虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

自ら学ぶ子が育つ教育とは?(ペスタロッチとフレーベルに学ぶこと)

2017-04-07 14:30:08 | 教育論 読者の方からのQ&A

ブロック講座の募集は、来週の頭(月か火)にさせていただきますね。

 

久しぶりに読んだ『人間性の最高表現』

(偉大な芸術家や科学者などが、自己実現していく姿を記録した本です)

というP・フェルッチの著書で

ペスタロッチとフレーベルの教育への姿勢を読みました。

 

現在、あまりにも軽視されている大人のあり方で、忘れないように

書き写しておきたかったので、記事にすることにしました。

 

「民衆教育の父」と称されるペスタロッチについて、P・フェルッチが

こんなことを書いています。

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一瞬一瞬の観察で、教育者たちは子どもたちの成長や発達にともなう才能の変化に、

どんなとらえにくいことでも気づくことができます。

それは、知性、心身のバランス、感情面の成長、好奇心、自律などの変化です。

このプロセスは、ほかの生き物に見られる発達とも似ています。

生物学的な比喩は、すぐれた教育者たちにたびたび使われてきました。

というのも彼らは、生徒たちのなかに、自分固有のルールに従い、自分のペースで展開する、

生き生きした自律的な進化を認めるからです。


(省略)このような眼差しを注がれると、成長していく子どもたちは

深い尊敬と自信を呼び覚ましてくれます。

そして、教育者が強制する必要なしに、子どもたちのなかに自律的なプロセスが続きます。

付け加えなければならないものは、何もありません。

すべての知恵と善が、すでに子どもたちのなかにあるのです。生徒たちから学ぶことが

教育者の務めであり、その逆ではありません。


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フレーベルもモンテッソーリも子どもたちのなかに、

自然発生的な自律性が生じるのを見ていました。

子どもたちのなかに普遍性を見つけることは、教育の最も重要な原点です。

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学び成長している子どもは、単に、自分の務めをこなし、先生の期待を満足させようと

している個人ではありません。

それどころか、一人ひとりの子どもすべての子どもで、それは、

万物の法則に従って宇宙を動きながら、全宇宙の秩序を

映し出している一つの星のようなものです。

成長している子どもは、やはりかけがえのない個人であると同時に、普遍的な

調和の現れでもあります。

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前にも書いたのですが、今、マイコー雑記のマイコさん、たまきさん、

ワーキングマザーさん、ともえさんらと、

「子どもたちのために、何かしたいね」と話しあっています。


子どもたちの人生に本当に役立つような贈り物とは、

それぞれの子の両親や祖父母、身近な大人たちが、

次に挙げるような良い教育者の資質を自分のなかに育てていくことじゃないかな、

と感じています。

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 ● 私たちが選択したことを実際に試み、恐れることなく世界を探検する

手助けをしてくれる人。

そしてもし私たちが失敗したり、困った問題に巻き込まれたりしても、

私たちは裁かれないということを知っている。

 

● 私たちができること、なれるものを示してくれ、新しい発見がどんな喜びを

生み出すか、示してくれる人。

 

● どれほど陳腐なものであっても人生に持ち込み、

それをいきいきした魅力いっぱいのものにする人。

 

● 私たちが自分で何か探し出すように励まし、

私たちを自分の才能に結びつけ、私たちが学んだ

ことは自分がやったことなのだと気づかせてくれる人。

 

● 私たちを退屈させたり、眠りこませたりすることは決してしない。

ただちょうどよい量の夢を見せて、

常に私たちの注意を呼び覚まし、刺激する用意ができている人。

 

● 苦労せずに学ぶ手助けをし、そのため私たちは、学んでいることが、

深いところではずっとわかっていたことだと感じる。

 

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<おまけ>

金貨があふれるしかけ。


写真は重いハンディーキャップを持っているAくんとの遊びの一コマです。

Aくんと水遊びをしている時、水がコップからあふれる瞬間、

手をたたいて喜ぶ姿を目にしました。

そこで、紙コップの内側に、ひもを(ガムテープでしっかり)貼りつけて、

あふれる瞬間を味わえるしかけを作りました。


Aくんは、まだほとんど言葉がない子ですが、

透明の筒(100円ショップのお茶を入れる入れ物)のなかをよく観察していて、

紙コップの高さよりたくさんの金貨を入れるとあふれることに気づきました。

また、

また、ひもを引っ張りながら集中力を持続させて、次にあふれる瞬間が来ることを

予感したわくわくする表情でひもを引きあげていました。

 

何度も何度も金貨をあふれさせるAくん。

遊びを通して、Aくんに次に起こることを期待する心が育ちつつあるのを

感じました。



 


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2 コメント

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Unknown (かんじょ)
2017-04-08 15:35:38
先日のフローの記事と合わせて、
息子が外遊びをしている家事の合間に過去の記事も読ませてもらいながらいろいろ考えました。

最近の息子はデュエルマスターズのカードバトルにすっかり夢中で、寝ても覚めても、自転車を運転しながらも対戦の勝ち方を考えているほど。おこずかいもカードを計画的に買うために貯金をしています。

加えて、公園で遊ぶといいながらもゲーム機を持ってくるお友達もいて、息子も含めゲームを持っていない子はただ見ているだけ、という時間もあったりするようです。
虹色教室での取り組みを見るにつけ、わが子にも創造的な遊びをしてほしいな、と若干焦りにも似た気持ちもありました。
それが、壊れたラジコンカーにつながったのですが・・。
同じ気持ちで連れて行った博物館も、息子の琴線には触れずじまいでした。

後日、一緒に買い物で行ったダイソーで「何でも好きなものを買っていいよ」と言ったら、手品用に使いたいと紙のトランプを選びました。
その次に行った図書館で大人用の少し古めのトランプの本を借りて、漢字のルビも写真もないような字の小さな説明を真剣に読んで時間も忘れて取り組んでいました。
私が手に取ってみてもちょっと辟易してしまうような本も、必要とあらば読みこなす力を持っている息子にすごいな、と感嘆せずにはいられませんでした。

この頃では、夢中になっているカードゲームも憧れているゲーム機からでも、きっと息子が魅力に感じているものがあるのかもしれないなと思っています。

長文で失礼しました。

PS アルゴ や カタンの開拓者 も購入しました。
楽しんで夢中に遊んでいるのですが、問題は息子が強すぎて私が相手にならないことです
いつも勉強になります (ばなな大好き)
2017-05-01 14:51:16
初めてコメントします。
「助長(抜苗助長・助長抜苗)」を思い出しました。中国の故事で、苗の成長を助けようと、苗を引っ張ったところ、枯らしてしまった、という話です。初めて聞いたときは「あほ~あははは~」と笑ってお終いでした。しかし2歳児を育てる今となっては、とても笑う気になれません。

なぜ子供の「自ら成長する力」を信じられなくなるのでしょうか?あまりに人工的なものにばかり囲まれて生活していると、自分達が動物の一種、生物の一種であることを、忘れてしまうのでしょうか。

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