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虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

働くことがイヤな人のための本 中島義道著

2004年09月12日 | 
「トンデモ本 男の世界」にまで中島先生の「うるさい日本の私」が取り上げられましたねえ。実は、哲学入門から、「私の嫌いな十の言葉」から、結構読ませていただいてますが、私の場合は不遜にも「学ぼう」という姿勢より、中島先生のこだわりどころを注目するみたいな感じです。

 中島先生がお父さんだったら、きついだろうなあ、としみじみしたり。
 でも街中の騒音については、先生の主張は同感できるんですけど、この本はさっぱりでした。働くことに積極的な生きがいを見出せないときに、何を持って自己を「良く」生かしうる仕事とするか…たって… それをフォローしてくださるのが斉藤美奈子さんの項目立てして懇切丁寧な解説で、ああ、やっとわかるものに出会えたぞ、とほっとしました。

 「働く」ということの意味合いについて、です。
 「13歳のハローワーク」でも思ったんだけど、働くことが自己実現であるとか、「好きなこと」を職業につなげるとか、それが今では「ならねばならぬ」ちょっと脅迫的な観念みたいじゃありませんか。好きなこと以外の職業で働くのはそんなにいけないことなんでしょうか?好きなことできればラッキー、くらいのものだと思うんですけどね。要はどれだけ責任感もってきちんと役割を果たしていけるかではないのかな。

 私が大学進学を考えたときに、まあ、状況的に行こうとは思いました。100パーセント大学進学する学校だったし、進学のため以外のことやってなかったし。でも教科で一番得意な国語系は全然頭になかったです。先生以外の道が考えられなかったし、教室で「この作家は死ぬほど嫌いだ」なんていえないもんね~ まず、「何が売れるか」を考えました。理系センスがいまいちだったので経済、それも会計のほうへ行きました。働くって、何より生きる為にまず稼がなきゃいけませんからねえ。いざとなったらの肉体労働も自信ない虚弱体質だったし。
 「社会で普通に働く」ことがフツーの人にとっても理屈つけないといけなくなったなんて、余裕ある良い世の中なのかなあ。

 この本は、斉藤さんの解説付の文庫版が絶対お得です。

「新鋭艦長 戦乱の海へ」パトリック・オブライエン著

2004年09月05日 | 
ジャック・オーブリーシリーズの第一作。

時代はイギリスがナポレオンと対立していたころ。
ついてないめぐりあわせで乗艦なくくすぶっていたイギリス海軍海尉オーブリーに、念願の艦長となる命令が下る。
腕の良い医者マチュリンと知り合い、船医に迎えたジャックは、通商路とイギリスの制海権の生面線ともいえる海賊のうようよいるジブラルタルーマルタ間の海へ乗り出す。

帆船大好きな人には苦もなく読めるだろうけれど、船の用語がどっさり出てきて「これはどこだ?」「何だ?」と、はじめのうちは用語図解とか参照しまくらないと読み進めないですが、3分の1くらい読んでしまうと慣れてきていつものペース。
時代考証には定評のある本で、時代背景、風俗、海軍の組織などどこも隅々まで知っているようでその部分でのよどみが感じられないのはすごい。

ホーンブロワーもボライソーもちょこっと読んだだけで、私が夢中になった船関連の本ときたら、漂流記とアーサー・ランサム全集だけ。あまり勇壮なのはないので、口幅ったいことは言えないが、この本で面白かったのは、船医のマチュリン先生の登場。
船に素人で、でも博物学者並みの博覧強記、好奇心やたら旺盛で、時々艦長と合奏もしちゃう先生のおかげで、読者は当時の情勢だの知識だのを、無理なく詰め込まれることになってる。その過去もなかなか意味深。この先生は性格的にはかなり近代人で、それでいて中世的萬屋ドクターの面影がある。
それに、ふとめで美男ではない、勘はいいけど脳みそもちょっとだけ筋肉っぽい、おおらかそうなオーブリーと、マチュリンのコンビが友情深めていくのが読んでいて気分がいい。
帆船や、肉弾戦好きにはこたえられない本でしょうか。

映画「マスター・アンド・コマンダー」も楽しみではあるんだけど、この本の読後感は昔どおりですっきりさわやか。本の印象だけから言うと、映画も明朗闊達なムードになるかと思ったのに、予告編何度も見たけどいささか深刻そうでした。さて本当はどうなのか、早くDVD届かないかな~

2004年09月03日 | 
怒涛のオリンピック漬けが終わって、今は本に浸かってます。

秋の気配が近づくとなぜか万葉集読んでます。
ここ数年は講談社文庫版で読むことが多いのですが、これはかなり見やすいし、万葉仮名表記もついているので全部参照するのは無理でも、どんな漢字使ってるのかちょっと気になったときにすぐわかります。

今回は巻11あたりを中心に読みました。
恋のレッスンには最適です。
万葉の歌には、「恋」を「孤悲」と表記してあるものもあります。
人を思うことの苦しい悲しい側面をずばりと表現してるみたいです。
漢字を使う国に生まれて、万葉集のような財産を持っていて、日本人の幸せですねえ。

吾ゆ後 生れむ人は 我が如く 恋する道に 会ひこすなゆめ
 (巻11 柿本人麻呂歌集より)

この歌は、血を吐くような思いを吐き出すというより、散々に苦しんだ後の消えない思いを抱えた人がちょっと自分をわらっているような雰囲気を感じます。

本屋のダイレクトメールの効用

2004年09月03日 | 
オンライン書店のダイレクトメールで、
「トンデモ男の世界」が来まして、
つい注文しちゃいました。

やっぱり増え続ける本に家族から白い目で見られてるし
お金も足りないし、
なるべく余計に買わないように気をつけようと思ってるのに。
ほかの皆さんは、こういうお勧めメールに
どれくらい「くらっと来てつい」という買い物してらっしゃるんでしょうか。

ジャック・オーブリー・シリーズも読みたくなって探したら
既に処分したことが発覚し、ついAMAZONで注文しちゃったし
古書店で横光利一の「日輪」見つけて即買ったし

この衝動買いなおりませんかね~~~!

夫が多すぎて

2004年09月01日 | 
サマセット・モーム著/海保眞夫訳
戯曲「夫が多すぎて」
ぴりぴりするコメディ戯曲。
わかりやすくて、意地悪で、皮肉がモロで、まあ面白い。
モームって女嫌いなのか、とはちょっと思ってしまいますが、
う~ん、男も女も、人間てしょうがないものですね。

夫が第1次大戦で戦死したと思って、夫の友人と再婚した美女。
ところが戦争が終わって、ドイツの捕虜になっていた夫が開放されて戻ってきたからさあ大変!

妻の幸せを思い、夫がひっそりと身を引く
「イーノク・アーデン」をひっくり返したような展開で
美人で完璧に天動説な性格の妻を押し付けあって2人の男が
自分こそイーノク・アーデンになろうとしてのやり取りはまさに抱腹絶倒。
それよりももっと上手を行くのが妻で
戦争のときは軍人と結婚するのがおしゃれだったけど
もう軍人の時代じゃないわっというわけで
いつの間にかロールスロイスをもった戦争成金を3人目の夫として確保してます。
結婚=ビジネスということでは映画「ディボース・ショウ」も思い出すけど、
この奥さんの「私は何もかも捧げてあなたの為に尽くしているのに…」の殺し文句ですべて思い通りにして行っちゃう、ある意味古典的な女性像を見事にブラックなハッピーエンドに仕立てちゃったところは、こっちのほうが面白かった。

ところで、私の周りの男性で「イーノク・アーデン」嫌いだ!
といってる人は多いのだが、モームはどうだったんでしょ?
嫌いな理由は2通りで、ひとつは「やりきれない」もうひとつは「甘ったるい」
私ははじめて読んだのは小学校のときだったけど、滂沱の涙で読んでました。

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そのほかの本
「記憶の作り方」私の好きな散文詩の詩集。
夏におでかけにもっていった
「黙された言葉」にも陶然としたが、
長田弘の詩は、人生の秘密
「人は何で生きるか」を照らしだすような気がする。

はやみねかおる「虹北恭助の新新冒険」
いよいよ益々恋愛満載になってます。
この巻では、映画狂の面々がでづっぱりで
鯉殺しでは鯉の名前は「スケキヨ・スケトモ・スケタケ…」と呟き
「人生に悩んだら公園のブランコで『ゴンドラの歌』を歌うんだ!」
と叫んでますが、この本の対象読者ってローティーンくらいかな。
モトネタわかるのかな?

小説 ハッシュ! 橋口亮輔著

2004年08月31日 | 
あの映画「ハッシュ!」の小説。

映画のちょっと不思議な雰囲気はあります。
ラストも違いますね。川原のシーン好きだったのですがこれもなし。
小説のほうが親切。
地の文があるだけ、説明的だし,主人公たちの必然がよくわかります。
著者は監督ですけど、絵が立ち上がってくるような文章は少なくて
さらさら読めちゃうような本。

でもわかる。
映画版と違ってフレーズが結構効いてきます。

「下腹にクッと力を入れて」
自分の明日をあきらめない、
世間知だので自分を鎧って本当の望みから
目をそらさないでいる勇気をもちたい。

日常に流されっぱなしの私には、結構効きました。
特にお義姉さんのピンバッチの描写なんか。

8月はやはり戦争を考えてしまう

2004年08月26日 | 
この夏、TVドラマ「さとうきび畑」を見て沖縄戦について初めて知ったという中学生に見せる為に、沖縄戦の記録の本でも写真が多く入ったものを借りてきた。
悪くないドラマだと思うものの、私ガ沖縄戦の記録を見て決定的に打ちのめされた部分が欠落していた。
沖縄戦の記録は米軍側のものしか残っていない。だから事実の半面しか見られないことはわかっていても、それらは十分衝撃的である。
兵士として駆り出された中学生たちの写真。
ほとんど今の小学4・5年にしか見えない子もいる。
それにみんな着ているものがドロドロ、ぼろぼろ、あるいはほとんど裸のようなひとたち。
集団自決・スパイ容疑で殺された人・日本軍に壕を追い出されて死んだ人。沖縄戦の慰霊碑はすべての戦没者を(加害者でもあった日本兵も含めて)祀っているが、その慰霊碑にも祀られる事を遺族が拒否している朝鮮半島から慰安婦として連れてこられた人がいると聞いた。
沖縄の悲劇は戦闘が終わっても、まだ続いた。特に女性に降りかかった。

「さとうきび畑」は、それで全部ではないことを忘れないで。

一緒に借りたのが、「敵国日本」ヒュー・バイアス著 刀水書房
太平洋戦争が始まったころ、日本をよく知るジャーナリストの日本を紹介し、分析したもの。日本に独裁者はいなかったということも、軍部の集団意思決定、とどのつまりは責任がどこにあるかよくわかんない体制まできっちり書いてあります。戦後天皇が戦争責任を問われなかったのも、これをアメリカ側でわかっていたから?アメリカについてここまできちんと分析してあった論文や本が、当時の日本に存在してたんでしょうか?なかったとしたら、負けるべくして負けたのか、と思います。

なぜ世界の半分が飢えるのか/スーザン・ジョージ著

2004年08月24日 | 
著者が人為的に発生すると断定する第3世界の飢えを、先進国の食料による世界の支配の構造を原因として「今できることは何か」を論じたもの。現状の分析だけでなく実際の運動の方法まで書かれている。
書かれたのが1970年代であるにもかかわらず、文中に指摘されているアグリビジネスによる利益追求のために、現地の人に必要な作物を作れないでいる世界の状況や、飢餓の原因として一般的に流布していることはちっとも変わっていない。
・天候異変
・貧しい人の無計画な多産
など。

日本でも、戦前、いや戦後十数年目くらいまでは、子どもが大人になるまで生きているということはけっこう大変なことでした。本を読んでいると、一週間前一緒に遊んでいた子がもう葬式なんてよくあることだったらしい。医療技術も今ほどあてにはできなかった。どうしたって数を作っておかないと安心できません。
それに、いざとなったら子ども売ってましたよね。(今でもないわけじゃないけど、今よりおおっぴらに)も~っとさかのぼれば間引きなんてのもありましたよね。それが今では、出生率下がって大騒ぎです。ある条件下では子どもの数なんて減るようになるという見本みたい。
でも子どもの数減ってってないとこは減ってないんですね。
因果関係は明白だと思いますが、なかなか根本にはメスは入りません。

アメリカによる他国の支配階級の構成メンバー取り込みとか、時々チョムスキーとか読んでるみたいな気にもさせられます。

きついことには、最後「あなたは何をしているのか?」で締めくくられます。

児童文学

2004年08月12日 | 
このところいわゆる児童文学の古典まとめて読んでます。
「チョコレート工場の秘密」読み始めたらとまらなくなっちゃったんです。
「チョコレート」の続編、「ガラスのエレベーター宇宙へ飛び出す」
それからピアス著「ハヤ号セイ川を行く」「トムは真夜中の庭で」カルヴィーノ著「魔法の庭」「まっぷたつの子爵」カニグズバーグ「クローディアの秘密」「魔女ジェニファと私」「僕と『ジョージ』」…なにせ家に在庫はいっぱいあるもので、切れないのです。
みんな、心のぼけてたところをゆすぶられ、たたき起こされるような刺激に満ちた本ばかりです。軽い依存症にもなりそう。

それはそうと、ロアルド・ダールの子ども向けの本は、おませな小学校中学年から高学年以上でないとブラックな部分をこなしきれないかもしれないけど、子どものうちに一度は読んでおかなきゃ人生の損だと思います。

人はなぜ「美しい」がわかるのか/橋本治著

2004年07月31日 | 
ちくま新書

315円DVDを求めて時間を費やしたので映画の数が減りました。
なんとなく本末転倒な感じはします。
おかげで電車移動中に読む本の数は増えたような気はする。

 橋本治のこの本は2度目になる。
 あるものを「美しい」と感じる感性も、すべて関係性で解説され、いわゆる豊かな感受性というものさえも、人との関係をいかに築いてゆけるかにかかるようだ。これって、昔「恋愛論」で同じようなことを感じたような気がする。

 まあ、それで思い出したのが「アンネの日記」狭い隠れ家の中で三家族が、安定剤を飲んで気分を抑えて暮らす極限状況で、彼女が偽物ではないかと疑われるまでの文章を残し、精神的成長を遂げたのは、日記を架空の相手への通信として、他者の目と存在を忘れないアンネ・フランクという少女の精神のありようと無関係ではないろう。
 そういうわけで今回はこの本で「自他」を考えてしまった。

仇討二十一話 /直木三十五著

2004年07月29日 | 
講談社文庫

まず仇討総論とも言うべき著者の総括・主なあだ討ちリストから始まって、「膨大な数の仇討作品群のなかから選び抜いた21編は、艱難辛苦の物語の陰の真実をも鮮やかに浮き彫りにする」(カバー解説)

 21話のはじめは鍵屋の辻。荒木又衛門。実録とか、山本周五郎的な人物裏話でもなく、検証するように、でも物語るように追って行く。ほとんどが講談・浄瑠璃・歌舞伎などでおなじみの話であり、それぞれの名場面を持っている。
 その話の人物でなく、受けるほうの願望でどのように変わって行ったかも注目するところながら、侍というものが生きていた時代の日本人の心性というものをはたして今理解できるのか?というような疑問はこの種の本を読むたびについてまわる。要するに自分の名を惜しむ、とか命をもって恥を雪ぐ、というような意識ですね。

 山本周五郎の「ひとごろし」でも、腕に覚えのある仇討されるほうは、遠くから「ひとごろし」と叫ぶ追っ手に対し、「卑怯未練」としか怒らない。ボキャブラリーの不足もあるだろうが、それだけの言葉があれば相手の武士としての非を責めるのに十分であったのだろうし、自身は卑怯未練なまねはしない、というタイプの侍なのだろう。明治以降の特に太平洋戦争後の意識変化は今とその時代への理解をかなり隔てているように思う。

子どもの十字軍/ブレヒト

2004年07月16日 | 
 15日の夜は「メッセージ・イン・ア・ボトル」見てましたが、ケヴィン・コスナーなんとなく苦手です。ポール・ニューマンは渋かったけど声がすっかり御歳らしくこれも渋くなっちゃったなあ、と「ハッド」とかの時代を思い出して映画から心がお留守になりました。

 ブレヒトの詩「子どもの十字軍」は、1941年に書かれた。
 実在の昔の子ども十字軍にも、キリスト教にも直接関係無しに、子どもだけで、ただ平和な地を目指してさまよう子どもたちの詩。マガジンハウス社から矢川澄子訳、山村昌明の銅版画入りの小さな本で出ている。1ページに一連四行が印刷され、どのページも、過去のことでも、子どもだけのことでもない、そのことを思わずにいられない。銅版画の色彩は本当にオリジナルなのかな、本物見てみたいとつい思っちゃうけど、きれいで繊細。特にあてのない道しるべの絵などは胸に刺さりそう。

頭上遥かな雲の中に
あらたな行列は引きもきらない。
寒風のさなか くたびれはてて
ふるさともなく あてどもなく。

もとめるは 安らぎのくに。
砲声もなく 銃火もなく
すてた土地とは別天地---
行列はかぎりなくふえてゆく。 (50~51ページ)

飛奴/泡坂妻夫著

2004年07月08日 | 
 夢裡庵先生捕物帳。
 江戸末期の町奉行所同心夢裡庵先生こと富士右衛門の捕物帳シリーズもとうとう江戸幕府瓦解、同心失業というところまで来てしまった。

 羊羹色の羽織を着たさえない同心だった富士が、エドの最後に彰義隊に加わり、幕府の役人というか、幕臣としての意地を通した上で命がけでサムライと訣別し、明治を迎えた。
 でも、ラストでは気風が良くて美人の岡引の娘に惚れられて、次の人生が用意されてる。ちょこっと、贅沢なお話。まあ、ハッピーエンドの気分のよさも大事です。

 この捕物帳シリーズ面白かったけど、これで幕引きだろうか。
 そういえば、村上元三の「加田三七」捕物帳シリーズは明治以後、加田が蕎麦屋の亭主になっっても、続いてたっけ。これはどうだろう。

最近読んでるミステリ

2004年07月06日 | 
 最近けっこう歯ごたえのある本を読んでいたので、合い間のミステリも面白くていっぱい読めました。
 量が増えたのは、映画減らしたのが一番の原因でしょうけど。
 ジェフ・アボットの図書館シリーズも今度まとめて読んでみて、なかなか泣かせるじゃありませんか!と得した気分だった。これは、母の看護のために都会の編集者としての成功を投げて、故郷の町で図書館長をしているジョーダンが探偵役で主人公。出生の秘密までおまけについてる。
 主婦探偵ジョーン・ジョフリーシリーズでおなじみのジル・チャーチルの「風の向くまま」は、大恐慌以後のアメリカの田舎町を舞台にした兄妹が主人公のミステリ。登場人物の設定はジョーン・シリーズのほうが好きだけど、これもシリーズで展開するようでなかなか楽しみ。
 アメリカのコージーミステリの書き手って、こういう小さな町の人間模様を皮肉を効かせたユーモアたっぷりに書くのがうまい。それに日常生活の苦労が適度に反映されていて、それも泣かせどころ。

 そういえば、「ファーゴ」を見たときに思い出したミステリの「ど田舎警察のミズ署長はN.Y帰りのベッピンさ。」(ジョーン・ヘス著)も田舎町のあれやこれやをシニカルに滑稽に書いていました。「ファーゴ」のセンスが好きな方には、お薦め。
 この話の被害者はブロンド美女なのだが「あの娘はね、ブロンドで、美人コンテストに優勝しそうな体の持ち主だったけど、あんがい頭は切れたし、ものすごく抜け目のないところがあって…」と形容されてます。「キューティー・ブロンド」じゃないけど、ブロンド美女って、やっぱりそういう目で見られてるんでしょうか。

サイダーハウスルール/アーヴィング著

2004年07月05日 | 
 ラッセ・ハルストレム監督の映画の原作。映画とは物語の印象がかなり違う。
 映画のほうでは、トビー・マグワイアの持つ生真面目で内省的なムードに乗っかってみていたなあ、と思った。あのバックに流れるきれいなピアノにも。
 映画のほうでばっさり切られていたエピソードで、印象をかなり変えた。私は映画のほうが、すっきりしてるなと思う。でもその分、ホーマーの恋の持つ意味が薄まっちゃったみたい。
斎藤美奈子さんの「妊娠小説」は日本の小説を対象としたものだったので、この本は取り上げられていなかったが、齋藤さんのまな板に乗ってしかるべきだったかもしれないです。