虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

鍋いっぱいのプリン

2022-05-08 09:29:42 | 私の昔話 と 物語
母の実家の田舎のだだっ広い家に対して、都会のわが家は2Kの団地住まいでした。
2DKだって、4人家族にすれば、狭苦しいわけだけど、2Kとなると、ダイニングと寝る部屋が昼夜で忙しく入れ替わらなきゃならないわけで、まるで芝居の舞台みたいに、ひとつの部屋がこたつや布団といった舞台道具で、キッチンになったり寝室になったりと、忙しい家でした。

そんな狭っ苦しい家に暮らしながらも、人って幼年期や子ども時代に染み付いた身体感覚が抜けないもんなんでしょうね……
母は、電子ピアノじゃなくて、どでかい本物のピアノを購入してみたり、食べきれないような料理を作ってみたりと、実家の9人きょうだい仕様の暮らしを引きずっていました。

私も妹も夏生まれで、誕生会には母のお手製のフルーツポンチが登場しました。
特大サイズのすいかを、ギザギザした切り口でふたつに分けて、中身をくりぬきます。その時、アイスクリームをすくう道具の小型版みたいな、すいかをクリッとした丸い形に抜く道具を使ってました。
そうして大きなすいかの容器を作って、中にサイダーや果物のかんずめを注ぎ込み、丸いぶどうの粒のようなすいかを浮かべてできあがりです。

よく言えば豪華、正しくは大ざっぱで豪快な料理が母の得意で、グレープフルーツを半分に切って、中身をくりぬき、ゼリーの粉や砂糖を混ぜて、もういちど注ぎ込みます。そんなグレープフルーツゼリーが冷蔵庫によく入っていました。
クッキーの種も、おそらく料理本の材料の3倍は作って、私も妹もねんどで遊ぶように、クッキー人形を良く作りました。
服にフリルをつけてみたり、帽子をかぶしてみたり、靴や日傘やペットの犬猫、小鳥まで作って、大きなオーブンでたくさん焼きました。
食べるときには、あまりの量にたいていうんざりして、ビニール袋に入れてうろうろするうちに粉々になって、何だかわからない形のクッキーを、近所の友だちが「おいしい、おいしい」と食べていた記憶があります。

母は母なりに、都会風のこじゃれたものが作りたい気持ちは満々だった気がします。
シュークリームやアイスクリームやカルピスやクロワッサンなど、母のこしらえたおやつは、名前だけ連ねれば、デパートの屋上のレストランで注文するようなものばかりでしたから。

それがどう間違うのか、あるとき、プリンを作ったときは、大鍋いっぱいのプリン液を弱火で煮立てて、それをグラタン皿に注いで冷やしていました。
グラタン皿なんて、そういくつもありませんから、どんぶり茶碗や、タッパーウェアーや小型のボウルまで総動員させて、プリンを冷やしてましたから、冷蔵庫の棚という棚が、黄色で埋まっていました。
プリンが大好物の私と妹は、最初こそ、飛び跳ねて喜んでいましたが、途中から、「一生、プリンなんて名前も聞きたくない!」ってほど、うんざりきてました。

今もプリンを見ると、大鍋でタプタプ煮つめられていた黄色い液体が思い出されて、懐かしいです。
母はそんな田舎から出てきたまんまの暮らしぶりで、人生の半分以上を都会で過ごし、のんびりまったりと自分の生をまっとうしました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。