虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

やおい幻論〔やおい〕から見えたもの(榊原史保美著/夏目書房)

2005年01月04日 | 
 いわゆるやおい・ボーイズラブは苦手なのでほとんどパスしています。でも知り合いの女子中高生でやおい愛読者・コミケ常連さんたちはかなりいます。だからたまに覗かせてもらうけどやっぱりちょっと見ては「きゃあ」でおしまい。最近のものはまともに読んだことがほとんどありません。男性同性愛のものの嚆矢といえるんじゃないかと思う、そして私がまともに読んでいる竹宮恵子、中島梓氏は、彼女たちの作品は今のやおい物とはまったく質の違うものだとおっしゃっています。

 やおい本はちょっと覗くと〔刺激〕ばっかり!という感じがしないでもありませんし、「やおい」という言葉になんとなく後ろめたいような、怪しいような、いけないことである感じは付きまといます。

 この本は、男性同性愛小説の早いうちからの書き手である著者が、それを書かなければならない、書く必然性を持つ人間の立場からの考察と発言。文章硬いし、難しくて、読み進むのはちょっと苦労。好奇心と偏見の目で捉えられる主題だけに、あえて、こういうカタイ文体にしたのでしょうけれど。
 この本によれば、ヘテロセクシュアル(いわゆる普通の異性嗜好)、ホモセクシュアル(同姓嗜好)などと並んで、トランスセクシュアルというややこしいものがあって、それはたまたま女性の身体を持ってしまったけれど男性としての自己意識を持ち(最近認知された性同一性障害というのですね)、それでいて男性が好き、というもの。そういうことになると、じぶんの女性としての身体で男性同士の関係に入っていくことは許せない。したがって、必要なものとして男性同性愛の小説類で昇華していくことになる…でいいのかな?

 私の今までの「やおい」の捉え方というのは個人のセクシャリティに根のある問題というより、世界に対する違和感のあぶりだし方のひとつの方法というものだったので、これはちょっと驚きだった。
 異性関係というのは、どんな関係であれ、男女間の縦=上下関係を伴わずにはいられない。それを排したところで成立し、しかも世間の基準にずれた恋愛関係は、人間誰もが抱えている世界への違和感、その中で人との結びつき、理解し合える関係を求める心を際立たせるための手段かしらんと考えていた。だからこそ、女の子が群がるのか、と。

 自分の足元を見てみれば、同性愛というのは、おのれに直接かかわらなければ理解と許容を示せる現象である。
 例えば「プリシラ」を見てゲイである彼らの悩みに共感し、苦しくてもそうあることが彼らの自然であるということはわかる。だけど、自分の兄弟がそうなったらほんとにショックだろうなあ。それを受け入れるのにむちゃくちゃ時間とたくさんの葛藤を経過しないと無理。それでこの本もぜんぜん身に迫ったものでなくて、結局、別の世界の風俗を見る眼でしか読めなかったようだ。

 でも、こういう切実な「やおい以前のやおい」と、女の子が出ないポルノグラフィー的な読み方してる「ヨミセン」(コミケ用語らしい)の子達とは別だと思う。こちらはこちらで、別個に考察が必要でしょう。

 実は正月に、いきなり「やおい」からもちょっと気がひけるので橋本治から書き始めたのでした。あとはル=グィンの名作「ゲド戦記」全5巻をなんとか自分的に納得してしまいたかったので通読してたけど、結局先送りになりました。ル=グィンといえば、考えてみると「闇の左手」もちょっとそれっぽいとこはあるかも~

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上司は思いつきでものを言う(橋本治著/集英社新書)

2005年01月04日 | 
 この本も昨年のベストセラーの中に入っているので、きっと感想・書評いっぱいあるんだろうとは思いながら、BK1の書評すら読まなかった。橋本治に関しては、他の方のご意見を参考にしようとしても無駄って感じいたします。これもハニワ製作会社とかとんでもない設定をしているけど一つ一つの例はわかりやすく、でも本全体のイメージがやっぱり茫漠で、自分でまとめないと入ったものがカケラを残して雲散しかねないありゃりゃと言う本でした。いつもですけど。買ってから半年、感想もほって置いたのはもちろん書きにくかったからです。
 わたくしが読んだのは、上司の発言が権威を持つのは、一つには日本社会に根がらみぎっちりと絡み付いてる儒教道徳が能力と地位をリンクさせて認めさせてしまう。そして「昔の現場」を知っていた人間が「今の現場」の現状を知るより、そこに口を出さねばいかんと思っている。ピラミッド上の組織の上からも下からも風通しが良くなければ、現状に対応できるシステムではありえないのに、いつの間にか上部の組織維持が上司たちの現場と化している。

 まあ、組織ってものは自己増殖が目的化するものだしね。組織外のものには冷たいし。現場だって組織論理に安住しちゃうとこあるしね。

 結局、この本は思いつきでとんでもないことを言う上司やトップダウン以外に何もしなくていい官への対策としては「呆れろ」以外に何も提示してはいない。それから先は自分自身で考えなければいけないのだ。ただ、「わけのわかんないことを無理やり理解しようとせず、呆れてもいい」「上下関係を冷静に乗り越えてもいい」という方向を示してくれることは、結構画期的なんでしょうか?

 そして、今までの組織とか仕事の目的の前提を(世界的にも)変えてしまえ、って言っちゃってる。さらっと。

 変わらなきゃいけないんだけどね、でもどう変えるか、やっぱり自分の頭で考えるのはあたしも含めて大多数は苦手だろうね。誰かにプラン出してもらってああだこうだ言ってるのが楽だしね。ほんとにそこから先は容易ではない。だからこそ、指導力のあるリーダーとかに夢を持ってしまうのだろう。

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