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虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

反省

2004年12月03日 | 
一夜明けて、きゃ~、はずかし。こんなこと書いちゃって。
疲れてるんです。目の下の隈も濃くなってるし。
12月締めの帳簿がまだ残ってるし、ちょっと面倒な収支プランも今週中にやらなきゃならないし。

これから、外出には詩集なんぞでなく、「トンデモ本の世界」とか「前田建設ファンタジー営業部」とか、そういう類の本を持って出ることにします。

しかし、世界が変わって見えてくる詩ってのも、いいものですよ。

女の幸福

2004年12月02日 | 
このところ、ずっと「英語で読む万葉集」に取り組んでいたのだが、今日は電車に乗っている時間が多かったので、マルサスの「人口の原理」(まだ読んでる)と詩集をバッグに入れて家を出た。

それで今日たまたま行き当たったのが菱山修三

女の幸福

突然まるで突然 いまとは違った別のくらしが わたしにもできたような気がする
結婚もせず 子どももなく ひとりでくらしていることも全然ふしぎに思わぬ女
いま そうしているように夜ふけ ひとりベッドの白いシーツの上に目ざめ 青い星空をみている

たしかに いまとは違った別のくらしをしているひとりの女
それがわたしのような気がする
ロッテでもなく ノラでもなく あるフィナーレのひとこまのなかにいるような気がする
梢をはなれて舞いあがる一枚のまだ青い葉っぱのように ゼロにむかって走りだすのを
もう すこしもおそれていない女
それがわたしのような気がする


茨城のり子でもなく、新川和江でもなく、
男性詩人の書いた「女の幸福」という詩で、
でもたしかに、この感覚は知っている、と思う。
夜のひとりの時間にいつも意識しない自分の中のものが動き出そうとする感覚。

人間が「誰かと一緒にいたい」のも本当だけど
「ひとりで飛びたい」もまた真実の欲求だと思う。

電車の中で、こんな詩を読んで、周りを見回すと
目に見えるものが実にふしぎな光景に見えて
頭の中はけっこうな暴走モードに入り
アブナイ師走の私です。

海底軍艦(押川春浪著・ほるぷ出版)

2004年11月29日 | 
 明治時代、ヨーロッパ諸国を遍歴していた柳川青年が、帰国の船旅を旧友の妻子と同道する。しかしその船は、海賊に襲われ沈没。青年と8歳の少年は漂流の後、日本帝国海軍の桜木大佐が秘密裏に新型軍艦を建造中のインド洋の孤島に流れ着く…

 明治33年の冒険小説の昭和53年復刻版。映画を見たのですごく久しぶりに読み返した。
 横田順彌「SF古典こてん」で、紹介されていて、それで買っちゃった本ではあるが、SFなのは、新型潜航艇(この本では電光艇…山岡鉄舟の詩より命名)の形状や性能の紹介部分で、後は冒険小説。
 時代が時代なので、欧米への対抗意識バリバリだし、出てくる動物は猛獣としてむちゃくちゃ殺してしまうし、戦う敵は海賊船…まさか国との戦争は書けないだろうし…映画で敵としてムウ帝国なんぞが登場しちゃったのもむべなるかな、でした。
 でも、文章に独特のリズムがあって、慣れるとからだがリズムに乗っちゃってどんどん読み進んでしまいます。それに慣れてくると修辞が楽しい。「天女の如き」「月明かなる青水白沙(原文のまま)の海岸には」とか、決まり文句に飾られた文面が実に心地よいのでありました。「この際、漢文素読を復活しようぜ」と思っちゃったくらい。日本語からこのリズム感がなくなるのはやっぱり惜しい!
 それでもって、全400ページほどの本の中で、180ページくらいで登場した新型艇の説明に約13ページ費やされ、でもまだ建造中なのでした。それに肝心な部分は「桜木大佐長年の苦心による秘密の働き」で片付いてます。やっと出来上がって試運転したら大津波で燃料が波にさらわれ、ようやく最後に4ページほど電光艇の活躍が記述されておしまいなのです。
 入り口に「秘密造船所」と大書した地下造船所とか、インド洋に輝く北斗七星とか、枝も枝垂れんばかりに熟すバナナとか突っ込みどころ満載(明治の人をいじめちゃいけないけど…島崎藤村だって椰子の枝、とか言ってるもんね)。それについてもギャハギャハと楽しんだ本でしたが、当時の正しい日本人の「負けるものか」の軒昂たる意気に感じる本なのでした。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実(米原万理/角川文庫)

2004年11月20日 | 
 斎藤美奈子さんの解説付で文庫になっていたのでついまた買ってしまいました。
 いつも楽しませてくれる素敵なエッセイや、「オリガ・モリソヴナの反語法」のような感動作など、いつも期待して裏切られない米原さんの本でも、一番好きな本。
 この本に書かれているのは、米原さんのプラハで過ごした少女時代の3人の友の運命と交流。でも米原さん自身の自伝の一部のようなものでもあり、ご家族の記であり、それに20世紀の歴史が重なって見えてくる。

 それぞれに国籍が違う4人の少女は、「共産主義」のもとにプラハで学校時代の一時期を共有し、そしてまたそれぞれの祖国に帰って(帰れなかった一人の含めて)、決して穏やかといえない人生を歩む。そして米原さんとの再会のときに、彼女たちがそれぞれ自身で選んだ道がくっきりと浮かび上がる。
 戦後の日本でごく普通に生きていれば、自分がどう生きるかの厳しい選択の場に立たされることはめったに無い。それぞれの個人について攻めることも賞賛することもむなしいような気分になるが、こう安穏な暮らしに慣れてしまうと、いきなり厳しい問いを突きつけられると、その原因と思われるものに対し、方向違いでも怒りが湧いて来るのではないだろうか。厳しい人生なんて送らずに済めばそれに越したことは無いが、安穏を守ることだけに汲々としては、どこか大切なものが錆付いてしまうだろう。
 共産主義は本当に滅びたのか。20世紀は共産主義の実験の世紀だったという言い方をする人もいる。しかし、今の弱肉強食な資本主義をそのまま肯定できるのか。

 読むたびに様々な思いや疑問がわきあがってくる本なのだが、私は愛国心についての部分と(柳沢桂子さんも、異文化の中で自分の故国を強く意識する、と同様のことを書いている)ヤスミンカの父の語るちょっと「蝶の舌」を思わせる、ユーゴ版の師弟物語ではいつも泣いてしまう。

・・・ずれてない?

2004年11月14日 | 
「物は言いよう」に取り上げられた事例のひとつ。村上春樹「海辺のカフカ」のなかのエピソード。図書館につまんね~イチャモンつけに来る女性団体がでてきて、そこで「全国の女性の正当な権利の確保にとって有効なことは、ほかにもいくつでも見つけられるはずだ」と対応の図書館員に言わせてます。それについて、斎藤さんはイメージどおりのものをマイナス面を誇張して持ってきて実際に機能もしていない正論で笑いものにすることの危険性を指摘してます。私が読んでいても現実感無かったところ。

 フェミコードには関係しなくても、ちょっとお年のいった作家の(全部ではなく一部だけど)本の中に登場する女性は、私にはまったく現実感ない。
 不倫文学の雄、某(渡辺純一)さん。彼の作中の若い女性のセンスのミョーなことったらただ事じゃない。女子大の卒業パーティーでなんと深緑の無地の振袖!や~め~て~!振袖っていうのは華やかで若やいで、が基本!基本をはずして渋ぶっちゃったら、浮き上がるだけ。おまけに、女性が見事にステロタイプで痒くなっちゃう。我慢して読んでいくと、同じステロタイプでも主人公が批判的に見ている人のほうがどうしても魅力的だし。
 ほかにも「美しい三十代差し掛かりのヒロインにすれ違いざまに怒りの眼を向ける同世代の子連れ主婦」でヒロインの垢抜けた生活感の無さを強調する作家とか、爆笑するような描写がいっぱいあるのよね。
 セクハラとはいわんけど、勘違いというか、やっぱり「ずれてる」と思う。誰がどう読んでるのか知りたい。「インストール」とか「蛇にピアス」とか、面白い面白くないは別として、女の子にはまだリアリティがある。 

 最近の「アエラ」にも「かしずく女性たち」なんて特集がありました。
 男とハンディキャップつきの競争にも疲れて、「負け犬」にもなりたくなくて、どうせ機嫌をとらなきゃいけないんなら、職場でじゃなくて、一人の男に家庭でかしずいてたほうがいい、という選択をしている女性についての記事でした。
 これもね~ 男の側もつらいでしょう。男であるだけで、そうされるのが当然のというわけでなくて、それなりの社会的経済的な実力がないとかしずいてもらえない時代だろうしね。共働きを期待してる男のほうが多いみたいでもあるしね。
 ま、こういう人もいるんだな、程度のことでしょうけど。

 「負け犬の遠吠え」私はお笑い本として読んでたんだけど、真剣に読んでた人も多いみたい~ 自分書いた文章見ても、ちょっとご大層に書き過ぎていて反省。あれは「負けたことは認めるから好きにさせといてね!」というお話でしょう。

 なんか、文章業界の女性像ってまださまよってるのね。かしづき甲斐がある男にかしづきたければそうするし、そうでなけりゃいつの間にか負け犬で楽しくやってますって。「こうでないと」とかイメージ決めてくれなくても大丈夫。

物は言いよう(斎藤美奈子著・平凡社)

2004年11月13日 | 
最近は斎藤さんのお名前を見るとつい、パブロフの犬のように条件反射的にお財布を出す、とか画面上の購入ボタンを押している有様でございます。だって面白いんだもん。

 これは今は無い「噂の真相」誌上のコラムが土台になったもので、著者ご本人によれば、「FC」(フェミコード)対策のための実用書だそうです。

 フェミコードとは何か?性や性別についての望ましくない言動を検討するための基準です。思いがけないセクハラの疑いをかけられないために、笑いながらFC感覚を身につけよう!という本。

 しかし私が読んで思うのは、これは世の中に流布している女性がらみの言説の
「なんかムッとする、ムカッとする」気持ちに明快な根拠と対策を教えてくれるありがた~い実用書ではないか!でした。

 石原慎太郎とかを筆頭に、「何言ってるのよ~!」な発言はいっぱいなんですが、こまったことに「どこがどう気に入らない、どこが正しくない、こう正して」ときっちり明快に突きつけるほどいつも論点を整理できない、ってのにイライラします。
「女だからなんだってんだよ~」とか、「アタシの私生活がアンタにどう関係あるんだよ~」と言い返してやりたいような発言をどう処理するか、どうかわすか、言われる側への指南書でもあります。
 それに第一に面白いので、お薦め。本当に、頭がいいはずの知識人やらオピニオンリーダー、国会議員の皆様の、もののたとえ方、少子化対策、女性へのリアクションたら、こうやって一挙に並べてみると壮絶にトンデモです。

bk1斎藤美奈子インタビュー

あなたのマンションが廃墟になる日(山岡淳一郎著・草思社)

2004年11月07日 | 
 日本のマンションは30年という、欧米の3分の1にも満たないサイクルで壊され、建て替えられているという。なぜそうなのか?

 この本は、マンション問題だけでなく、「住む・暮らす」ということについての意識を問う本になっています。この本によれば、日本ではなぜかその効率や効果をまともに検証されることなくマンションの補修維持より立替ばかりが促進されているような印象です。
 この短期のスクラップ・アンド・ビルドの繰り返しでは、余程の資産を持たなくては30年サイクルの中で自分の家としてマンションを維持するのは無理だろう、と思います。

 私の周りには建築関係者がけっこういます。建築と言っても、職種が広いのですが、専門は都市デザインとか、構造とかだいたい物理と数学で稼いでいる分野が多いです。一応みんな建築家で、住宅とか、住むことに関して一家言は持っています。
「100年持つ建造物を作る技術はある。持たせる気があれば持つ」
「なぜ都市あるいは町全体をカヴァーするプランが成立しないのか」
「住宅公団は政治家に実績作りをせかされて土地の値段を吊り上げた」
「地域に、その時々の家庭の構成に対応する貸家がそろっていてその中で移動が出来れば、コミュニティを維持できる」
…なんて議論をず~っと聞いていました。一人一人は理想があるのに、今の現状がこの本の通りだとしたら、結構情けないものがあります。
 
 意識は「家(マンション)は財産」でしょう。マンションは自分の住戸だけでなく建物全体を積極的に管理維持しなければその財産価値を保持できない。でも、そのことを直視するのが建て替えを迫られたときだけでは、もう遅い。だからこそ「マンション管理組合は民主主義の実験場」という言葉も出て来ます。

 ほんと、「住」という人間の暮らしの基本のコストを「社会的には」「個人的には」どういう形で負担するのかについて再考を迫る本です。

昭和史(半藤一利著・平凡社)

2004年11月04日 | 
 本を買いすぎたので、しばらく節約しなくてはいけません。でもこの本は面白いです。お金出して損は無いです。

 昭和のはじめから敗戦までを15章プラス結びの章建てで、文章も実に呑み込みやすく構成されています。
 内容的には特に新しいということはありませんが、歴史をよく知って、咀嚼して血肉となっているおじさんが、話してくださる、という体裁で、読後感がちょうど日本史の授業で、時間が余ったから先生が余談みたいに話してくれたときの感触に良く似ています。そういうのって、授業そのものより鮮やかに覚えていたりします。
 私の高校でも、日本史は時間が足りずに昭和史は早朝特別補習で終わらせたから、受験で日本史選択でない生徒はきちんと授業でやらなかったことになります。本当は古代史やるより必須だと思いますが。

 日本近代史というのは読んでいると、あまりの情けなさに歯軋りしながら、うめきながらなんてことが往々にしてありますが、この本も昭和史の中で良識が次々に追いやられ、根拠の無い戦勝への自信と熱狂が日本を支配していく有様を刻々追っていきます。
 ワケ分かんないけどとりあえず言ってみようとみんなが追随して叫びたてたような統帥権干犯問題とか、素人が考えても「なぜだ?」としか言いようの無い日独伊三国同盟。それが、表立って反対をする言いだしっぺがそのときのメンバーにいなかったから?「何とかなるだろう」って?テロによって黙らされていく政治家たち。「君側の臣」と内閣の軋みの中で次第に意思を表せなくなっていく天皇。すべて希望的観測のみでシミュレーションされた戦争の見通し…
 結果を知って読んでいけば、その時々ほとんど滑稽に感じられることもあるが、その甘い見通しと仲間内の摩擦を避けるための遠慮と保身が引き起こしたなんという悲劇。そのつけを誰が払ったかを考えると、「無念の思いやるかたない」とはこういうときに使うのではないか。
 そしてソ連が日本の分割統治すること、イコール日本が朝鮮やドイツのように分断することをかろうじて逃れることが出来た敗戦であったという終結にたどり着き、ますます暗澹は深くなる。

 この本は教科書よりは入門書でしょうが、とりあえず一読してそれから別の本へ進むなり、批判するなり各自考えられたい、と痛切に思います。
 私に関しては、今ちょうどドイツの敗戦時の日記「ケストナーの終戦日記」を再読中でもあり、戦争を終わらせる時の混乱と悲喜劇がこの本と相乗効果生んだようです。怒りがうねっております。ともかく政治家が必要なことをちゃんと考えていると思ってはいけません。時流が正しいと思ってもいけません。

玄鳥 (藤沢周平著/文春文庫)

2004年10月28日 | 
藤沢周平の時代小説のうちでも、北陸 海坂藩を舞台に武士を描いた短編集。

藤沢周平の世界は風が吹いている。
読んだあとなんとなく清しい風に吹かれたような気分になる。
登場するのは、癖もあれば欠点もあり、変なところにこだわったりする身近な人間像だが、やはり「武士」であり、死に対する姿勢が現代人とは明らかに違う。

女性のあり方もまた然りで、自制心に富み、表面は穏やかで、その奥の揺れ動く心が何かの折にふと表面にこぼれでる。たとえば、「三月の鮠」のヒロインは、密かに恋している男が、自分の家族の仇を討って無事で帰ってきた姿を認めて、それでも夢中で飛びついたりせず、身じろぎもせず立っている。巫女姿白い小袖と緋の袴でりりしく。
そして男が近づくと、
「その目に盛り上がる涙が見えた。」

わ~、たまりません。
私とは別人種だな、とは思っても、文章からして実に端整でしびれます。

藤沢周平はクールです。
今度の「隠し剣 鬼の爪」映画化でも、「たそがれ静兵衛」みたいに山田監督調にウェットで重くなってないかとちょっと心配。

学校図書館のお薦め

2004年10月21日 | 
高校生が、今日学校図書館の司書の先生に薦められたと言って小川洋子「博士の愛した数式」を借りてきた。
へええ~、と思った。
高校の学校図書館で推薦されるんだあ。
胸がキューっとする切なさを感じる本だし、確かにお薦めできる本。
数学への親しみがわくかも知れないから学校向きの本かもしれないな…
でもちょっと違うか。

我が家で一番理系で、数学に強い人間にはこの本あんまり受けなかったなあ。
彼が感動してたのは吉田武「オイラーの贈り物」
私の持ってた文庫を見て、ハードカバー探し出して買ってたっけ。
やっぱり感動するとこがちょっと違うのかも。

ところで、これは図書館カウンターで司書の先生に個人的にお薦めされたそうだけど、その司書の先生は2000人(中高一貫なのでこのくらいいる)からいる生徒のそれぞれを見て本を薦めてるのでしょうか?まさかね?

大人力

2004年10月04日 | 
現在のEXITEブックスの大人力は結構シビアで笑えました。
チェック本もかなりあってお得な気分にもなれました。加藤ゑみ子さん、これからチェックです。

EXCITEブックス 大人力で勝負

 私も「ベンキョせねば!」と思い込んでるところがあるので、川島隆太、和田秀樹のところはちょっと痛かったです。「受験は要領」も持ってるし。(この本の勉強法はそこそこ参考になりました。PCの勉強に、シスアドの対策本2冊買って、ひとつはばらして持ち歩き、もう一冊を参照用と問題演習に使ったり。それにいきなり数学教えなきゃいけなくなった時に、詳しい回答がでている参考書の回答を写してると、それなりに感覚や記憶がよみがえって来ます。)あ、私は弘兼憲史・中谷彰宏はだめです。

 大人検定はちゃんと大人でした。
 ワタクシの考える大人の必要条件は
・事務手続きがちゃんと出来る
・状況に応じた対応ができる
 これだけは必須です。「世事に疎い」というのがものすごく非難される家庭の方針の影響もあるのでしょうが、そう思います。
 もちろん、「状況に応じた対応」を適切に、はすっごく難しいことなのですが、あくまでそうしようという姿勢を持たずに何の大人ぞや、なのです。

 というわけで、「オトナ」の勉強の為にワタクシもささやかに推薦。
 「第9軍団のワシ」
 「ともしびをかかげて」
 ともにローズマリー・サトクリフの歴史小説。小学校高学年から。
 立派な大人の姿、というものが味わえます。
 ガキンチョにあこがれられずして、なんの大人ぞや、です。
 日本の時代小説なんかもいいのがど~っさりありますが、選ぶのが難しいのでとりあえずこれだけ。

戦死やあわれ(竹内浩三著・小林察編)

2004年09月28日 | 
ぼくもいくさに征くのだけれど
          
街はいくさがたりであふれ
どこへいっても征くはなし 勝ったはなし

三ヶ月もたてばぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている

ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにをするんだろう てがらたてるかな

だれもかれもおとこならみんな行く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど

なんにもできず
蝶をとったり 子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら

そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますよう
成田山に願かけた

  戦死やあわれ(岩波現代文庫)

 竹内浩三は、映画作家を目指していた青年だったが、1945年フィリピンで戦死した。
 彼の残した詩文は姉や友人の尽力で世に出、「戦死やあわれ」の詩は広く知られている。

 彼の残した文章を読んでいると、彼の感覚には60年の歳月の差をあまり感じない。詩文だから、ということはあるだろう。しかし今日今でも、ごくスムーズに会話できそうに感じる。
 こういう「普通の青年」たちが戸惑いながら戦争へ行き、死んでいった。一片の骨さえ家族の元へは戻らなかった。

 彼の残したものは決して反戦を訴えるものではない。
 しかし、戦死者の膨大な数にくくられた、その中の一人一人の存在を突きつけてくるようだ。

マーガレット・ミード再読

2004年09月24日 | 
ノーマン・メイラーの本を読んだときに出してきたマーガレット・ミードの「地球時代の文化論  文化とコミットメント」をあまり急ぎ過ぎないように読んでいます。

 ミードの研究は、いわゆる「男らしさ・女らしさ・人種による行動の違い」が生まれつきのものではなく、後天的に文化によって形作られることを指摘するもので、女性を古い呪縛から開放する上で重要な役割を果たした。しかし、ミードの思想にある機能主義はウーマンリブ(*)と対立するところが多く、批判も鋭く浴びせられている。
 また、研究自体への否定や、自己の立場に都合のよい様にテキストの読み方をする人々も少なくはなかったようだ。はたしてミードは否定されているのだろうか?しかし、われわれは環境によって、文化によって人となる。
 様々な文化を実際に、見る目を持って観察してきたミードにとっても、性急なウーマンリブの主張は納得出来なかったかもしれない。やっぱり長い年月にわたって培われちゃったものはそれ自体に一種独特な美を備えちゃったりしてるし。たとえば山本周五郎が「日本婦道記」で描いている自己犠牲のあり方なんかも美しいと言えば美しいが、それを選ぶのは私はイヤだなあ、と思う。ベティ・フリーダンは「文化に閉じ込められた女性の役割を賛美している」ようなことを書いている…という記憶があります。
キャスリーン・ベイトソンの本も読んだけれど、母親としてのマーガレット・ミードは、子どもの悲しい時に黙って寄り添って、というタイプでなく、まず解決策を考えて子どもに提示してみる、といったタイプだったみたいだ。いかにもその人らしいと思った。ご本人は文化的な役割に忠実に、それに沿って生きようとする人ではなかったとしか思えないけど、文化というものの強固な力は誰よりも知っていただろう。

「地球時代の文化論」は一般向けにかかれたもので、ヒロシマ以後の世界は、それまでとはまったく違ったものだと位置付ける。第2次大戦後古いコミュニティが崩壊し、モデル・規範を失う若者はアイデンティティも得られず、の世代間断絶・現状破壊へと進む。人間が他者と未来を共有するためには、単一文化への一生にわたるコミットメント(参画)でなく、短期的でも強力なコミットメントが可能な文化が生れなければならない、という。人種・国籍・背景は違ってもあることに共に参与できるような。
 今の時代は、多かれ少なかれ、異文化との接触なく生きることはまずないし、断片的・不正確でも異国についての情報は入ってくる。政府レベルでない交流も少しは進んでいるだろう。
 1977年著という古い本ではあるが、教えられることも、出版後の状況を考えてのため息も多い本である。特に、「ヒロシマ」が勝利のない戦争を生み出し、それが「戦争のない世界」を求める芽となりうるかというところには。目に見えるものはあまりにもささやかなよう。でも、実行してる人もいる。

* ここではあえてフェミニズムではなく、当時のウーマン・リブという言葉を選びました。

ヨーロッパ文化と日本文化(ルイス・フロイス著)

2004年09月21日 | 
16世紀、イエズス会宣教師ルイス・フロイスは35年間日本で布教し、長崎で生涯を終えた。その間日本の社会を観察し、ヨーロッパと比較・対照して記録。

日本とヨーロッパの人々の間の相互の混乱を避ける為に、著されたとあります。
今の日本の風俗とはまったく違ったものもあり、変わってないのもありですが、変わってないのは困ったものだ…と感じるのが男の人の行動に関することが多いのは、私の女としてのバイアスがかかった読み方なんでしょうか。

箇条書きになっていて、「日本はこうで、ヨーロッパはこう」という書き方に、解説がすぐそのあとに付されているのでわかりやすいことこの上なしです。長年いてもまだ残る誤解もわかって大変に面白いものです。薄い本なのですぐ読めます。

男の人の月代に関する記述は、はじめのほうに出てきますが、えらい痛そうで、何でこのちょんまげ風習が長い間残ったのか不思議です。
毛がない部分は、毛抜きで抜いてたんですね。剃るものではなかったようです。解説にある『慶長見聞集』の記事では「頭の毛をぬきつれば、かうべより黒血流れて物すさまじかりし也」身震いするほど痛そうです。

 当時は夫婦で歩くとき、日本では夫は後、妻が前とあります。解説ありません。「三歩下がって歩くべき」になったのはいつからなんでしょう?

ロウソクのために一シリングを ジョセフィン・テイ著

2004年09月13日 | 
直良和美訳  早川ポケットミステリ

 「時の娘」のグラント警部もの。「時の娘」より前の時期の小説で、ベッドのグラント警部にリチャード3世の肖像を届ける女優のマータもこの本で登場する。緻密な感じのミステリ。
 ジョセフィン・テイのミステリは、あまりにも有名な「時の娘」以外は今まで翻訳でめぐりあわず、これが2冊目。さすがに社会背景は今よりゆったり目に感じるものの、肝心の事件の動機も、ちょっと奇妙な攪乱要素として登場する青年も今風な印象。
 リチャード3世もお気の毒にと思ったが、この事件の被害者もまったく理不尽に、犯人の身勝手によって命を絶たれてしまう。その人生が勇敢で努力を感じさせるものだけに怒りがフツフツ湧き上がるし、それだけの人生の軌跡をもってしても、"When she was dead, she was dead."残ったもの勝ちを感じさせて寂しい…作者実にうまいなあ、と思う。
 グラント警部もなかなか素敵だが、脇のウィルソン刑事や、田舎の警察署長の行動的な娘・エリカが実に魅力的。「奇妙な攪乱要素」の青年は思わず「杜子春」連想しましたね。