虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子育ての詩 と 子どもが無責任で飽き性な子に育たない方法

2010-02-25 07:20:35 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
娘や息子が幼い頃から、私は、子育てのいろんな場面を詩や絵にしてきました。
娘が中学生、息子が小学校高学年……片や思春期真っ只中、片や思春期に突入しようとする子らに翻弄されながら、毎日の生活が、あわただしさだけで流れていた時期の詩です。
良かったら読んでくださいね。

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ある日の娘 ある日の息子

つまずくたびに案じても しょうがない
子どもたちは いつも
あふれるように育っていく
器からも 鉢からも 囲いからも

ある日 娘は
わずかな希望を胸に
空へ旅立つ風船のようだった

その軽率な飛行を
カミナリが諭すと
娘は通り雨となって 地に降りそそぎ
路傍にちいさな美しい花を咲かせた

ある日 息子は
物怖じせずに
太陽と対峙するひまわりのようだった

その尊大な顔を 陽が焼き付けると
息子はかぶと虫となって
黒い背をギラギラさせながら
どこまでも大樹を登っていった
  
          (詩 おしまいです)
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今、親や教師は子どもの無責任さに泣いているそうです。
何をさせても途中で放り出してやりとげようとしない子どもたち。
国立精神・神経戦隊 精神保健所長
『いま、こころの育ちが危ない』吉川武彦 毎日新聞社
によると、
(一部、省略しています)
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……生徒に役割を与えても、、それを全うする子がいないともいわれます。たとえば掃除はさぼる、片付けはしないというのでしょう。
でもちょっと待って下さい。
私たちだって、同じではなかったでしょうか。
いつでも親のいうように、きちんと片付けましたか。お手伝いはしましたか。掃除をサボったことはないですか。宿題はいつでもやり終えていましたか。
……私とて、もちろん。適当にサボり、適当に親や教師に反抗し、ずるをしていました。その適当さが、親や教師から離れていくきっかけでもあったのです。
大切なのはその適当さを、親や教師は認めていたということです。
子どもが適当にサボり、適当にごまかすのを認めていたのです。
やるほうも適当に手抜きをし、やらせる方も適当に手抜きをする「手抜き関係」が成り立っていました。
ところがどうでしょう。いま、このように適当に見逃しているでしょうか。
なぜ「手抜き関係」が成り立たなくなったのか、考えてみる必要があります。

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手抜き関係ってつまり「自立」と関係があります。
赤ちゃんが、ヨチヨチ危なっかしく歩き出すとき、
危なっかしい歩き方は見ていられないからと、毎回歩行器に押し戻していたら
歩けるようになるのは遅れますよね。
人間が育てた動物を野生に戻すとき、
人間の指示通りきちんと動けるけるどうかにばかり注意がいっていては
野生に戻してもやっていけませんよね。

子どもは、親の言うとおりにできない中途半端な経験をたくさん積みながら
不完全ながら、自分の力で事態の解決を図ろうとし始めます。

自分の行動を振り返る目も育ってきて、
責任感や
がんばれる能力もだんだんアップしてきます。

最初から完璧を求められて、不完全なものががんばれるかどうか……
たとえばオリンピック選手にまじって、素人が運動したり、
舞台女優に混じって、素人が演劇したりして、
最初から完璧を求められて、やる気でがんばれるのか
自分は「無能」と感じて、やる気を放棄するのか
考えてみるとわかるかと思います。

最近、テレビで
幼児を川の中に放り込んだり、
山登り中、泣いていても無視してどんどん先に行ったりして、
子どもの自立心を引き出そうとしているのを見ます。
私には、それが子どもの心にトラウマや虐待経験として深い傷を残さないか
心配でなりません。
幼児のように身体も心も十分発育しておらず、社会経験も少ない存在に、
そうしたことを大人がすれば、

自分の命が脅かされている
大人の言うことに従わなければ生きていけない
自分は無力だ 全て大人の望みどおり動くしかない

という心の危機状態になり、
ちょうど虐待されている子が虐待する親をかばったり、
けなげに良い子を演じ続けたり、
大人が喜ぶことあえて発言したり、笑顔を振りまいたりするのと同じような行為をするようになる
のではないでしょうか。

実際に大人のように身体も大きく、たくさんの経験を積んでいても
はじめての学校や職場で、怒鳴られたり無視されたり
いきなり過激な……突き飛ばすような対応をされれば、
それでも元気に前向きに明るく他人を思いやって暮らせるのか
怪しいですよね。
テレビで子どもを見るとき、
私たちはアニメのキャラクターやリセットできる
ゲームのキャラクターでも見るように眺めてしまうけれど、
そこには私たちと同じ血が流れ、心があり、
自分が体験したら辛いことは
子どもならなおさらどのような感情を味わっているかと
よく考えなくてはならないように思います。


自分が泣いていても、「放っておけ」と無視された子が、
お友だちがいじめられたときに、心から「助けてあげたい」と思うのか疑問です。テレビ局のカメラの前でだけ、
すばらしい友情を演じてみせるのではないでしょうか?
大人に水に放り込まれた子が、
理由があれば他人に危害を加えても、「相手のため」と曲解しても
当然といえば当然のような気がします。

大人から見れば、どちらも安全な行為でも
されている子どもからすれば「殺される」「捨てられる」としか感じられない
行為ですから。
幼児はまだか弱く、社会経験も少なく、大人に頼って生きているのです。

子どもが自立していく過程は、そんな劇的なものでなく、
「する」と言っては「放り出し」の繰り返し……
思春期くらいになって、口も体力も一人前になってきてはじめて、
びっくりするような馬力がでてみたりもするのです。
大失敗のあと、責任感に目覚めたりもします。

私の子育ても、ずるずる適当の繰り返しですが、
ふたりとも、私や主人が子どもたちと同年だったころに比べて
数倍、しっかりしています。
足りない部分はまた適当にしておけば、社会で揉まれて
磨かれてくるだろうと踏んでいます

いつもとてもすばらしい幼児教育を実践されている
遊びのアトリエさんの記事です。
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★気になる子ども達②

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4 コメント

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素敵な詩ですね☆ (ヒロママ)
2010-02-25 14:22:20
お子さんたちを見守る奈緒美先生の深い愛情と信頼が表れているような詩ですね!
この詩もとっても好きになりました~
慌ただしい時期の作品とのことですが、私にはゆったりと大きな視点からお子さんたちを《美しい生命体》として見つめていらっしゃるように感じられて、なんでこんなに余裕のある見守り方ができるんだろ~!?と羨ましいし、尊敬します。

そして今回のお話、今の子供たちがさらされている身近な危険を改めて感じました…
大人たちの思い込みで良かれと思ってやることが、子供の成長に役に立たないならまだしも、致命的な害にさえなりうると思うと、怖いです。
でも、気を配ったり悩んだりと大変だけど、子供を育てるって素敵♪一緒にいる時間が幸せ~と虹色教室通信&オンライン教室を見るたびに思います!
いつもありがとうございます☆
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安心します (ヒーママ)
2010-02-25 22:43:56
いつも先生のブログを見て安心します。テレビを見て全く同じように考えるのですが、え?私が間違っているのと思わざる得ないコメントなどを聞くと迷いが・・・でもいつも先生のブログで自分の考えが間違っていないと確信します。幼児は大人の期待に答えないわけにいかない状況を作るから頑張るだけだとしか思えません。見捨てられるから頑張るけど人を信じられない人間になりますよね。幼児教育に関わってますが、現実は小学校などそんな考えがまだまだ多く残念でなりません。もっと一人一人を大切にする教育になってほしいな~とつくづく思います。これからもブログ楽しみにしています(*^_^*)
返信する
Unknown (ぽんき茶)
2010-02-26 17:33:29
言われてみれば、「手抜き関係」ってありましたね。吉川武彦氏の抜粋部分、なるほどなるほどと読ませて頂きました。私は、出来るだけ、自分が小さかった頃に、どうされて嬉しかったか、嫌だったかを考えて子供に接するようにしています。だけど、自分が良かったから子供にも良いとは限らないし、押し付けにならないように気を付けなければなりませんね。テレビの情報には流されがちなのですが、えっ!?というのもあれば、うんうんと納得できるのもあり、見極めながら参考に出来るものは参考にしたいと思います。
返信する
とても判りやすい (ところてん)
2010-03-03 09:47:09
本当にいい詩でした。

自立の塩梅を手抜きで表現するとは流石です。
私のようなものでもよくわかりました。
手抜きのような精神の発達こそ自立への歩みですね。

自立への速度がとても判り易かったです。
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