tから出て、展示工房館へ向かいます。
展示工房館へ来ました。
展示工房館の館内です。
窯の内部を見ることが出来ました。
両面焚と有る様に窯の右と左、両側に焚き口が有りました。
展示工房館の表へ出てきました。
中で見た窯の煙突です。
工房館の建物の中に窯が有りました。
もともとは窯が屋外に有ったのを覆うように家屋が立てられたのでしょう。
ガイドが大甕について説明してくれました。
登り窯へ来ました。
これから登り窯の周囲を見せて貰います。
南側から見た登り窯です。
窯の焼成室が何段にも続いています。
焼成室の中です。
黒く並んでいる凹んだ部分。
窯の中が燃焼するときに、あそこから炎が噴き出します。
露天の窯。
これが本来の姿なのでしよう。
坂道を下って行きます。
大きな煙突跡。
その横を歩きます。
石堂陶芸の横を通過します。
ガラス越しに見えたカラフルな機関車。
こういう物。
見るだけでも楽しいです。
煙突が林立する景色を眺めれる場所へ来ました。
こちらはガイドが見せてくれた昭和30年代の常滑です。
沢山の煙突が林立しています。
やきもの散歩道を回ってきて常滑駅まで戻ってきました。
和家と言う食堂です。
ここで遅くなった昼食を取りました。
私が頼んだ日替わり定食です。
日替わり定食には生姜焼き。アジフライ。お刺身のいずれかとなっていました。
これで、コーヒーが付き930円となっていました。
最後に
ガイドの説明では常滑の他に瀬戸や備前などが六古窯で、1県に2箇所あるのは愛知県だけだと言っていました。原料の陶土に酸化鉄を含んでいて赤みがかった色になるそうでした。
常滑の窯業がこんなに発展したのは凹凸のある地形で、傾斜を利用して窯を作り易かった。それに燃料は薪や石炭でしたが、海が近く燃料をが手に入り易かった。また製品を出荷しやすいなどの利点も有りました。高度成長期、大量の土管を産出していました。それが時代の流れで塩ビ管に代わってきました。
最盛期には400軒を超える業者が有ったのが70軒までに落ち込んできていると言っていました。こんな事も時代の流れなのでしょう。
瀧田あゆちと言う人物も知ることが出来ました。
ガイドと一緒に回ったやきものの街。
勉強になりました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます