虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

五線譜のラブレター DE-LOVELY (2004/米)

2005年01月22日 | 映画感想か行
DE-LOVELY
監督: アーウィン・ウィンクラー
出演: ケヴィン・クライン アシュレイ・ジャッド

 1920年代のパリで、コール・ポーターは年上の離婚暦のあるリンダと出会った。リンダは、彼の才能と優しさに、ゲイでもあることを承知で結婚する。そして彼女の尽力もあってポーターは売れっ子の作曲家になる。
 しかし彼の性癖と乱れた生活は彼女を苦しめる。

 さすがに音楽が素晴らしくて。
 ケビン・クラインがあんなに歌えるなんて知らなかったけれど、やはり実力派の歌手が次々に登場するステージシーンなどは、もうただただうっとり。見終わった時には、そうお酒の飲める人なら極上の酒に良い加減で酔った幸福感、みたいなものでしょうか、私なら穏やかで好きな絵ばかりの小美術館でひと時過ごしたというのに同種の幸福感に酔っておりました。

 ドラマ自体はけっこうシビア。
 コール・ポーターはかなり困った男に見える。でもそのあり様が自然でイヤな男に見えないのはケビン・クラインがうまいというべきでしょう。リンダが彼にとってのミューズであることは、彼は分かっている、分かっていて、しかも甘えてしまう。天才とは、どこかがずれているのか、と思わせられる。リンダの姿はいつも孤独。でもその苦しさが分かっても、結局彼のもとに帰って支えてしまう。
 彼女は、一人の男と、その男に与えられた"GIFT" を愛してしまった。それはとても大きく、心が捉われずにいられないものなのだろう。特にそれを理解するものにとっては。彼はその最上の理解者を得て、羽ばたき、それを亡くした後の喪失感に苦しむ。この2人もまた「天与の出会い」をしたのだろうな…

 この邦題もちょっと苦しい感じがあるけど、仕方ないでしょうか。あちらの人は、原題見ただけであの曲が流れるのでしょうから。
 個人的には「True Love」の曲の使い方が嬉しかった。あの曲は心にものすごい純粋なものを持っている人でないと書けない曲だと思う。

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下妻物語(嶽本野ばら著*小学館文庫)

2005年01月22日 | 
 映画を見て、読んでみようと思った。そして、今まで嶽本野ばらを読んでいなくて、損をしていたと思った。
 おかしい。下妻という田舎で思いっきり浮きまくりのロリータやってる桃子の一人語りの、現実に背中向けちゃった部分と、実にシビアに現実を見る部分のよじれたギャグのおかしさは映画以上。レトロで良い子のヤンキーをやっているイチゴのアッパラパーな突き抜け感も笑える。
 思いっきり笑えるが、泣けた。 

 桃子はテキヤ、バッタ屋の父と、不倫で家出の母を持つ堂々たる欠損家庭の娘であり、現実認識の鋭さは人並み以上。余計な甘えを持たない、人に期待しない彼女はどうしたって孤独。イチゴはクラス中から馬鹿にされる惨めな孤独の中にいた。
 しかし彼女たちは、卑屈に集団に擦り寄ることで孤独から逃れようとはせず、また世の中に対してすねることもせず、自分たちの美学を貫いて敢えて孤独に生きることを選ぶ。その美学がロココの世界であり、イチゴの「主義」なのである。それは世間的価値観からすれば、いかにスットンキョウであろうと、眉をひそめられようと、二人は自分たちの筋を通して生きようとしている。
 見た目は違えど、二人はお互いを知る者なのだ…だから反発もするし、惹かれあいもする。そして馴れ合いからは生まれない孤独を知る者同士の友情は、ここにこそ育むことができるのだ!

 心あらば、この乙女らの雄々しさに泣け!

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