岳友 タンネの会の例会に参加しました。今回は関ヶ原の古戦場跡を歩くものでした。集合場所が岐阜関ヶ原古戦場記念館となっていて、そこからはボランティアガイドに案内されて歩くものでした。東軍と西軍が戦った戦場を巡るもので、いつもの山歩きとは、一味違った体験ができました。なお、参加メンバーは松尾山を歩きましたが、私は向かいませんでした。
岐阜関ヶ原古戦場記念館 ― 徳川家康最後陣跡 ― 田中吉政陣跡 ― 東首塚 ―
松平忠吉・井伊直政陣跡 ― 細川忠興陣跡 ― 岡山烽火場・黒田長政・竹中住重門陣跡
― エコフィールド関ヶ原 ― 決戦地 ― 笹尾山石田三成陣跡 ― 島津義弘陣跡
― 開戦地 ― 北天満山小西行長陣跡 ― 南天満山宇喜田秀家陣跡 ― 藤古川ダム
― 大谷吉継墓・湯浅五助墓 ― 大谷吉継陣跡 ― 松尾山展望地 ― 若宮八幡神社
― 旧中山道 ― 松尾山分岐 ― 国道21号線 ― 西首塚 ― 関ヶ原駅
関ヶ原観光協会 「関ヶ原合戦 史跡めぐり」より引用しました。
今日の出発場所、岐阜関ヶ原古戦場記念館です。
ここが集合場所となっていました。
9時30分が開館時間となっていました。
開館前に何人も列を作りました。
コロナ禍の時期で、事前予約した人しか入館できませんでした。
本日のメンバー。
Nさんと、ボランティアガイドの高木さんです。
高木さんは陣羽織を羽織っていますが、この陣羽織がボランティアガイドの制服でした。
最初に見たのは陣場野公園です。
ここは徳川家康の最後の陣跡だったところです。
ここからウオークをスタートしました。
東首塚。
大きな木がそびえています。
松平忠吉・井伊直政陣跡です。
次に向かうのが岡山烽火場の黒田長政・竹中住重門陣跡で、小高い山に幟が見えます。
岡山烽火場・黒田長政・竹中住重門陣跡へ向かう前に寄ったのが、細川忠興陣跡です。
ガイドから説明を受けています。
歩いていて、電柱に合戦の一口メモです。
このようなメモの電柱が何本も貼って有りました。
気が付いたのは加藤貞泰の物です。
加藤貞泰は美濃の黒野城の城主でした。
先月、10月18日に「木曽三川探訪 森部輪中と水害・治水を学ぶ」と言うイベントに参加しました。
https://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/7da3a6a2e10c2b7c4377687c6ec90d6e
その中で「1600年頃安八は加藤貞泰の領地だった」と言う講義が有りました。会場となった安八町が加藤貞泰の領地だったと言うものです。
関ヶ原の合戦の陣地図で加藤貞泰の名は出てきませんが竹中・黒田隊と烽火場で布陣したと有ります。先に聞いた人物の名が、こうして関連を見聞するのは歴史を勉強する上に置いて面白いところです。
加藤貞泰は私が住む市の隣市である岐阜市の黒野城の城主だった人物。そんなことから身近に思えます。
竹藪の道を登り、烽火場へ向かっています。
烽火場に着きました。
紺色の幟は「藤巴」紋で黒田。
白い幟の丸に九枚笹は竹中の紋です。
加藤貞泰もここに布陣していたとなると、加藤の幟が欲しい所です。
烽火場からみた関ヶ原です。
今は工場や民家が立ち並びます。
これ等を除外して眺望すると、東軍と西軍がぶつかり合ったの良く見えたことと思います。
次の目的地に向かって歩きます。
両側の竹林。
良い雰囲気の所です。
決戦地に来ました。
決戦地の北側。
ここは笹尾山で石田三成の陣地が有った場所です。
この先の階段を登ります。
前方の雑兵。
ボランティアでやっていると話していました。
階段を登り笹尾山陣地跡に向かいます。
笹尾山石田三成陣跡です。
東軍と西軍の陣系図。
ガイドの説明では、家康は西軍の鶴翼の陣に対して魚鱗の陣をもって対峙した陣形だったと話していました。
何かの撮影だったのでしょう。
甲冑姿のグループが来ていました。
決戦地に来ました。
遠くから見るススキが綺麗です。
大谷吉継墓・湯浅五助墓へ来ました。
大谷吉継は横から小早川秀明秋軍の襲撃を受け大敗しました。自分の最後を悟った大谷吉継は自害しました。そして自分の首が東軍に渡らないようにとキック部下に言いました。
隣の墓地が湯浅五助の墓です。湯浅は大谷を介錯し首を隠しました。
湯浅は主君の首の在りかを頑として口を割らなかったと説明板に書いてありました。
松尾山展望地へ来ました。
遠くに松尾山が見えました。
松尾山には白い幟が見えました。
松尾山分岐です。
ここから南に向かうと松尾山です。
私は、ここで皆と別れて関ヶ原駅へ向かいました。
関ヶ原駅へ戻って来ました。
最後に
関ヶ原の合戦は旧暦の9月15日の事でした。ガイドの説明では9月15日は今の暦にすると、10月21日となるそうでした。東軍と西軍とのぶつかり合い。稲が実りの時期を迎えていて、農民はむざむざと稲を痛めつけられるのでなく、慌てて稲刈りをやったのではなかろうかと言う事でした。
先にある講座で聞いた加藤貞泰。陣の分布に名は載っていませんでしたが、戦に加わっていたことが確認できました。先に聞いたことと今、見聞きしていることが結びつく。
これが歴史を知るうえで面白いところです。
ガイドの話しでは、昼過ぎには勝敗が決していたそうです。
累々と折り重なった遺体。
硝煙の匂い。血の匂い。
そんな戦場の惨状が想像できます。