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虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

キャサリン・ヘプバーン、アシモフ、亡国のイージスなどなど

2005年01月28日 | 
 このところむちゃくちゃ忙しい。
 土曜渡しの物件があって、期日に間に合わせるためには私も労働・打ち合わせ・催促・連絡待ちでやたら駆けずり回っている。おとといは1日中一人っきりでワックス掛けしてたし、本日は朝7時半からかぎ調整の立会い。一人で仕事してる独立自営の職人さんが多いので、時間の合い間をみて来てくれてるから、こちらの時間はどうしても細切れになるのは仕方がない。腕を持ってる人が優先。
 だから、シネコンの1月中の平日無料鑑賞券があと2枚あるのに行けない!なんとか行きたい!

 キャサリン・ヘプバーンの「アフリカの女王と私」を読んだ。あの映画制作後35年もたってから回想してかかれたものだが、年月を感じさせないほど描写が、細部にわたり、活き活きしている。彼女にとっても、ものすごく印象的なお仕事だったのだな、と思わされる。
 人物の描写、特にボギーは本当に彼の人となりが立ち上がってくるよう。
 
 私の知るかぎり、ボギーほど大きな男はそういない。道の真ん中を、まっすぐに歩いてくる人だった。
「かもしれない(メイビー)」とはいわなかった。口をひらけば「イエス」か「ノー」のどちらかだった。
 ボギーは酒が好きだった。酒を飲んだ。
 ボギーは船に乗るのが好きだった。船に乗った。
 ボギーは役者だった。役者であることに満足し、誇りを持っていた。
 「元気?だいじょうぶ?」私にはいつもそう声をかけてくれた。
 なにかと面倒も見てくれた。「要るものはない?」と訊いてくれるのだ。
 一言でまとめよう。ボギーにはごまかしがなかった。本当に男らしい男だった。(文春文庫版/19ページ)


 キャ~~~! 素敵!文章も素敵!

 アイザック・アシモフの「象牙の塔の殺人」1958年のミステリ。これは、大学の化学の助教授が探偵役で被害者がドクター課程の学生。アシモフのお手のものの世界。ほとんど学内だけの話なので、研究内容とか細部を今風にアレンジしたら、そのまま新作と言っても通用しそうな感じ。古風がよいミステリもあるけど、これは人間をそのまま使えそう。特に刑事さんなんか、コロンボ風で、もしかしてこの本にインスパイアされたのかと思うほど。
 ただ、今なら消しゴムの痕でひらめくのは無理でしょう。

 映画になりますということで今さら「亡国のイージス」読んでました。う~ん、忙しいこともあって、冒険小説らしい一気読みが出来なかったので、感想が違ってきてるかもなのだが、これは爽快感が残るっていう小説ではないのですね。ラストで思わず、「これでいいのかな~」と思ったりして。また時間のある時に、要一気読みです。

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双子の騎士(手塚治虫著/講談社漫画文庫)

2005年01月25日 | 
「リボンの騎士」のサファイヤの双子の子どもたちの冒険。1958年「なかよし」連載のもの。
 続編があることは知っていたものの、今まで読んでいませんでした。
 ちょっとびっくりしました。全体にお話のトーンが暗め。
 サファイヤとフランツが結婚し、男女の双子デイジー王子とビオレッタ姫が生まれたが、世継ぎ問題でもめて男の子がさらわれてしまう。そのため女の子が一日交代で男女2人分を演じる。さらわれた子どもは森で魔法で夜の間だけ人間にしてもらった小鹿のバビに育てられる。
 そして波乱万丈の末、双子が再会し、ワルモノの陰謀で殺されそうになった父と母を助けすべて丸く収まる。

 う~ん、「リボンの騎士」が宝塚風でサファイヤもりりしさにあふれてたのに、この主人公たちはちょっと華やかさがたりない。2世はどうしても小粒になるのか、それとも2人になってしまったせいか?ビオレッタ姫に関わる王子様も姫を憎む悪い王子は活躍できるのに、好きになるよい王子はじっと身を潜めるばっかり。ビオレッタ王女は「王子と王女の2役やって、おまけに陰謀も暴いて、恋人の王子様まで助けて」でやたら忙しい。王子はなんとなく活躍少ない。少女雑誌の宿命だろうか。
 でも男がかっこよくないので、最後の幸福感が薄いような気もする。
 それにしてもフランツ王が頼りない。大恋愛の末がこれかよ、なんてことも頭を掠める。それに実力のある奥様のサファイヤは遠慮がちだし。

 この本の解説で中島梓氏が
「時は流れ、物語は終わるが、それは『次の物語が始まるため』なのだ!」
という提示がなされた、と書いています。でも世代は変わり、主人公は移る… 「ザンス」シリーズなんかはその典型で世代は移り、成長物語は続いています。そういうものはそれで良いけど、でも傑作で、思い入れのある主人公では「二人はいつまでも幸せに暮らしました」の後は考えたくない。「秘密の花園」のアメリカのTVムービーで主人公3人の大人になった後まで付け足していて、それまでいい気持ちだったのが、ムカムカしてしまった。
 お話の終了で時を止めなくてはいけないものも絶対ある! 「その後」なんてのは美しい霧の彼方で良いのだ。

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下妻物語(嶽本野ばら著*小学館文庫)

2005年01月22日 | 
 映画を見て、読んでみようと思った。そして、今まで嶽本野ばらを読んでいなくて、損をしていたと思った。
 おかしい。下妻という田舎で思いっきり浮きまくりのロリータやってる桃子の一人語りの、現実に背中向けちゃった部分と、実にシビアに現実を見る部分のよじれたギャグのおかしさは映画以上。レトロで良い子のヤンキーをやっているイチゴのアッパラパーな突き抜け感も笑える。
 思いっきり笑えるが、泣けた。 

 桃子はテキヤ、バッタ屋の父と、不倫で家出の母を持つ堂々たる欠損家庭の娘であり、現実認識の鋭さは人並み以上。余計な甘えを持たない、人に期待しない彼女はどうしたって孤独。イチゴはクラス中から馬鹿にされる惨めな孤独の中にいた。
 しかし彼女たちは、卑屈に集団に擦り寄ることで孤独から逃れようとはせず、また世の中に対してすねることもせず、自分たちの美学を貫いて敢えて孤独に生きることを選ぶ。その美学がロココの世界であり、イチゴの「主義」なのである。それは世間的価値観からすれば、いかにスットンキョウであろうと、眉をひそめられようと、二人は自分たちの筋を通して生きようとしている。
 見た目は違えど、二人はお互いを知る者なのだ…だから反発もするし、惹かれあいもする。そして馴れ合いからは生まれない孤独を知る者同士の友情は、ここにこそ育むことができるのだ!

 心あらば、この乙女らの雄々しさに泣け!

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電車男

2005年01月18日 | 
秋葉系オタな青年が電車の中で、若い~中年までの美女に絡んでいる酔っ払いに勇気を出してやめさせようとしたことから、2チャンという評判の良くない掲示板の面々に相談しつつ励まされつつ、自己改造に励み、その美女と恋愛関係になるまでのサクセス・ストーリー。

昨日の夜、ついに読みました。
昨年暮れ、横浜ポルタ地下街の福引でお買い物券が当たったので、その時に買ったのに、私が読む前に高校生と、その友人の間を巡ってやっと手元に帰ってきました。

笑いました。
高校生みたいに、「おお、感動」とまでは行かなかったですが、
「おれ、一生童貞独身だと思っていた」
彼が、素敵な彼女を獲得するまで、盛り上がっていた2チャンの板のみんなの激励には、ほんとに新しいコミュニケーションを見るように感じました。見ず知らずの青年を、あるいはそうだからこそ、精一杯応援してるんですね。

でも、一面で驚き。
私は、学校オール共学で、高校にいたっては全校で女子3割という構成。それで、個人的に口を利きにくいと言う人は居たけれど、男性だからという理由だけで口を利くのもドキドキしてしまう経験はほぼ無い。家庭内には小学校で男の子と殴り合いをしていたのとか、男子の友人のほうが多いくらいのとか、高校のスポーツテストで腹筋で男子押さえてクラス1位とかの女がごろごろ。
たった一人の男きょうだいは、あまり女に近づきたく無い様だ。もちろん、女性に対する幻想とか憧れはほとんど消し飛んでると思う。
したがって、今のご時世で、これほどかわいいというか、女性の前でガチンガチンになる男の子が棲息しているとは、それも結構たくさん!というのは驚きだった。
最後に、彼女に生ログ見せちゃうというのは、私は見せないでね~と思うのだが、まあ人それぞれ。2チャンだから、もっとひどいところはあったでしょうけど、そこは適度にソフィスティケート。
確かにその気と勇気があれば、人は変われる!という現代のほんとに幸福なストーリー。

でもね、これ読んでその気になってスキーキャンプで告白した高校1年は、見事に振られたって。それを周りに触れ回ってる悪趣味で友達甲斐の無いのが、電車男を貸したうちの高校生。

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正しい保健体育 (みうらじゅん著/理論社)

2005年01月14日 | 
 理論者のヤングアダルト向け新書「よりみちパン!セ」の一月新刊。

「もともと男子は、金玉に支配されるようにできています。」
「本当は「やりてーぜ」「入れてーぜ」の二大テーゼがあれば人間の男は事足りるはずですが、そういう「本当のこと」だけを言わないために、義務教育を受けるものなのです」(8ページ)
とまあ、刺激的というか、ある意味期待通りの書き出しですが、内容は真面目に性と生を語るものです。人間の本業はエロなことを考えることであって、義務教育のみならず、それ以外のすべての知識は、社会生活がそれだけでは事足りない人間に金玉支配からの脱出を意味するものだ…本当ですね。

 書き方は結構おちゃらかしな感じはするけれど、妄想の飼いならし方、自分の自分自身での育て方、大切な人を持つ意味、親がしなくてはならないこと(子どもに限界設定くらいできなくては駄目だな)まで、まっとうにすがすがしいほどストレートに語るものでした。絵や図のセンスも効果も抜群。

私がはまったのはこれ。
「女子だけが体育館に集められて映画を見ていました。あれは一体何を見ていたのでしょう?」
「だいたいゴダールの映画ですね。ジャン・リュック・ゴダールか、ミケランジェロ・アントニオーニがほとんどです。だから女子は映画を見た後「子供だましよね」「なんか都合いい話」という言い方をし、「男ってこんな子供だましなのが好きなのね」と呆れているのです。」(83ページより要約)
 ぎゃははは。
 私、学校休むことが多くて家でイーストウッドとかフェリー二、アルドリッチ見てました。そうか、ゴダールだったのか。

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ライナー・チムニクに会いに

2005年01月10日 | 
 図書館へ行ってきた。「熊とにんげん」を借りた。
 チムニクは「クレーン男」や「セーヌの釣り人ヨナス」は復刊されたが、やっぱり図書館へ行かないとどうしても読めない本もある。だから定期的に借り出して、そして
「なくなるんじゃないぞ、盗られるんじゃないぞ、処分されるんじゃないぞ」
と念をかけてこなくてはならない。
 チムニクはポーランドの作家・画家で、その絵は黒の線画が基調で、ちょっと古い漫画的な書き込みを思わせるような絵。デフォルメと省略の効いた構図が印象的。そして物語は絵と共に独特の詩的な雰囲気があります。波長が合ってしまったら、もう忘れられないタイプの作家。
 児童書のコーナーにあることが多いので、興味のある方は、そちらも見てくださいね。

 それから、「未来のイヴ」をとても楽しく読んでいた。「女どうしは本質的に競争相手なので友情は成立しない」って、キルケゴール、ロマン・ロランばかりか、リラダン伯爵あなたもですか!
 それに触発されて、これから買う本のチェックの為にいわゆるL文学関連を当たってきた。
 (今更ですが、L文学とは書き手読み手共に、主に女性で「女流文学」というより女の子的感性に合うもの)
 私は恩田陸より姫野カオルコ買いたい。この意地の悪さは酒井順子の上を行き、かなり猛々しさもある文章、好きだわ。
 嶽本野ばらは「下妻物語」原作と、「ミシン」「鱗姫」くらいは押さえておかないといけませんね~ 今までゴスロリ雑誌でしかお目にかかってなくて、本を読んでいなくてほんとに済まなかった、と思っております。

 もうこうなったら、勢いつけてハーレクイン・ロマンス系まで行っちゃろか、と思うのも、「下妻」の影響なのでした。もしかしたら拾いものがあるかもしれない。

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子どものための文化史

2005年01月07日 | 
ヴァルター・ベンヤミン著 小寺昭次郎 野村修訳 /晶文社

 ベンヤミンの名前で読んだ本だが、ヨーロッパの文化の民族的、風俗的な歴史の解説書になっていてかなりお役立ちな本だと思った。
 ベンヤミンが1930年代にドイツの子どもに向けて、ラジオで後援したものの原稿が発見され、まとめられたもの。ソ連軍に接収された文書の中から発見されたもの。こういうのを聞くと、あの亡命途中で消えてしまった黒かばんも、本当にどこかからでてこないだろうかと思ってしまう。

 タイトルは「魔女裁判」「ファウスト博士」「詐欺師カリオストロ」「カスパー・ハウザー」など。例えば少し前までの日本人が忠臣蔵の登場人物をまるで自分の知人のように感じていたであろう、そんな感覚をヨーロッパの人たちがの暮らしの中で持つ対象について、ベンヤミン流に解説していて、私にも、その言葉からどんなイメージの人物像が浮かんでくるのかが薄ぼんやりとでも浮かび上がるようだ。
 
 文化史関係書ではなく、正月に読んだミステリの中でC・C・ベニスン「サンドリンガム館の死体」でちょっと今の日本の皇室論議を思った。この本では、小間使いジェーンとともに、エリザベス2世、現役の女王陛下が探偵役で、王室のメンバーについてもかなり遠慮のない書き方をしている。
 女性天皇を認めようのどうのと言う議論が盛んであるが、今まで未亡人・未婚の女帝ばかりだったですよね。雅子様のように聡明な方があれほどご苦労しているのを思うにつけ、少し皇室と社会の雰囲気を変えていかないと、日本でフィリップ殿下をやるのは相当難しそうだと思った。
 
昨日は寒かったです。もう外歩いてて芯から冷えました。冷えると疲れますね。お風呂入って、10時にもならないうちに寝てしまいました。今日は「スパニッシュアパートメント」見てしまいたいな。

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夜のパパ(マリア・グリーペ著/偕成社)

2005年01月05日 | 
大久保貞子訳

夜勤看護婦のママは、自分の留守に一人で過ごす娘が心配で、夜の留守番を募集する広告を出す。

仕事をしながら眠れます!

そして石についての本を書いている男の人が、ふくろうと一緒にやって来た。

 スウェーデンのジュニア向けの小説。読んだのは1980年出版のもの。人間の成長に必要な人とのかかわり、子どもと大人の付き合い方、微妙なずれに、思わずかつて自分の知っていた感情を探り当てられたような気持ちになる。
 これは一章ごとに主人公の少女と子守役の「夜のパパ」が書いたものが交代に配置され、それもお互いにお互いのものは読まないという約束になっている。
 「夜のパパ」と少女の出会いは、ママの出した「子守求む」の求人広告だけれど、2人の関係は監督者と子どもではなくなっている。そういう存在を警戒した少女は初めは接触を持たないようにする方法を考えますが、彼を見て、話をして、2人の間の自分の名前をつけてくれるように頼みます。彼が選んだ名がユリア。そして、父親を持たなかったユリアは「夜のパパ」を獲得します。

 ユリアのおませさんが微笑ましい。大人に対するときはかなり大人びて鋭いのだけれど、子供同士の間ではかなり辛い思いをしていて、いかにも子どもらしく、対大人より幼く見える。シングルマザー家庭で最初から父親がいないことが、彼女を成長させてもいるし、やはり不足がある状況も読み取れる。20年以上前の小説だけれど、スウェーデンもシングルマザーが偏見なしで生きられるわけではない世界のよう。だからといって、父親がいないのが不幸ってことではないですが。誰しも、それぞれの状況の中で育っていきます。
 彼も一般的な「パパっていうのはうるさい人種で、いろんなことを自分で決めたがる」のではない。メインストリートを行くよりちょっと外れたところにいるような、そして自分の子ども時代をまだしっかりと持っているような人。ふくろうと話ができる人。
 ユリアも自分で自分をしつける、という少女。でもその時に夜のパパに言う。

「あたしが自分にノーといったからって、ほかの人までノーという必要はないの。たとえ、すきな人でもね。だから、あなたもずっとあたしをあまやかしていいのよ。ほんとはあたし、そうしてもらいたいの。あなたのかわりにあたしが自分にきびしくするから、あなたはきびしくしなくていいのよ。わかった?」(158ページ)

 切ない。甘やかして、と言えるのはそれを裏切られない信頼が築かれてなくては言えない。そしてそういう関係を持てるようにするのは大人の責務なのだろう。(本当は子どもでなくても、言える人が欲しい言葉)

 一番心に引っかかってしまったのは、パパの罪悪感と犠牲のエピソード。「犠牲」と言う言葉で捉えていなくても、自分の精一杯の行動がまったく省みられなかった痛みは誰しもあるのではないだろうか。

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やおい幻論〔やおい〕から見えたもの(榊原史保美著/夏目書房)

2005年01月04日 | 
 いわゆるやおい・ボーイズラブは苦手なのでほとんどパスしています。でも知り合いの女子中高生でやおい愛読者・コミケ常連さんたちはかなりいます。だからたまに覗かせてもらうけどやっぱりちょっと見ては「きゃあ」でおしまい。最近のものはまともに読んだことがほとんどありません。男性同性愛のものの嚆矢といえるんじゃないかと思う、そして私がまともに読んでいる竹宮恵子、中島梓氏は、彼女たちの作品は今のやおい物とはまったく質の違うものだとおっしゃっています。

 やおい本はちょっと覗くと〔刺激〕ばっかり!という感じがしないでもありませんし、「やおい」という言葉になんとなく後ろめたいような、怪しいような、いけないことである感じは付きまといます。

 この本は、男性同性愛小説の早いうちからの書き手である著者が、それを書かなければならない、書く必然性を持つ人間の立場からの考察と発言。文章硬いし、難しくて、読み進むのはちょっと苦労。好奇心と偏見の目で捉えられる主題だけに、あえて、こういうカタイ文体にしたのでしょうけれど。
 この本によれば、ヘテロセクシュアル(いわゆる普通の異性嗜好)、ホモセクシュアル(同姓嗜好)などと並んで、トランスセクシュアルというややこしいものがあって、それはたまたま女性の身体を持ってしまったけれど男性としての自己意識を持ち(最近認知された性同一性障害というのですね)、それでいて男性が好き、というもの。そういうことになると、じぶんの女性としての身体で男性同士の関係に入っていくことは許せない。したがって、必要なものとして男性同性愛の小説類で昇華していくことになる…でいいのかな?

 私の今までの「やおい」の捉え方というのは個人のセクシャリティに根のある問題というより、世界に対する違和感のあぶりだし方のひとつの方法というものだったので、これはちょっと驚きだった。
 異性関係というのは、どんな関係であれ、男女間の縦=上下関係を伴わずにはいられない。それを排したところで成立し、しかも世間の基準にずれた恋愛関係は、人間誰もが抱えている世界への違和感、その中で人との結びつき、理解し合える関係を求める心を際立たせるための手段かしらんと考えていた。だからこそ、女の子が群がるのか、と。

 自分の足元を見てみれば、同性愛というのは、おのれに直接かかわらなければ理解と許容を示せる現象である。
 例えば「プリシラ」を見てゲイである彼らの悩みに共感し、苦しくてもそうあることが彼らの自然であるということはわかる。だけど、自分の兄弟がそうなったらほんとにショックだろうなあ。それを受け入れるのにむちゃくちゃ時間とたくさんの葛藤を経過しないと無理。それでこの本もぜんぜん身に迫ったものでなくて、結局、別の世界の風俗を見る眼でしか読めなかったようだ。

 でも、こういう切実な「やおい以前のやおい」と、女の子が出ないポルノグラフィー的な読み方してる「ヨミセン」(コミケ用語らしい)の子達とは別だと思う。こちらはこちらで、別個に考察が必要でしょう。

 実は正月に、いきなり「やおい」からもちょっと気がひけるので橋本治から書き始めたのでした。あとはル=グィンの名作「ゲド戦記」全5巻をなんとか自分的に納得してしまいたかったので通読してたけど、結局先送りになりました。ル=グィンといえば、考えてみると「闇の左手」もちょっとそれっぽいとこはあるかも~

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上司は思いつきでものを言う(橋本治著/集英社新書)

2005年01月04日 | 
 この本も昨年のベストセラーの中に入っているので、きっと感想・書評いっぱいあるんだろうとは思いながら、BK1の書評すら読まなかった。橋本治に関しては、他の方のご意見を参考にしようとしても無駄って感じいたします。これもハニワ製作会社とかとんでもない設定をしているけど一つ一つの例はわかりやすく、でも本全体のイメージがやっぱり茫漠で、自分でまとめないと入ったものがカケラを残して雲散しかねないありゃりゃと言う本でした。いつもですけど。買ってから半年、感想もほって置いたのはもちろん書きにくかったからです。
 わたくしが読んだのは、上司の発言が権威を持つのは、一つには日本社会に根がらみぎっちりと絡み付いてる儒教道徳が能力と地位をリンクさせて認めさせてしまう。そして「昔の現場」を知っていた人間が「今の現場」の現状を知るより、そこに口を出さねばいかんと思っている。ピラミッド上の組織の上からも下からも風通しが良くなければ、現状に対応できるシステムではありえないのに、いつの間にか上部の組織維持が上司たちの現場と化している。

 まあ、組織ってものは自己増殖が目的化するものだしね。組織外のものには冷たいし。現場だって組織論理に安住しちゃうとこあるしね。

 結局、この本は思いつきでとんでもないことを言う上司やトップダウン以外に何もしなくていい官への対策としては「呆れろ」以外に何も提示してはいない。それから先は自分自身で考えなければいけないのだ。ただ、「わけのわかんないことを無理やり理解しようとせず、呆れてもいい」「上下関係を冷静に乗り越えてもいい」という方向を示してくれることは、結構画期的なんでしょうか?

 そして、今までの組織とか仕事の目的の前提を(世界的にも)変えてしまえ、って言っちゃってる。さらっと。

 変わらなきゃいけないんだけどね、でもどう変えるか、やっぱり自分の頭で考えるのはあたしも含めて大多数は苦手だろうね。誰かにプラン出してもらってああだこうだ言ってるのが楽だしね。ほんとにそこから先は容易ではない。だからこそ、指導力のあるリーダーとかに夢を持ってしまうのだろう。

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80日間世界一周(ジュール・ヴェルヌ著/岩波文庫)

2004年12月18日 | 
 1972年、ロンドンのクラブでカードゲームをしていた紳士フォッグ氏は、80日間で世界一周できるかどうか賭けをし、それを実証する為に、雇い入れたばかりの召使・フランス人のパスパルトゥーとともに旅にでる。

 これを読むのは実に小学校以来で、しかしヴェルヌって本当にストーリーテリングの天才!もっともっとヴェルヌの小説が読みたくなってしまった。
 登場人物のキャラクターがまた魅力的。フォッグ氏はロンドン紳士で、しかもその中でも一風変り種。自分の日常のスケジュールを厳守し、髭剃り用の湯温を間違えただけで召使を首にする。芸人から消防士から経験してきたパスパルトゥーは穏やかで平穏な日常を望んでフォッグ氏のところへ来たというのに、哀れにも世界一周のお供。
 この、いかなる事態にも動じずに、いかにも紳士然とした冷静さで突き進んでいくフォッグ氏と、気のいい力持ちで何でも屋のパスパルトゥーのコンビがたまらなく絶品。
 フォッグ氏の人物像は変わり者であっても基本的にとっても「ヒーロー」である。彼はとっつきにくく、計算高く、行く手を阻むものを惜しみなく金をばら撒いて次々打開し、目的のためには他のものを切り捨てる集中力がある…が、人間として「行かねばならぬ」時、インドで夫の死体とともに焼かれそうになるアウダ夫人救出や、アメリカで行方不明になったパスパルトゥーを助けるという場面では躊躇なく旅の成功を危うくするような決断ができる。
 フォッグ氏を強盗と思い込んでつけまわして、一緒に世界一周してしまうフィックス刑事。この刑事の邪魔したり助けたりもドキドキはらはら。そして最後に一発逆転まで納めてハッピーエンド。読み出したら止まらない。

80日間の予定内訳は次の通り。

ロンドン-スエズ 鉄道および客船 7日
スエズーボンベイ 客船 13日
ボンベイ-カルカッタ 鉄道 3日
カルカッタ-香港 客船 13日
香港-横浜 客船 6日
横浜-サンフランシスコ 22日
サンフランシスコ-ニューヨーク 鉄道 7日
ニューヨーク-ロンドン 客船および鉄道 9日
(1956年版の映画はかなり忠実だけれど、本では気球は出てこないし、スペインにも寄らない。でも映画のフラメンコは素晴らしかった。それにアメリカ大陸横断の一部は寒さの中を橇で進む)

 このスケジュールに沿って、フォッグ氏は何日得した損したを記録しつつ、障害は金の力で突破する。全世界に大英帝国が君臨した時代だなあ、ヴェルヌもイギリス人を主役にせざるを得なかっただろう、と思う。
 このように事細かな計算を積み上げてきた小説の終わり方がまた粋。フォッグ氏がこの旅で得たものが、男の人生を最大に幸福にする一人の女人であった…と、この勘定で締めるのかと思うと、最後にとどめの一文。
 
 そもそも人は、得られるものがもっと少なかったとしても、世界一周の旅に出かけるのではなかろうか。(454ページ)

うまい!完璧!
 
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「討て!ヤンキー私掠船」 ケネス・ロバーツ著

2004年12月13日 | 
 ジャック・オーブリーの時代のお話。「マスター・アンド・コマンダー」が思いのほかぐっと来たので、古本屋めぐりなんかでも海洋冒険小説が目に付くようになってる。やはりメジャーどころで、ホーンブロワー、ボライソーはよく目につくが、この間見つけたのが

「討て!ヤンキー私掠船」ケネス・ロバーツ著

という本。主人公がヤンキーで討たれるのがイギリス船。タイトルで思ったのと逆だった。
 三崎書房の航シリーズというのの一冊だが、これも不思議なシリーズみたい。この本も連作のひとつらしいのに、このシリーズの中にはこれだけしか入ってない。全部で5~6冊あるらしいが、それぞれ作者も違うし、中には「戦艦バウンティ号の反乱」の後日談なんてのも入っているらしい。新刊では入手できないようだし、シリーズ全部探すとなったらすごく大変そう。
 この本のストーリーが始まるのは1812年のイギリス・アメリカ開戦直後から。「マスター・アンド・コマンダー」でそうだったように、どこの国の海軍も別の国の船と闘っては分捕ってたありさまが克明に描かれ、それにまたイギリス海軍がアメリカの船乗りを徴用したり、いや大変な世界だったんですね。絵に描いたように好青年でマッチョな主人公は分捕られたり、奴隷状態になったりを次々に乗り越え、船と恋人を手に入れます。主人公の素直じゃない恋人も、捕虜になるわ、女船長になるわの大活躍。その彼女が、ラストの主人公の「俺が間違ってた」の一言で誇り高い美女が瞬時に従順な娘になってしまう。この豹変状態がよく理解できない。1930年代に書かれた本だが、男が女を見くびってるのは実によくわかる。
 この間アメリカ史をずっと読んでいて、レディ・ファーストの国というけど、アメリカ女性の地位ってむちゃくちゃ低いなと思ったが、今の感覚だと、「俺が間違ってた」の一言くらいで、「いいえ間違ってたのは私、あなたは全部正しかった」なんて絶対口に出来ない。とんでもない話だ。

前田建設ファンタジー営業部

2004年12月06日 | 
前田建設工業株式会社著/幻冬舎

前田建設のWEBSITE内の
前田建設ファンタジー営業部
が本にまとめられたもの。
マジンガーZの格納庫を今の建設技術で実際に作ってみるとこうなります、の企画から見積もりが出来上がるまで。

 この本はWEBのほうも知らず、タイトルと惹句だけで買ったので、読む前は漠然と「ウルトラマン研究序説」(アマゾン)みたいなものかな?と思っていた。読んでみたら、それとはまったく違って、ゼネコンのお仕事はこんな風にやってるんですよ、のガイドブックでありました。
「マジンガーZの格納庫」というネタを漫画から引っ張ってきて、もしそれを実際に作ってみるとしたら何が必要でどうやって作るか検討し、見積もりを出すまでの過程を通常の仕事と同じように進めていきます。まっとうに企業のお仕事案内です。しかも面白い。

 実際の手順に沿っているので、架空とはいえ、打ち合わせなども普通にお仕事口調で
 「いろいろご意見などいただきつつ考えていきたいのですが」
 「こちらとしても極力正確に検討してみましたが、難しい点はいろいろありますので、そのあたりはご承知おきください。」(144ページ)
みたいな感じで、粛々と進みます。その中に「超合金Z」を素材に使えないかとか、マジンガー自体を建設機械に使えないだろうか、なんていうのが「それでは、見積もりは通常の鋼製でさせていただきます。」式にごく真面目に入ってきて、そこはかとなきおかしみや爆笑を誘います。
 
 私は家に積んである「建築雑誌」「土と基礎」なんて学会誌を面白そうなとこだけ拾って読んでいたり、工学修士の論文清書とかやったことがあるので、法面掘削(のりめんくっさく)とか、山留め、アンカーボルトなどの言葉には少しはなじみがあったものの、しょせんは門外漢なのだが、その私にも、あれこれ専門家(実務の現役バリバリさん!)が繰り出してくるプランがゾクゾクするように面白かった。この本は「物理や化学、理科を学校で勉強して何の役に立つの?」という問いへのひとつの回答になると思います。
 私たちは普段意識して見ていないけれど、そういう知識の上で形作られた今の生活を送ってるってことをちょっと気づかせてくれます。

余談…私のマジンガーZとのお付き合いはスパロボシリーズしかなくて、装甲が丈夫なので前衛配置でブレストファイヤーしか使えないわ、みたいな扱いでしたが、今度やるときにはもうちょっと大事にしそうな気もします。
 また、WEBのほうでは、第2プロジェクト銀河鉄道999がもうエピローグまで進んでいます。私は本のほうが断然読みやすかったです。

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戦場のピアニスト(ウワディスワフ・シュピルマン著/春秋社)

2004年12月04日 | 
 今更なのだが、「戦場のピアニスト」原作のほうを読んだ。
 この20世紀の悲劇の重みには、どうにもすぐには処理しかねるものを抱えさせられてしまう。
 映画を見た直後には、それについて、どうこうとはとても書けなくて、やはりワルシャワ出身の作家のシンガーの本について書いたりしてました。(よろこびの日
 映画のほうは、レンタル含めて5~6回見ているのだけれど、この本は映画と感じるものが微妙に違う。
 シュピルマン自身の手になるこの本では「復讐・裁きの要求」が感じられない。ただただすさまじい現実が、淡々と記され、そのまま読まされてしまうが、映画を見てからだとその場面がフラッシュバックしてその悲惨を(とても追体験できるようなものではないが)突きつけられる気分。あのダンスのシーン…映画では時間をそれほどとれないが、どれほど長時間やらされたか。キャラメルのシーン…片隅の死体置き場…時々吐きそうになった。
 原作と映画で印象が違ったのは、ドイツ軍のホーゼンフェルト大尉。大尉の日記も本に入っているが、「良心的なドイツ人」が、いかにナチスを嫌悪してもその波に呑まれ、結局代償を払わされることになったかの記録であり、読んでいて痛ましく苦しい。しかし、日本でも戦後巣鴨で絞首刑にされたなかにも、こういう人たちはどれほどいただろう。

 以前、息子のクリストファー・スピルマン氏の書いた「シュピルマンの時計」を読んだときには戦後のこの本をめぐる共産主義下の社会でのドタバタも記されていた。この本を映画化するに当って、主人公は労働者でなくてはまずい、とか。この凄まじい悲劇さえ、ずれたイデオロギーの餌食になるのだ。

 本の中で登場しては去っていく人々の様々に、結局人間自分の行動を選ぶのは自分なんだ、と思わずにいられない。ヤヌシュ・コルチャックの姿はこの本でも美しい。シュピルマンの逃亡を助けた人、告発した人、戦った人、強いものに擦り寄った人、ひとりでは出来ないことをナチスの名の影でやってしまった人…

 ひどい生活の中で、最後まで自分自身の思考を守り続けたシュピルマンにも感動した。ホーゼンフェルト大尉に自分の名前を告げるところでは、彼が生死のぎりぎりのところでも、状況を把握し、個人対個人としてドイツの将校に相対している。あのピアノのシーンより、本ではこちらのほうが印象に残った。

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英語でよむ万葉集(リービ秀雄/岩波新書)

2004年12月03日 | 
 英語を母国語として、日本語と中国語にも造詣の深いリービ秀雄氏の万葉集の英訳に、その歌についての彼の鑑賞と、どう訳していったか(これがつまりは鑑賞なのだが)がついたもの。
 新書版で、最初は持ち歩いていたのだが、どうしても読むときに声を出して読んでしまうので、家以外では読めない本だった。これからは書き写しながら、またじっくり味わいたい。
 著者の言葉についての深い知識と鋭いセンスに感心するばかりで、特に、人麻呂についての「メジャーな表現者」という言葉には、これ、わたしが捜してた言葉だなあ、と深々ため息。奇をてらわず、難解でなく、しかも新鮮で本質を穿つ。傑作はみんなそういうもの。
 枕詞の訳も「なるほど」と思うばかりだし、読んでいくと、たとえば富士の歌に入ってくる"lofty"という単語は富士とセットに感じられて、それこそ、英語における枕詞のようだ。叙景詩のイメージの広がり方は英語に訳すことで改めてその大きさに感嘆するし、大伴旅人の、それぞれが一幅の絵のような歌が英語でまさしく絵のように浮かびあがって来る。詞書の訳にもいちいち納得と発見がある。
 英語の単語の持つイメージともとの歌のイメージの呼応は、よく知っていて、好きな歌では、期待を裏切られることがないのでとても嬉しい。
 
あをによし 奈良の京は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
The capital at Nara,
beautiful in green earth,
flourishes now
like the luster
of the flowers in bloom.

"flourishes"の語感が素敵。これで、生い出ずる緑と咲き誇る花と、華やかな都の空気と季節の勢いまで輝いているよう!(後は瓦の輝きだけかな?)
 大友家持の「眉引」の歌もあって嬉しい。

 万葉集の素晴らしさ、日本語の豊かさをを再確認させてくれるとても読んで幸せになれる本。でもこの本でやはり万葉集を母国語として読める私自身の幸せを一番に感じてしまった。Lost in translationですね。リズムまではやはり移しきれないし、

川かみの根白高萱(たかがや)。あやにあやに さ寝さ寝てこそ、言に出にしか 
垣(くへ)越しに麦食む子馬の はつはつに逢い見し子らし、あやに愛(かな)しも
多摩川に晒す調布(てづくり) さらさらに、何ぞ、この子の、幾許(ここだ)愛(かな)しき

 私の特に好きな東歌のこの語感、英語になったらどこへ行くのかな。…というわけで、やっぱり原語が一番?と翻訳でしか読めない外国ものを考えてちょっと悲しくなったりもした。
 
 それに素敵なオマケで、富士山という稀有な単峰型の国内最高峰を持つ日本という3つのプレートの接点の国(だから地震が多いけど)の特殊な美しさを改めて思わされた。

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