虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ひっくりかえったがんもどき

2022-05-11 10:19:40 | 私の昔話 と 物語
私の父は、粗暴で困った人ではありましたが、気持ちが優しく、ユーモアがあって、話し上手な一面もありました。
私の父のことを、周囲の人はよく、「芸能人」に似ていますね……と評することがありました。
若い頃は石原裕次郎にそっくりだと言われ、年を取ってからは、ビートたけしと梅宮アンナの父を足して2で割ったような感じに見えると言われていました。
機嫌が良いときの父は、子どもの頃の話を、面白おかしく、時にはしんみりとしてくれるときがありました。
そんな話のひとつで、心に印象深く残っているのが、「ひっくりかえったがんもどき」の話です。

父は兄や姉のたくさんいる子沢山の家に生まれたようです。
でも実際に父が何人きょうだいであるのか、私は詳しく知りません。
一方的に自分の話したいことを話す父の話は、どれもバラバラのパズルのピースのように断片的で、何年たっても肝心の部分がわからないところもあるのです。

父の家は豆腐屋を営んでおり、ペットなのか食用なのかわからないたくさんの動物…ヤギやら、にわとりやら、たぬきやらを飼っていたそうです。
そんなごちゃごちゃした家には、変わり者で乱暴な父親や、頭の良い美人の姉や、頼りない兄など、さまざまな人が暮らしていました。
父には女の子のような名をした兄がいました。知的な困りがあったため、近所の幼い子からもからかわれ、ばかにされて、当時の父にとって何ともふがいない存在あったようです。

その兄は、いつも乱暴者の父親のもとで、豆腐屋の手伝いをさせられていました。
そのころは、子どもが家業を手伝うのは当たり前で、父も学校から帰ったら、揚げ終わった厚揚げやがんもどきをならべさせられたり、使いっ走りをさせられたりしていました。
覚えが悪く手先が不器用な兄が、始終父親のげんこつをくらったり、どなられたりする間、父は要領よく立ち回りながら、びくびくしていたのだとか。
父は何も言っていませんでしたが、もし兄が、この厳しい父のもとから逃げ出したいと思った日には、乞食しか、今でいうホームレスになるしか、生き方が残っていないように感じていたふしがあります。

あるとき、兄と二人で、店番をさせられていた父は、慌てていて、がんもどきの入っていたケースを、床にぶちまけてしまったそうです。
それは、うっかり1個落としてしまっても、殴られる、大事な商品でした。
が、箱ごとひっくりかえした……となれば、見当もつかないような損害です。
父親がどれほど怒るものか、想像すらできなかったでしょう。殺されてしまうかもしれない…と感じたかもしれません。
すると、いつもはぼんやりで、頭の働きが悪そうな兄が、
「おれがひっくり返したことにするから、何も言わんでいい」と言ったそうなのです。
その後、兄は殺されるほど、父親に叱られたそうです。
でも決して、本当のことを言おうとはしなかったのだとか。

父はあったことを話すだけで、自分がどう感じたのか……は、いっさい話しませんでした。
が、時々、思い出したようにこの話をしていました。

父は非常に毒舌で、いやみや皮肉を言わない日はないくらいでしたが、知的障害と思われる人と、ホームレスの人の悪口だけは言いませんでした。

母と結婚して間もない頃、橋の下で、凍えているホームレスの人を見たとき、まだ買ったばかりの布団の一式を橋の下まで持っていってしまい、母が大変な思いをしたことがあります。
父を突然、そういった行動に駆り立てたものは、そんな兄との思い出だったのかもしれません。


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