虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

番外 消費者ではなくて、製作者でもあったちょっと昔の話

2015-03-02 22:01:16 | 私の昔話 と 物語
『 大阪城めぐり』の企画や準備を子どもたちに任せたいのは、
この過去記事から言葉を借りてくるなら、
子どもたちが、自分が環境に影響を与えたり、変化させたり、
作り出したりできる存在なんだって気づいてほしい」から……。
何度かアップしているしょうもない記事なので、
もう読んだという方はスルーしてくださいね。

 
 
マシュー・フォックスという神学者が次のような言葉を
語っています。

私たちは本質的に 
消費が好きな生き物だろうか?
そうは思えない、
人間は製作者として存在してきたのであって、
消費者ではないはずだ……。


年々、子どもをめぐる環境は変化し続けて、
子どもの心のあり方や物の見方や関わり方が変わってきていますよね。
特に感じるのは、最近では、親がリードする形で、
子どもがいつでもどこでも「消費者」になりつつあるということです。

私が子どもだった30年以上前、子どもの私が世界をどのように眺め、
関わっていたかというと、良い消費者になりたくて、経済力をつけて、
購入の際のセンスを磨こうと必死の大人たちと、
現実には何もかもが未完成過ぎて、創作したり製作したり、
自分で何とかしたりと……
「製作者」の立場もとらざる得ない現実の間でもがく大人たちの姿を……
自分もその両方を模倣しつつ暮らしていました。
 
それで、当時の「製作者」側、「創作者」側、「発信する」側に、
いざ素人の自分たちが立ったときの、
何ともいえない危うさや面白さやワクワクや、がっくし……くる感じ……が、
その「おしゃれ」とはほど遠くて、鈍くさくて面白すぎる風景が、
子ども時代の私の脳裏に焼きついています。
どれを、思い出してもおかしくってしょうがありません。
そうしたことを急にだらだらと書いてみたくなりました。

私は大阪の吹田市の関西大学の近くで育ちました。
それで、子どもの頃はよく友だちと、大学の構内にもぐりこんで
乗馬クラブの馬のえさやりを手伝わせてもらっていました。
この関西大学の乗馬クラブは、
毎日、私の住んでいる周辺の道路を
きちんとした乗馬用の服で正装して、ぐるぐるまわっていました。
馬は千里山の駅前の信号機を確認しては、
きちんと交通ルールを守って、かなり気取った姿で立っていました。

そこらあたりまでは、大阪のちびまる子ちゃん世代の日常として
許せる風景だったのですが、

近所に住んでいる地域の世話役の人が、
「子どもたちのために、小さな動物園を作ろう!」と言い出したのです。
そこで、公園のそばの地域の集会所の前の広場で
やぎと羊を飼いはじめたのです。確かうさぎもいました。
最初はよかったんですが、サラリーマンが多い地域……
世話をする人も仕事があるし、大きな動物は世話がたいへん……で、
しまいには、どんどん開発の波が押し寄せてきている千里山の街中で
やぎや羊を放し飼いすることになりました。

そこで、私は、毎日、
千里山の駅前で、きちんと交通ルールを守って立っている馬と、
気の向くままに草を求めて移動するやぎや羊の姿を目にすることに
なりました。
おまけに当時、そのあたりはペットが野生化したワカケホウセイインコが
大量発生していたので、
夕方ともなると、カラスの大群なんて目じゃないほど、
圧倒するような数の緑色の大型の鳥の群れが、空を移動していました。

そんな風に、社会というか、環境が未完成でカオス……なので、
私の通っていた公立小学校の校長の考えも自由そのもの。
宝塚歌劇のファンだからという理由で、
学校のクラス名を、「雪組、星組、月組……」として、毎月、クラスで
劇を発表する日を作っていました。

子どもが育つ環境としてどうだったのか……というと、???なのですが、
私も友だちも自分たちが頭で考えて、何かをすることに対して、
躊躇しなかった気がします。
子どもなのですが、常に、「製作者」「作る側」の発想が
あるのです。
 
 
 
 
千里山の駅前には、ミスタードーナツとか、サンリオショップとか、
「○○塾」とか、これから全国でチェーン展開していこうとする店舗が
並びはじめていました。
その手前の道路には、自動車といっしょに
馬やら羊やらヤギやらがごちゃごちゃしていたわけですから、
子どもの目にも、世界はまだ未完成で混沌としているのだから、
自分たちの参入する場はいくらでもある!
自分たちもクリエイティブにこの街作りに参加しよう
という気持ちがありました。

たとえば、道なども、
はじめに覚えなくちゃならない道順があるのではなくて、
到着地までの近道は自分たちで発見して作り出すものという
思いがあったので、
塀があれば登り、柵の下の穴を掘ってくぐれるようにし、
他人の家の垣根のふちを、番犬を狂ったようにわめかせながら
歩いていって、がけを斜めに渡っていって、
団地の前の倉庫やら、自転車置き場の屋根やら、
高いところがあれば必ず登って
そこも道のひとつとして捉えて通っていくことに
何の疑問も抱いていませんでした。
子どもは、それぞれそうして自分で見つけて作り出した道や
秘密の隠れ家をたくさん持っていました。
時間にしても、暗くなったら帰る時間というアバウトな捉え方で
遊びまわってますから、曜日とか時間なんて気にかけたことがなかったです。
そんな中で、子ども同士、
遊びでもルールでもどんどん自分たちで作り出して、考え出して、
改善して遊んでいました。
人脈も開拓して、近所の人にお願いして犬の散歩をさせてもらったり、
同じ団地に住むひとり暮らしのおばあさんに子どもたちで
敬老の日のプレゼントを贈ったりしました。

運動オンチで内気な性格の私も、
どこでも登るしもぐるし~を何ということもなくやってましたから、
その頃の子どもたちは、
躊躇なく何でもやっていたな~と今になってびっくりしてしまいます。

とにかくエネルギッシュだし、
自分たちの頭でよく考えていました。
よく考えていた~というのも、あんまり頭を絞ったので、
40過ぎてる今でも幼稚園の頃、考えあぐねていた問題をはっきり
思い出すことができるくらいです。

それで、最近の子どもたちが頭を使わないとか、
昔みたいに小猿みたいな無茶をしろ……と
思っているわけではないのですが、
「それにしてもあんまりじゃないかな?」と思う現状があるのです。
今は幼い子でも習い事に通っている子が多いのですが、
そうした人工的な場は当然、未完成さとかカオスからほど遠いものです。
 
時間の枠がありますし、することは決められてますし、
場合によっては、どういう気持ちで、どういう態度で参加すべきか
まで暗黙のうちに子どもに適応を求めてきます。

そこまでガチガチに固められた環境で、
子どもたちが、自分が環境に影響を与えたり、変化させたり、
作り出したりできる存在なんだって
気づくことは皆無なんじゃないかな?と思えてくるのです。

それでもそんな現代っ子たちも、よくよく話に耳を傾けてみると、
あれこれと考えていて、したたかで、ユニークで、面白いです。
何に関しても「消費者」としての受身な立場しか
取ったことがない子は多いですが、
一度「創作する」ことを覚えると、
「買う」ことよりも、何倍もうれしそうな表情をします。
いったん、クリエイティブに創造性を発揮し始めると、
どの子もいきいきとしてきます。

……ここまで、話してきて何を書きたかったのかというと、
空間も時間もちょっと混沌としていてすき間が多い方が、
何をしようかな? 面白いのかな? やってみようかな? 
やっぱりやめとこうかな? 私はそれがやりたいの? すきなの?
と自分で選んで、考えて、味わって、
創造的に参加してみようという気持ちを、
子どもの中から引きだしてくれるのじゃないかな? 
ということなのですが……。

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2 コメント

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すきまのここちよさ (tamaki)
2015-03-03 09:16:21
この記事前にも拝見したことありますが、いつも考えさせられます。

たぶん自分でも薄々感じていたことだからじゃないかなとおもいます。

たとえば、住む場所を決める時、就職先を決める時、自分がいる場を選ぶ時に、なんとなくすきまの多い場所を居心地がよいと感じて選んできた気がします。

いま住んでいる街は、あまり上品ではないし、憧れの街ランキングには出てこないようなところですが、いろんな種類の人が住んでいて、外国の方もいるし下町ぽい気取らないところもあり、オープンなところです。

リサイクルショップで100円とかでかわいい服をみつけるのが楽しかったり。

オシャレな街ってたまに遊びに行くのはいいけど、逆に画一的で息苦しいんです。オシャレさを押し付けられる感じというか。

また、新卒で入った会社は、当時はだれも名前知らない会社でしたが、なんだか新しいビジネスをやっていておもしろそうだったんですよね。これからの会社だったから、人手が足りなく、いろんな人がいました。その後うまくビジネスが時代の波にのり、いろいろなことを自由にやらせてもらいました。

これが誰もが知る大企業に入れたとしたら、ずいぶん窮屈だったろうなとおもいます。実際、その会社の名が売れてから入ってきた人たちは、人間的にはつまらない人が多かったのが印象に残ってます。

最近いやだなとおもうのは、ママのファッションにしろ、手料理にしろお部屋のインテリアにしろなんだか「オシャレ」度がアップしてしまって、オシャレさを暗黙に要求されている気がするのがうっとおしいです。

完成度が高いのってつまらないですよね。わたしにもできそうって思えないし。

なんかもやもやしていたけど、ことばにしたら「ああそういうことか」ってすっきりしました。わたしはこれでいいんだっていう気もしてきました。

うちの子はいわゆる「工作」的なことはそれほど熱中するわけじゃないのでどうしたものかなという気持ちがありましたが、こう考えてくると自由に創造的に関わる活動をできるようにしてやれば「工作」だけにこだわらなくてもいいかもしれないですね。
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Unknown (BOO)
2015-03-04 07:50:12
記事の内容を懐かしい思いで読ませて頂きました。

私が住んでいた町は、さすがに馬もやぎも羊もいなかったけれど、先生が書いていらした通り、ゆるくて自由な時代でしたね。

敗れたフェンスをくぐったり、公園の休憩スペースの屋根に上ったり、滑り台を寝転がって滑って「助けてごっこ」なんてしました(笑)

「今何時?」「さぁ~」「でも、もう暗いし帰ろうか」って感じで、お腹がすくころに家に帰る。

テレビゲームなんてない時代だから、家では工作したり、図鑑を眺めたりして過ごしていましたね。

そんなゆるくて自由な子ども時代を過ごした私なのに、今では子どもを時間で追い立てています。
「あと○分で塾だから、宿題してごはん食べて。早く早く。」って。
時間通り動く子ども、決められたことを決められた通りこなす子どもを「良し」としています。
時間通り、決められた通り動けないと、ちゃんとした大人になれないって錯覚までしていました。

ゆるくて自由だった子ども達だって、今じゃもう立派なおじさん、おばさんになっているのに。

時代とともに秩序が保たれ、道徳心が高くなりましたが、同時に窮屈さを感じる社会になりましたよね。
社会が変り、子育ても変ります。
そんな中で、大切なものを見失わないために親はどうしたらいいのでしょうね。

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