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虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

京大の現代文 と 東大の現代文 2

2012-02-14 14:48:37 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

京大の現代文の過去問を解き終えて、

東大の現代文の過去問を解き始めた時、

記述する文の短さと取り上げられている書かれている内容のわかりやすさに

ちょっと拍子抜けした感じがありました。

 

最初、息子は、「東大の現代文の方が減点の対象になる小さなミスが許されないところがあるんじゃないかな。

完璧を求められるのは大変だよね。

短い文字数で簡潔に必要なことをまとめるいい練習になるよ。

好き嫌いで言うと、断然、京大で取り上げられている

文章の方が好きだけど、テストで解答するとなると

東大の問題の方が論理的なルールにのっとって書かれている文章が多いから

ありがたいな」と言っていました。

 

が、数日間、勉強を続けて、東大の過去問の問題集を半分くらい解き終えたところで、

ちょっと疲れたような表情で、

「どうしてこんな常識的で簡単な内容を、わざわざ堅苦しい言葉を使って書くんだろうって

文章がけっこうあるな。

独創性や奇抜さよりも、あたり前のわかりきったことを一般市民にいかに正確に誤解なく

伝えるかということを重要視している文章が多いな。

東大を出て官僚を目指す人が主流なら、むしろそうであるべきなんだろうけど」とぼやいていました。

 

それから、こうも続けました。

 

息子 「別に悪いわけじゃないよ。感動する文章もけっこうある。

でも何だか物足りなくて、無味乾燥で、読んでいるうちに疲れてくるのは、

東大の入試問題では、

どの著者も自分が理解していることしかかかないというか、

すでに正しいとされていることを、外から眺めてより完璧な言葉で表現しようとしている文章が

よく使われているからかな。設問や答えに求められているものも含めてさ。

 

その点、京大の入試問題は、立ち位置が内側にあって、

働いたり、作品を作ったりしながら、まだ自分自身も理解していない未知の事柄を言葉にしよう

言葉にしようという自らの精進が目的にあるような文章がけっこうあったよね。

つまり、東大の文章の背後にある目的は、社会構造を構築していく存在を作ることにあるような

印象を受けるよ。

 

なら京大の現代文はどうなのかというと、

最終的に目標としているのは、自らの完成であって、

あいまいな知識に対する解決法を探っているのではなく、思考し続けることに対する

飽くなき探求心のようなものを感じるな」

 

母 「そう、お母さんも、京大の赤本を解いている間は

読んだ後もワクワクして、自分の今している仕事の内容につなげてみたりして

本当に楽しかったの。でも東大の赤本になってから、

トレーニングという感覚がぬぐえないわ。

東大の現代文と京大の現代文でどこがどうちがうのかしら?」

 

息子 「ひとことで表すなら、東大は大人。京大は子どもなのかな。

受験する時点で、東大は、そろそろ大人になりなさい、自分の自分勝手な意見を

言う時期は終わりましたよ、とモラトリアムの終了をつきつけてくるような

問題の選び方や問いの立て方をしているからね。

学問について語っている文章も少ないしね。

京大の場合、文章の著者も入試問題を作っている人自身も、受験生に向けて

ともにがんばって成長しようというエールのように感じられることが

何度もあったよ。

ほら、ローマに旅立つ息子に向けた手紙にしても(野上弥生子『ローマに旅立つ息子に』)にしても、

森鴎外の『混沌』にしても、それを読むことで

これから本気で学問の道を目指していこうという気持ちを煽られるような文章だよね。

 

それに『文字禍』の話にしても、寺田寅彦のお化けの話にしても

京大が本格的に学問に取り組んでいるわりに

反知識人のような考え方をしている文章をたくさん取り上げているのも面白いな。

お母さんもぼくもどちらかといえば、反知識人派じゃん。

児童文学のくまのプーさんに出てくるフクロウを苦手としているというかさ。

あまりにも知識を持ち過ぎて、体系的にしか考えられなくなっているような人は

どうかと思うからね」

 

母 「確かに。お母さんは体系的な知識にがんじがらめになって

考えるのはきらいよ。確かな土台に足をつけている必要はあるでしょうけど、

考えていくときは自由でありたいわ」

 

息子 「自由? 京大の問題は設問の仕方や答えの文字数からして、そこに

ささやかな自由を認めて個人の個性が入り込む隙を作っている

ように見えて好きだな。

問題文自体も読む側の感受性が答えに滲みでてくるような

メタなストーリーが多いしね。

それとぼくが東大の入試問題を解くうちに何だか寂しい気持ちになって疲れてきたのは、

といって東大入試の全問にあたったわけじゃないから言う資格ないのかもしれないけど、

数学に国語は必要ない、数学は数学、国語は国語で専門的に学んでいくべき、

と告げられているような気分になるからなんだよ。

京大の問題は、文系、理系の枠を超えて、数学を学びたい人が言葉を

使ってそれを深めていくことを激励しているようなところがあるし、その逆もある。

京大には、理系でも哲学のような文系の教科も取ることができる

システムがあるらしいんだけど、

いろんな分野の学問を連携させて、統合していこうという考えがあるのかな?」

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 


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1 コメント

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Unknown (ちびまる子)
2012-02-15 12:03:22
東大と京大で比べると求める人物像がぜんぜん違うのですね。
東大が大人なら京大は子どもと言うのはうなずける気がします。

息子さんの受験,うまくいくといいですね。
応援しています。
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