虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

折り紙の簡単ビンゴ で 計算練習

2011-11-27 17:40:56 | 算数

折り紙を写真のように

9マスができるように折って、

マスのなかに2~12までの数を自由に書き込むと

即席ビンゴができあがります。

 

2個のサイコロを振って、

出た目の数を足し算して出た数字に丸をつけます。

たて よこ ななめ

のどれか丸がそろうと勝ちです。

 

足し算を覚えかけた子らが

どの子も夢中になるゲームです。

遊ぶうちに、暗算が得意になりますよ。


どうして低学年の子に植木算や旅人算などを教えているの?

2011-11-27 08:59:05 | 算数

来週中に、来年の新規の生徒の発表を行わせていただきますね。

 

虹色教室では、小学校低学年の子らにも

植木算や旅人算といった中学入試向けの算数の問題に触れる機会を

たくさん設けています。

 

でも「どうして?いくら何でもそんな先取り必要なの?」と感じている

方がいらっしゃるかもしれませんね。

 

実際に、とても有利にはなるでしょうが、

中学入試に有利だから、という理由でそんなことをしているわけでは

ありません。

 

さまざまな理由がありますが、

一番の理由は、算数が実生活でどのように役立つのか、

今練習している計算訓練は、何のためにあるのか、

問題を通じて自然に理解することができるからなのです。

 

算数の本当の面白さや頭を使うことの楽しさにも

気づけます。

 

植木を道路に植えていくということ、

自分が見慣れている都市の景観にどれほど算数が深くかかわっているのか、

そうしたことを知っていると、

「算数が将来なんの役に立つんだ?」何て疑問に縛られて、やる気を失うこともありませんよね。

野球の試合も見せずに、野球を知らない子に、

素振りばかり練習させても、上達させるのは難しいはずです。

算数だって同じです。

 

植木を端から端まで3メートルおきに植えていく時、

2本植えたら、端から端までは何メートルで、

3本植えたら何メートルかという植木算の基本的な問題は、

指を折って、簡単な足し算ができるようになった子ならすぐできます。

そこで、絵を描いて考えてみることを学ぶと、

たちまち応用がきくようになってきます。

 

子どもの頃、わたしは団地や学校の階段で、

じゃんけんしては「グーリーコ」「チヨコレイト」「パイナップル」と言いながら、

段を上り下がりする遊びをしていました。

そこで起こっていることは、旅人算について考える上で描く線分図の上で起こっていることとよく似ています。

幼い幼児にしても、グリコばかり続くよりも、パイナップルばかり続いた方が相手より先に

進めることを体感で理解しているはずです。

そして、こうした生活に溶け込んでいる算数の概念に

好奇心をくすぐられる感性を持っているからこそ、これが子どもを惹きつける遊びになるんですよね。

 

虹色教室の幼児さんたちは、物を規則的に並べていくことが大好きだし、

ブロックでピラミッドのような形を作ることを喜びます。

そうした時に、算数の規則性の概念への気づきにつながるような

問いかけをしていると、

算数がとても好きになっていきます。

 

計算のタイムを縮めるために計算プリントをこなすのでなく、

そこに勉強の動機があるのではなくて、

植木を植えるために計算する……というのは、

意味を実感しやすい体験です。

そこで、ミスをして、自分の盲点となっていることに

気づくことは、その子が抱かされてきた

イリュージョンを揺るがせて、素直に世界を眺めることができるようになる

きっかけを作ってくれます。

 

なぜ算数を学ぶの?

 

という問いは、小さな本作りをしてみるだけでも

すぐに理由を理解することができます。

たてとよこの長さを無視すれば、

絵が貼れないとか、本の形にならないとか何らかの

不都合が生まれてくるのです。

基礎的な知識をためたり、

計算を訓練したりすることは大事です。

 

でも、実際の暮らしのなかで、どう算数が使われているのか知り、

自分も算数を使って何かしてみて、

それから訓練に戻る、

訓練からまた、どうして算数が必要なの?という疑問を探る

活動に戻る、

という行きつ戻りつする

学びの時間を作ってあげたいと感じています。

 

 

 

 


学童で頭脳ゲーム♪

2011-11-26 21:46:52 | その他

学校での学習についていけるのか、心配なところがたくさんあった1年生の●くん。

言葉の意味理解や数の概念の把握に

かなりの問題を抱えていたのに、

ブロック制作や工作やゲームや頭脳パズルに

はまるたびに、考えることや観察すること、推理することなどが

得意になってきました。

 

このところ、急速に論理的に考える力と推理力が伸びてきたので、

驚いて、●くんのお母さんに、普段の生活や遊びについてたずねると、

学童に『ブロックス』や『マスターマインド』といった頭脳ゲームがたくさん

あるので、それで遊ぶうちに

思考力が高まってきたよう……といった話をうかがいました。

 

虹色教室の知的ゆっくりさんの女の子も、いつまでたっても

簡単な計算ルールをマスターすることができなかったのに、

学校で『ウノ』を教わって

遊べるようになってから、繰り上がりや繰り下がりのある計算が

解けるようになったのです。

 

学童やいきいき活動で使う教室、

学校の図書館などに、

ドイツ製のカードゲームや

さまざまな頭脳ゲームなどをそろえておくと、

子どもたちの知力が自然に高まるでしょうに……!

 

学校にゲーム類を置くのが難しくても

せめて学童に質のいいゲーム類が置いておけるように

働きかけることはできないかと思いました。

 

 

 


『嵐の写真集』作り

2011-11-26 21:22:03 | 通常レッスン

最近、グループレッスンに参加しはじめたばかりのダウン症の☆ちゃん。

お友だちの話題になかなか乗れずに押し黙ったまま固まっていました。

「ねぇねぇ、☆ちゃん」とお友だちが親しげに声をかければかけるほど、

まるで聞こえていないかのように突っ立ったままの格好をしていました。

 

☆ちゃんは、アイドルグループの嵐の大ファンと聞いていたので、

「今日は、嵐の写真集を作ってみない?」と誘ってみました。

すると、たちまち表情が崩れて、笑顔が広がりました。

他の子らにも「嵐って知ってる?」とたずねると、

「知ってる、知ってる!○○くんでしょー、怪物くんの~」「わたしは△くん!」と

口々に好きなアイドルの名前を挙げて、「わたしも写真集を作りたい」と言います。

 

☆ちゃんは、すっかり打ち解けて、

「わたしは、□くんが好き」と言いながら、他の子らとワイワイ盛り上がっていました。

 

さっそくパソコンで嵐の写真を印刷して、

色画用紙を写真のサイズに折って本を作りました。

☆ちゃんは、本作りのさまざまな工程を全て自分でやろうと

一生懸命でした。

背表紙のシールを貼る部分だけ、仲良くなったお友だちのひとりに

手伝ってもらっていました。

お勉強も最後までねばり強く取り組んで、どの子もがんばりました♪


支援級での学習がいっこうに進みません 1 

2011-11-26 16:36:36 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

支援級での学習が、主に計算か漢字のプリント学習だと

いうお子さんがけっこういます。

与えられたプリントが100点にならない限り先に進まないというルールのために、

何ヶ月も同じレベルのプリントをやり続けている

と聞きます。

また支援級で学習を教えているという方からは、

子どもの担任に、「今日のこの時間はこのプリントをさせるように」という

指示があって、それをこなさせるだけで時間が過ぎて、子どもに必要な学習をさせてあげられない

というお話もうかがいました。

 

先生ひとりに対して生徒は2人という子どもに手をかけやすい状況でも、

教えるという作業を抜きにして、

一番易しいレベルからプリントだけを与えて、

丸つけをして、100点になるまで先に進まないという教え方ってどうなのかな?

と疑問に感じています。

 

ハンディーキャップを持っている子というのは、

プリント上でアウトプットはできない場合でも

こういう教具を使って、こういう教え方をすれば、

理解してどんどん先に進めるという方法があるものです。

能力の凸凹や感覚の特性や情報処理の仕方に特徴がありますから、

それに配慮して、その子が理解しやすい方法で教え、

その子がアウトプットしやすい方法で表現させることが大事だと思います。

 

ということは、

いきなりプリントで進めていくというのは、管理しやすいという利点を除いては、

教わる側にとっては少しもいいところがないように見えます。

 

 

子どもがわかっているかどうか、何を学ぶ準備ができているのかを把握するには、

プリントでテストするのでは、

正確なことはほとんどわからないはずです。

 

教具を使って教える場合も、できないように見えても、

教具を別のものに変えたり、

教具の使い方を少し工夫することで、

できることが多々あるのです。

 

ハンディーを持っている子に教える場合、常にその子の最近接領域を把握しながら

学習を進めることが必須ですよね。

「最近接領域」とは、
「自力で できる」と
「手伝ってもらえばできる」ことの間にある領域のことです。

「自力でできる」所ばかりしていると 進歩がないし
「手伝ってもらってもできない」所をしても 効果は見込めませんよね。

最近接領域に配慮して教えることこそ、子どもの潜在的な力を最も高めてくれる

教育法だと考えています。

教具を使って、この最近接領域を意識しながら教える場合、

たとえば、こんな形になります。

3+3=6を数玉そろばんの玉を移動させながら計算できる子が

いたとします。

でもその子が 6は 2と□

という問題が解けないとき、

玉そろばんで教えてみたけれどできないということがありますよね。

 

そんな時に、

ただ、「できないんだな」と放っておくのでも

「6は2と4」と丸暗記させるのでもなく、

その子の最近接領域を探れば、理解させつつマスターさせることが

できるはずです。

 

どういうことかというと、

玉そろばんの代わりに赤いデコレーションボールのような具体物を、

 

★最初に6を用意させて、2と残りの数にわける作業。

 

とか、

 

★いっしょに分けてから、「どっちが□の中に書く答え?」とたずねる

 

といった子どもが積極的に取り組みたがる課題の設定で

体験を通して学ばせていくということです。

 

どんなにわかっていない子も、

 

★大人がやるのを見ていて、説明を聞くくらいならできる

 

★「どっちが答え?」と選ぶくらいならできる

 

というその子の最近接領域内の活動があるはずだからです。

 

プリントで100点ができるようになるまで進まない……といった機械でもできるような

教え方ではなくて、

相手の能力を言動や取り組む時の意欲などで感受することができて、

相手に合わせて柔軟に課題を微調整できる

人間ならではの教え方が

ハンディーを持っている子たちに教える上では、とても重要ではないでしょうか。

 



 

 

 


具体物で体感する前に、プリントで覚えてしまうと、現物を正確に認識できなくなる? 2

2011-11-25 22:26:23 | 初めてお越しの方

前回の記事にe-com子育ての羊先生から次のようなコメントをいただきました。

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ヒトの五感というのは脳で処理をする過程で、

記憶や経験に影響されるというのを聞いたことがあります。

アリの絵の話は、ヒトが見たいものを見るという例ですね。

実はまだブログでアップしていない記事で、公式をわすれたから解けないという

生徒の話を書きました。公式から離れて考えれば持てる知識で解けるのにです。


「正しい解法」という枠に囚われている生徒が多いように感じます。

その原因を作っているのは大人なのですね。

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羊先生のブログで、

現実の中から何かを引き出す訓練=学習

という記事を読んでとても共感しました。

京都産業大学の永田和宏教授の

 「今の若い人は、現実の世界から何かを引き出すという訓練を全く受けていませんね。」

という指摘からはじまる考えさせる文章や

JT生命誌研究館館長 中村桂子氏の

「 教育や学問では一人一人の状況に応じて対象から引き出すものが違ってくるところが大事なのに、

どんな子供も同じことから同じものを引き出すように仕向けている風潮がありますね」

というこちらも現在の教育問題の急所を突く指摘と取り上げて、

羊先生がわかりやすく解説してくださっています。

ぜひ、ブログに遊びにいってくださいね。

 

前回の記事で、教室の子が意欲的に学習に取り組むようになると同時に

目の前の事実が素直に眺められなくなる事態が起こったという話を書きました。

 

「デジタルからデジタルへ」情報を変換することを覚えるほど、

目の前の現実の世界や自分が向き合っている対象を正しく読み説いて、

そこから価値ある何かを生み出していくことは難しくなりがちです。

 

 でも、だからといってプリントや本で学んだり、

その子の能力を超える概念に

触れたりすることが悪いわけではないはずです。

 

羊先生がおっしゃる通り、「正しい解法という枠に囚われるあまり、

公式を忘れると解けなくなるような原因を作る」 大人の態度に

問題があるのではないでしょうか。

 

                                                                                                                                                                                                      

 

飲んだ飲み物はどこへ行くの?

という記事に何人かの親御さんから、「わが子にも同じ質問をしたらこんな答えが返ってきました~」という

コメントをいただきました。

 

幼い子たちのトンデモ発言は思わず吹きだしてしまうおかしさですが、

一方で大人が正しいと思っている答えの方が、本当に正しいのか?

という疑問も残ります。

というのも、お茶の一部は確かに胃や腸を通って、最終的におしっこになりますが、

人間はミルク飲み人形とはちがって、飲んだお茶の全てがおしっこになるわけでは

ないのですから。

 

大人が子どもに教えがちな「飲んだ水分は、おしっこになるんだよ」という考えは、

アリを動物のように捉えていたイリュージョンと同じで、

不正確な思い込みでもあるのです。

 

上の作品は、写真は年中さんと年長さんふたりの作品です。

この子たち、何を作るか決めるところから、どんな素材を使って、

どのような手順で作るかまで、全て自分で作業してしまう

創造力溢れる子どもたちです。

3歳の頃から物作りが大好きなふたり。

毎日、ふたりで相談しながら、もりもりと創作に励んでいるそうです。

 

この子たちの要望で、何度か教室で

サンタさんの服作りや、ドレス作りをしたのですが、

その後、年長さんの子が、自分の体に合わせて寸法を調べながら

洋服作りをするようになって、親御さんが驚いていました。

 

それを聞いて、物作りでも勉強でも、

しっかり理解するように教えていくことは、大事だな~

と感じました。

頭でも体でもわかること。

それがとても重要だと実感しました。

 

その子たちと、○や△や□の形を、

ふたりで平等に分ける場合の分け方、

三人で平等に分ける場合の分け方、四人で平等に分ける場合の分け方に

三角を3つや4つに分けるのが難しかったので、

折り紙で再現。

間違った切り方も実際やってみて、

どこがおかしいのか話をしました。

ついて考えました。

 


具体物で体感する前に、プリントで覚えてしまうと、現物を正確に認識できなくなる? 1

2011-11-25 09:29:58 | 教育論 読者の方からのQ&A

日高敏隆氏の『生きものの流儀』という著書に興味深い話が載っていました。

簡単に要約して紹介しますね。

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著者が当時の成城学園小学校の先生だった庄司和晃先生からうかがった話です。

ある日、庄司先生は子どもたちに画用紙を配って「さあ、アリの絵を描いてください」と

言ったそうです。たちまちイメージできたらしい子もいれば、まだイメージをさぐっている子もいたそうです。

できた絵を見ると、アリの身体は頭と胴体のふたつに分かれていて、

人間がイメージしている「動物」の姿であって、

たいていの女の子はそのアリにリボンまでつけていたのだとか。

 

次に庄司先生は、子どもたちひとりに1匹ずつ、「実物」のアリを渡して、

「これがほんもののアリだよ。今度はそれをようく見て、アリの絵を描いてください。」と言ったそうです。

すると、驚いたことに、実物のアリを見て描いたはずの絵でも、その多くは

依然としてアリは動と頭、足は四本だったのだとか。

著者はそこに人間のイリュージョンというものの見たような気がしたということです。

どの子も実物はちゃんとまじめに見ているはずなのに、

実物が自分の思っているように見えてしまい、それ以外のものは、

存在しなくなっているのです。

 

庄司先生は、その後、

「……よく描けてきたなあ。えらい、えらい。だけど、アリの体って

ほんとに頭と胴体しかないのかい?」とか、「じゃぁ、その六本の足はどこに生えている?」といった

会話を通した指導をして、もう一枚、子どもたちに絵を描かせると、

子どもたちの絵はより正確なものになりました。(が、依然、赤いリボンをつけている子らはいたようですが)

「イリュージョンが修正されるには、これだけの手間が必要なのだ。しかも現実の生きたアリが

手もとにいるのにである」と著者は人間の持っている錯覚や幻想のもつ意味と力が

少し理解できるようになったと述べています。

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先に紹介した話で面白かったのは、

実物を見た後で、最初の動物もどきのアリの絵から、

頭、胸、腹、そして6本の肢という昆虫の姿に変化させることができた子というのは、

一枚目の絵を何度も描いたり消したりしていた子どもの場合に

多かったという著者の発見です。

何でも、一枚目の絵を太い鉛筆で自信満々、頭と胴、四本の肢と描いた子の絵は、

実物を見ても何一つ変わっていなかったそうです。

 

この話を読んだ数日後の小学2年生の女の子ふたりのレッスンで

こんな気になる出来事がありました。

この2年生の子たちは、もともと観察力があって、思考力も高い子たち

です。

そのうちの子のひとりは、2年生になったあたりから、長文を読んで理解する力が伸びて、

中学入試向けの和差算や植木算や旅人算なども

ひねった問題でもテキパキと解けるようになってきました。

 

それでこれまでは虹色教室で月に1回、そうした問題に触れる程度だったのですが、

お家でも最レベの最高レベルの問題を中心に予習をしてくるようになりました。

 

わたしはこの子がやる気と自信に満ちて学習に取り組むようになった

こと自体はうれしくて、その意欲を大事に育んでいこうと感じた反面、

ちょっと気になる態度に引っかかるようになってきました。

 

お家で学んでくる際に、正しい式を教わってくるようになったためか、

問題を見たとたん、複雑なものでも数字を操作して、

正しい公式で解こうとする姿が目立つようになったのです。

 

でも、少し前なら、紙に絵図を描いてみて、考えこみながら解いていたのが、

問題を見たとたん、数を正しい公式にあてはめるようにさらさら

解くようにもなっていたのです。

 

そこで、その子がお家ではしていない3年生の最レベの問題から、

一部を取り出して、上の写真の図を描いて、緑色の線の部分、

直径2センチの円の中心が描く線について、

長さをたずねたところ、「18センチ?ん、20センチかな?」とでたらめなことを言いました。

 

何度もよく見るようにうながしても、緑の線が18センチの線より長いということや、

20センチよりも短いということに気づけません。

この子は、本来、とても観察力があって、直観がよく働く子ですから、

この線の違いに気づかないわけはないのです。

 

でも、「小学3年生のだと難しいに違いない」とか「やったことがない問題は解けないに違いない」とか

「算数の問題は、そこにあるどれかの数字を言えばいいはず」といった思い込みが邪魔をするのか、

素直に絵が見れなくなっていました。

 

難しい問題をさらさらと正しい式を立てて解けるようになると、

周囲から「すごい~」という賞賛を浴びることが多くなります。

 

すると、子どもはうれしくて、がんばる意欲を見せるときがあるのですが、

その時期の周囲の大人のフォローやサポートが

とても重要だと思っています。

 

「すごい~」と言われることにばかり心が奪われると、

絵図を描いて、試行錯誤して、自己流の間違った式を立てるより、

「最初から答えを見て、暗記してしまえばいいじゃん」という態度に傾き

がちになるからです。

 

そうした時に陥りやすいのは、

意味を理解せずに、

「こういう言葉が出てくるこういう問い方の時は、

この数からこの数を引いて、それにこの数をかければいいんだった」といった

わからないままに丸飲みするように解く癖がつくことです。

 

そういう癖がつきはじめている時の危険信号は、

現物を見ているのに、

自分のなかのイリュージョンに自信を持つあまりに、

現物を正しく見ることができなくなっているという状態だと

感じています。

 

線が長いか短いか、

素直に見るならすぐにわかるのに、

「前にどんな解き方だったかな?」と

記憶をさぐる作業に忙しくて、目の前のものが見れなくなる場合があるのです。

 

もちろん、意欲的に学習し、長い文を理解して解く力が伸びること自体はいいことで、

それを認めて、褒めて、大事にしてあげなくてはなりません。

 

でも、その時に、

子どもが問題を自分で具体物を操作して説明できるほどわかっておらず、

自分で絵図をきちんと描いて、自分の間違いを修正できるほど成長していないにも関わらず、

式さえ暗記すれば、そちらが正しい答えなんだよ……と教えこんでしまうことは

危険なことだと思うのです。

 

正しい式を覚えるのは、

まず問題の意味が正確にわかって、自分で自在に操作できるようになってからで十分で、

わかりもしないのに、正しい式だけかけるようになると、

自分がわかっていると錯覚して、さっぱり応用のきかない力をつけてしまうからです。

 

次回に続きます。


男の子のための積み木遊び

2011-11-24 09:23:54 | 初めてお越しの方

書きたい記事がいくつかあるのですが、

今日はレッスンとレッスンの合間にパスポートを取りに行く手続きがあって

新しい記事をアップするのは晩になりそうです。

 

男の子は動くものが好きなので、
ただ積み上げていく積み木に興味を持たないときもあります。
そんなときは、
さまざまな機械の動きを
積み木で再現するようにすると喜びます。

写真は、駅の自動改札機の動きを
2歳後半の☆くんと再現したものです。

セロテープを重ねて作った透明テープに
切符を乗せて引っ張ると
反対側から出てきます。

子どもがすごく興味を持つこと……というのは、その子の
才能と関係している場合が多々あります。


でも、親や周囲の大人が
本当の意味で子どもが興味を抱いていることに気づいて、
その子が心の底からワクワクする体験をさせてあげようと思ったら
なかなか難しいですよね。

子どもの本質的なものから、
ちょっとずれたことを「きっと好きだろう」と勘違いして、
習わせて、
大切なその子の時間を奪ってしまうこともよくあります。


その子の個性にぴったりの
かけがえのない出会いのために、子どもの時間はなるたけ大切にしてあげなければなりません。
「これはうちの子が好きそう」と思うものをやってみて、
やっぱりちょっとちがう……と感じるとき、一歩、本当に惹きつけられる何かに近づけるのだと思います。

 


科学大好き♪ 友だちと協力して科学工作

2011-11-23 13:37:01 | 理科 科学クラブ

小学2~3年生の科学クラブです。

物の科学的な性質に興味があって、作りたいアイデアを次々思いつく2年生の★くん。

物作りが得意で、科学好きで根気がある●くん。

いつの間にか意気投合。

「次はロボットを作ろう!」「パソコンを作ろう」「ハイブリットカーを作ろう!」

などと、ふたりの間でさまざまなアイデアを出しあって

協力して理科工作をするようになってきました。

頭を使って考えるのが好きな★くん、手を使って物を作りながら考えるのが好きな●くんの

ペアでは、

互いに好きなことをしながら、相手に苦手な分を手伝ってもらって、

絶妙なバランスで物作りが進んでいきます。

 

★くんはこの科学クラブに後から参加したメンバーで、

参加しはじめた当初は、「何か作るのなんかつまらない」

「こんな実験つまらない(★くんは科学ショーのような、大がかりな実験を見るのが

好きな子だったのです)」とぼやいて、

他の子のすることを遠巻きに眺めるだけでした。

 

それがこの夏のユースホステルでのお泊りのレッスンを境に

友だちとの親しさが増し、

もともと知力が高くて、科学好きな子ですから、

今は科学クラブのみんなを引っ張っていくほど夢中になって

物作りや実験に励んでいます。

 

 

 

モーターふたつで、ハイブリットカーを作る予定なのだとか……。

 

科学工作の後で、算数の学習タイム。

植木算の応用問題をしました。

最レベ問題集の最高レベルの問題だったにもかかわらず、

全員、絵図を描いて解くことができました。

公式をしらなくても試行錯誤して自分で考えて

難問を解ききる科学クラブのメンバーに感心……。

日頃から物を作りながら、よく頭を使っているだけに、

しっかり地頭力が育っている模様です。


飲んだ飲み物はどこに行くの?

2011-11-22 22:18:04 | 理科 科学クラブ

3歳児さんたちのグループレッスンで、

子どもたちにこんな問題を出しました。

コップに入ったお茶を見せて、

子どもたちの前でごくごく飲んでから

空のグラスを指さして、「あれ、あれ、からっぽ。お茶がなくなっちゃったよ。

どこに行ったのかな?」とたずねたのです。

 

★くん、☆くん、●くんの3人は

首をかしげて不思議がっています。

「わからない」と☆くん。「ここかな?」と自信なさそうに

首のあたりを指さします。

 

「知ってるよ」とジェスチャーつきで説明しはじめた●くん。

●くんいわく、「こうなって、こうなって、こうなって……ここ!」と、

指で、口から入って、お腹を通って、足までお茶が進む様子を表現しながら、

最後に足のつま先を「ココ」とさします。

飲んだお茶は、人間の足のつま先からたまっていくらしい……。

 

●くんのトンデモ発言を小学生の子らに話したところ、

「わたしも小さい頃、コップみたいに

足の下に水がたまっていくと思っていた!」と言いながら、

大笑い。

 

ダンナに話したところ、

「さすが、さすが、3歳でよく考えている。自然の法則に気づいてるんだな」と

感心していました。

(確かに……水が上から下へ下へと向かうのは自然の法則? )

 

3歳児さんたち。

「傘はどうしてさすのかな?」と問うと、

トンデモな意見が飛び交って、

めったに「雨に濡れないためよ」というあたり前の答えが返ってこない

貴重な年齢です。